甘い生活

「……ゥくん、ご飯…どう?ユウくん、ご飯食べれる?」

見慣れた寝室で、俺を呼ぶ女は…サエちゃんだ!突然のお別れの後、幾度となく思い出していた初恋の相手。あの頃のちょっとイタズラっぽい雰囲気を残したまますっかり大人の女性になっていた。俺は懐かしい面影を不意にベッドに抱き寄せる。

「サエちゃん!30年前もよくチューしたよね。ああ、懐かしいな。ねえ、あの時みたいにしよっか?」

「下でシュウが待ってるからダーメ。さ、ご飯あったかいうちに食べよ?」

唇を尖らせた俺を置いたまま微笑んで、サエちゃんは下に降りていった。せっかくならサエちゃんとやりたい…邪な思いを胸に抱いていた俺は、自身が収まるのを待ってからリビングへと降りて行った。

「あ、父ちゃん大丈夫?早く食べよ?せーの、いただきまーす」

シュウが食べ始めるのをにこやかに見守り、サエちゃんがこう続けた。

「ごめんね、私ユウくんのお料理あてにしちゃってたからお買い物行ってなくて…今日あり合わせのものだけど…」

食事を口に運びながら俺が言う。

「うん?いやいや、どれもすっげー美味いよ!」

アイの作った料理なら文句のひとつくらい出たと思うのに、サエちゃんが作ったものならなんだってご馳走だ。煮魚にバーニャカウダ、高野豆腐の煮物、揚げなすの味噌汁、はちみつ梅干し、十穀米のご飯。そして俺の大好きな洋梨のコンポート。もうね、充分すぎるよ、サエちゃん。愛してるぜ。

「ごちそうさまでしたー」

3人揃って手を合わせるのがこのうちの習慣らしい。アイと子どもたちと暮らしてた時は俺はメシ食ったらさっさとソファーに転がってスマホでゲームしてたな。こうやってちゃんと挨拶するのもいいもんだ。

「サエちゃん、美味しかったよ。ありがとうね」

シュウがつづけて大きな声で言う。

「俺も!美味かった!お腹いっぱいだー」

「いえいえ、ユウくんとシュウが美味しいって食べてくれて私も嬉しい」

サエちゃんの笑顔が眩しい。夕食を食べ終えてからアイとこんな風に会話したことなんて無かったかもしれない。あいつだってそこそこ一生懸命作ってくれてただろうにな。

シュウを先頭にして食器をキッチンへ下げる。しっかり教育してるんだな。ソファーへ行こうとした時サエちゃんの視線が俺を追った。

「あれっ、そうだよね。ごめんね、私ったら。いつもユウくんが洗い物してくれるからって私もソファー行こうとしちゃった。今日はお休みしてね」

またパタパタと小走りでキッチンに向かい洗い物を始めるサエちゃん。もしかしてこれも俺担当だったわけ?

「ごめん、つい忘れてた。俺がやるからサエちゃんは座ってて」

どうにかして幼馴染の前でカッコつけたい俺は、気まずさを隠しながらサエちゃんをソファーへと促し、慣れない手つきで皿を洗い始めた。

「明日は俺、夕飯作るからね」

俺は言い訳じみたセリフを吐いてみた。でも何を作るの、俺?そもそも作れるの?

「ホント?じゃ、私楽しみにしてるね」

「俺は父ちゃんのチキンカツが食べたいー!」

サエちゃんとシュウの笑顔に気圧されてしまう俺。チキンカツなんてはるか昔に作ったきりだよ。ホントにやれんのか?


「あ、もうこんな時間」

おもむろに湯沸かし器のスイッチを入れるサエちゃん。

「父ちゃん、潜水ごっこ今日は負けねーぞ」

そうなのか、俺が子どものお風呂担当なのね…

「よーし、勝ったら明日は遊びに連れてってやる!お休みだからな」

とりあえず話を合わせるしかない。サエちゃんはソファーでのんびりとくつろぎ始めた。シュウはサエちゃんに学校であった出来事をなんか話している。そしてピロリンポロリンと音楽を鳴らしながらあっという間に沸く風呂。シュウが俺の服を引っ張り脱衣所へ向かう。前にアキトとリンを風呂に入れたのっていつだっけ?覚えてないな。素早くバババッと服を脱いだシュウの身体をざばっと流してやる。

「ねえ父ちゃん、今日俺頭洗いたくねーよ」

「よーし。ちゃちゃっとやってやるから少しだけ我慢しろー、今日も学校でいっぱい汗かいたんだろ」

戦隊ものの絵のついた子どもシャンプーを泡立ててシュウの頭からシャワーで湯をかける。

「いいかー、ちゃんと目つぶってろよ」

なんだかアイと子どもたちと一緒だった頃より父親が板に付いてる気さえしてくる。アキトやリンとは数えるくらいしか風呂に入ってやらなかった。いつも疲れと面倒な気持ちが勝ってしまい、なんだか父親として申し訳なくなった。アイに色んなことを任せきりにしていたな。あいつら、元気なのかな。どこ行っちゃったんだろ。俺、記憶障害ってやつになっちゃったのかな。アイ、お前も幻だったのか?考えごとをしながら湯船に浸かろうとしていると、シュウが口を開いた。

「ねえ父ちゃん、今日はチンチンむいて洗ってくんないの?頭トリートメントもしてくんないの?なんか仕事雑じゃん」

「え?あ、すいません」

平謝りする俺にシュウがつづける。

「なーんか変だぜ、父ちゃん。今日はもう潜水ごっこはいいから悩みがあるなら俺に話してくれよな。ま、いつでも俺は父ちゃんの味方だから」

仁王立ちで笑うシュウを尻目に俺はまた思案する。チンチンをむいて洗う?あの坊主頭をトリートメント?子どもを風呂に入れるのってそんなに丁寧にやらなきゃだめなのね。サエちゃんとシュウと暮らすようになり、カルチャーショックだらけだ。まぁ、まだ初日なんだけどね。風呂から上がったらサエちゃんとイチャつきたいところだけどすごく疲れたから寝よう…アイは毎日アキトをこうして風呂に入れてたのかな。リンも一緒だから大変だったろうな。アイ、ちょっとだけ恋しいな。アイ、君は本当に存在していたのか?あの生活は全部夢だったのか?

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