突然の再会

突然の再会


……ジョロロ、ジョロ。

気がつくと、俺は自宅のトイレで用を足していた。それにしても最近キレが悪い。ん?俺はさっきまで出会い系の女とホテルにしけこんでた気がしたんだけど、あれは白昼夢だったのかな。ボクサーパンツをずり上げ、トイレを出る。カルバン・クライン…か。

個室を出ると、静かなリビングのソファーで嫁が珍しく読書しているようだ。今日はパート休みなのかな。なんだか横顔の雰囲気が違う気がするけど…こんなに小顔だっけ?あ、そういえばまだ昼間だったんだ。

「あれ、子どもは?」

「今日は平日なんだから学校行ってるでしょ。ユウくんどうしたの?」


!?


微笑みながら顔を上げた彼女は、俺の知る妻ではなかった。え、誰?

うっすらとメイクした小ぶりの顔、ポニーテールにまとめた艶やかな髪、強い意思を感じさせる眉と口元。透き通るように色白な女がソファーに座っていた。

「何?誰?なんで?僕、家間違えてましたか?」

見覚えのない女の姿に慌てふためく俺は飛び上がりながら尋ねた。

「ユウくんどうしたの!大丈夫?何言ってるの?座って、座って。」

パタパタと女が小走りでキッチンへ向かい、冷蔵庫から出したミネラルウォーターをコップに注いで持ってきてくれる。俺の知ってる嫁はこんなヤマトナデシコじゃないし、もっと冷淡で俺の扱いなんか酷いもんだぞ。わけもわからず冷たい水の入ったコップを両手で持って女をまじまじと眺める。

「もー、ユウくんて昔からそうやって私をからかうんだから」

昔?どうやら俺は昔からこの女を知っているらしい。どこかひっかかるのがその呼び方だ。知る限りそんな風に俺を呼ぶのはこの間延びしきった人生の中で2人しか心当たりがなかった。母さんと、幼馴染のサエちゃんだけだ。もっとも母さんはとうの昔にそんな呼び方しなくなっている。30を過ぎた俺にユウくんと呼ぶ母親なんて想像しただけでぞわぞわする。母さんじゃないってことは、この人は俺の幼馴染のサエちゃんなのか?え、なんでここにいるの?まさか俺、転生でもしちゃったの?どういうこと?


サエちゃんは俺のひとつ年下だった。俺たちが物心つく前から同じ団地で暮らしていて、3、4歳くらいの頃から毎日家の前の駐車場で近所の子どもらと遊び回っていた。それはそれは大らかな時代だったから、空が暗くなり、コウモリが飛び交う時間まで。

「オレはサエちゃんと結婚するの!チューしてくれなきゃヤダ!」

「ダメなの!サエちゃんはね、ユウくんからチューしてくれないとヤダもん!」

これが大人だったらドン引きするほどバカなやりとりをして、俺たちは本気で泣いて駄々をこねてたっけ。俺が先に小学生に上がり、サエちゃんが年長さんになっても、学校から帰ればこれまでと同じように夜まで遊んでいた。かくれんぼ、こおり鬼、親に市民プールに連れてってもらったこともあったな。毎日毎日、なんの悩みもなく、そんな日々がずーっと続いていくんだって疑いもしなかった。今でこそ思うけれど、子どもってつまり、そういうことなんだと思う。一番星を抱いて暮れ始める夕映えの空。家の窓から漂ってくるカレーの匂い。向かいの田んぼの稲穂の香り。捕まえてきたカエルの鳴き声。ダンゴムシやアリが放つ土の匂い。そして、サエちゃん。たまにトンボが飛んだりセミが鳴いたり。そんな諸々が俺の全てを構成していた。

やがて4月になる。サエちゃんが小学校に上がってくる!小2になったばかりの俺は1年生の教室に向かってなりふり構わずダッシュした。サエちゃんの姿、サエちゃんの名前を全クラス探し回ったけど、どこにもいなかった。家に帰って初めて母さんから知らされたのは、サエちゃんが小学校入学とともにどこかの町へ引っ越したことだった。それっきり。


◇◇◇◇


「大丈夫?ユウくん。顔色悪いよ?少し寝たら?」

俺の顔を覗き込むサエちゃんの姿に、胸が高鳴って泣きそうになった。

「俺の、嫁さんてこと?サエちゃんだよね?」

「どうしたの?そうに決まってるでしょ」

俺の肩を揺さぶるサエちゃんの手に力がこもり、戸惑って少し涙ぐんでいるのに気づく。なんか知らないけれど、俺の妻がアイじゃなくなってサエちゃんになってる。挨拶もせずお別れしたはずの大好きだった幼馴染。俺は大学は県外に出てしまったけれど、帰省するたびにどこかでサエちゃんにばったり出会わないかな、なんてありもしないことを期待してた。一回だけ路線バスの中でサエちゃんに似た人を見かけたけど、人違いだったら申し訳ないし、声はかけられなかった。俺の今までの人生の中で事あるごとに思い出す、そんな存在だったサエちゃん。多分男にとって初恋の人っていうのは特別な位置付けなんだと思う。

その時、玄関から子どもの弾むような声が聞こえた。

「ただいまー!母ちゃんおなか空いたー!」

俺は思わず身構えてしまい、変なことを口走ってしまう。

「あ、こんにちは。お邪魔してます」

坊主頭が少し伸びたような髪型、よく日焼けして細身の少年だ。利発そうな表情はサエちゃんにそっくり。

「え?何言ってんの、父ちゃん。それウケるし。ていうか父ちゃんばっかり今日休みなのずるいし。宿題やったらゲームしてくれるよね?」

うわあ、こいつ俺のこと父ちゃんて呼んでる。サエちゃんと俺の息子なんだ。目元はサエちゃんに似ているけど鼻の形や口元は…俺似だと思う。

「シュウ、おかえりなさい。お父さんね、お仕事いつもいっぱい頑張ってくれてるから疲れてるみたいなの。そうだ。今日はお母さんがゲームの相手するから。手加減しないわよー!」

「えー母ちゃん弱いからつまんないんだよなー。でもまぁいいや!俺に勝ったら肩もんでやるよ」

「よーし、お母さん負けないからね!さ、ユウくんは夕食まで寝ててね。今日は私が作るからまた今度お願いね」

俺はサエちゃんに促され、ソファーからおずおずと立ち上がる。

「おう、ありがとね。それじゃ、そうさせてもらうよ。えーと…寝室って2階なのかな?」

サエちゃんが、もーユウくんたらホントに大丈夫?とか言ってるのをよそに、余計に頭が混乱する。情報が多すぎて処理しきれない。また今度って、何?今日は俺が夕飯作る担当だったとか?ていうか、アイは?俺はサエちゃんと結婚してシュウって呼ばれてる子どもがいるの?ランドセルが真新しいし、背格好からして小学校1、2年てところかな。ここはひとまずサエちゃんに甘えて寝かせてもらおう。枕に埋めた頭がチリチリと少しだけ痛むような気がしたが、すぐに俺は眠ってしまったようだ。

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