第2話

 2X19年


 如月きさらぎ 神美こうみ。それが少女の名前だ。


 黒ずくめで陰キャラを装うため、上下共に喪服みたいに黒いダークグレーのスーツで固めている。髪は思い切って短くした。


「あの時は、まだ腰まであったな。私の髪」


 結局、八王子には来てしまった。


〈お待たせ、愛しい彼女〉


 嫌な感じが満載の文句がまだ神美の海馬に残っている。海馬は記憶に関与するとはいうけれど、良い記憶だけを選択して保持するようには出来ていないのだ。


 八王子は広い。

 面積にして、19平方キロメートル近くある東京の地域、市の1つだ。


「八王子。八人の快楽の王子」


 神美は意味もない連想で八王子を分解した。八人の快楽の王子。そんな存在が八王子を作った可能性は、ただ本当にゼロだろうか。


「地味に見える場所ほど、何もかもが渦巻いている。どんな意味合いにおいてだとしても、目立つのはいつも地味に見せられない場所なんだ。どうして私は、渦巻いている場所なんて来てしまったのか」


 しかし神美は思い出せなかった。

 八王子に来る前、あの場所は、―――


「あれ?神じゃん。何してんの、八王子なんかで」


 柊 蔀。神美が今、最も会いたくない人類の1人だ。


 蔀はアピール度が強めのいかついアロハシャツに、ジーンズという微妙な出立ちだ。髪はもじゃもじゃで、神美は心の中で勝手にヤクザの明智小五郎と呼んで笑っている。


「会いたくないから、消えて」

「それは無理無理無理ぃ。いつも言ってんじゃん?都会崩れだからって、俺には消える能力なんてない。消えかけて浮かぶ、ガチのカス、ガチ茄子なすだって」

「なんでカスが茄子になるのよ。何の定理に基づいてんの」

「え?え?いや、俺に定理とか問う流派はマジ人生初パターン」


 2人は違う世界の住人だ。

 神美は神として育てられてきた。蔀は凄い都会人を目指して、ゆるふわに生きてきた。


「美容師の勉強は?アンタ、もう16でしょ。都会崩れなんて今から言ってたら、秒で寿命来るから」

「精神年齢13歳のお子ちゃまが、な~に言ってんだか」

「いや、私は神だから。アンタの生死も私が全部、握っちゃってるから」

「渦巻いてるねえ」


 神美は、はっとした。コイツ、渦巻いてると言ったか?と。


「ひとりごとを聞いて黙ってる、性格悪いパリピが、―――うるっさいわよ」

「はあ?ひとりごとって、いわゆるマスターベ」


 当然、平手打ちが起きたわけである。


「八人の快楽の王子が一柱、吊るすぞ」

「意味わかめだし、なるべくなら吊るさないでほしいな。暴力はネット小説でも自主規制の時代なんだぜ」


 ところで、2人は別に共通の目的があるわけではない。神美は神だから暇で、蔀は都会崩れだから暇。共通なのは目的ではなく、現状だ。


 シールド・ワールド。

 会話しながらも、蔀はその言葉が頭から消えなかった。蔀がいるのは今、シールド・ワールドなのか?それを誰かに一応、確かめてみても良さそうなほどに、蔀は気が付いたら八王子にいたという現状に混乱していた。


「神。あのさ、シールド・ワールドっていう」

「黙って。だから」

「にゅうげん?」

「黙れ。吊るすぞ」


 入電。それは人間の社会ならば、電報が入った事を指す。しかし神美には脳に直接、電報が打ち込まれる。

 神のお告げがあるとすれば、入電は神の上司からのお告げだ。


『ダックルは忍者だ』


「ダックルって誰。蔀、アンタか?」

「ないないない。ダッフィーならまだしも何そのダッフンダしくじったみたいな感じの名称」


 俺はいつ、蔀という名前を教えた?

 そこからもう、蔀には分かっていなかった。


 ただ、神美に初めて会った時の記憶はある。


 ***

「なんでよ、離して。離してよ」


 少女は叫んでいた。必死に抵抗し、連れて行かれないようにするので精一杯だった。


「おい、お前。何してんだ」


 助けが来た。少女は確信した。


「すみません、助けてください。離してくれないんです」


 しかし蔀には少女以外に何かいるとは思えなかったのだ。


「キミ、さっきから1人で何してんの?」

 ***


 神と知ったのは、もう少し後になってからだった、そのように蔀は記憶している。


「で、シールドなんとかが何だって?」

「いや、知らないなら良い。知らない方が良い事って、たくさんあるし」

「和歌山からの田舎者に優しくしなかった、そうでしょ?」

「なっ。―――なんで知ってんだ」


 シールド・ワールド。

 それは八王子を模した世界だ。そして、表向きには八王子という事になっている。

 よって、八王子にいるつもりで生涯をシールド・ワールドで終える人間もざらだ。

 約19平方キロメートルの異世界。


 おそらくが、その世界である。神美は蔀にそう説明した。


「来てしまったら、簡単には帰れない。たとえ神だとしてもね」

「え。嘘だろ、神」

「帰る作りになってないのよ。行きの道しか作られてない。日本によくある、一方通行のトラバサミだから」


 さしずめ、トラバサミで足を挟まれ抜けなくなったのだろう、と蔀は勝手に得心した。


「で?で、シールド・ワールドだったら、なんかヤバいわけ?」

「私がうっかりアンタに会ってしまうほどにヤバいんだ。な、ヤバいだろ」

「茶番ってこと?」

「だったら楽なんだけど」


 シールド・ワールドは安全ではない。そこでは何もかもが普通で、何もかもが普通ではない。少なくとも、蔀はそれを思い知る羽目になるのだ。



 絡繰からくり町。

 八王子市には本来、存在しない町だ。

 シールド・ワールドにしかない町。そんなのは、絡繰町じゃなくたっていくらでもある。

 約19平方キロメートルの隙間を使えば、シールド・ワールドには町なんてたくさん作れる。

 たとえば、異世界ファンタジーの主人公が転生するための世界をまるっと1つ作る事すら出来てしまうのだ。


 ―――混沌。一言で表すなら、それがシールド・ワールドだ。だから帰って来られない。秩序の外にしか居場所がなくなった人が、どうやって秩序に帰るというのだろう。


 ただ、ある程度までは神美のような神が混乱を制御している。それがシールド・ワールドを表面上は八王子市に見せてしまう弊害も生む。しかし少なくともシールド・ワールドを一生、八王子と勘違いして生きていける人がわんさか存在する程度の世界で済んでいるのは、神の力が一枚、噛んでいるのだ。


「絡繰町なんて、聞いた事ねえ。でもググったら確かにここは八王子だ。要するに、―――どういう事?」

「シールド・ワールドなんだよ。おめでとう」

「お、おめでとう」

「めでたくねーわ、アホ」

「出た。神ならではのエセ関西の感じ」


 そして、バグが来た。


「お待たせ、愛しい彼女」


「お前、シールド・ワールドにいたのか。そうだよな。私が消し損ねた唯一の人間。手続き不備が、私がここにいる理由―――そういうワケか」

「神、ヤバいヤツと知り合いじゃん。お前の方が、よっぽどヤバいじゃん」


「お待たせ、愛しい彼女」バグは更に来た。変態は2人に増えた。


「おいおい、双子かよキモいな。神、早く倒してくださいお願いしま」


「お待たせ、愛しい彼女」

「お待たせ「お待たせ「お待「」しい彼女」


 バグ―――コイツを仮に変態バグと命名するならば、変態バグは何人も何人も湧いてきたのだ。


「キモいキモいの何段連鎖反応なんだ。おい、神。早めにお願いしますよ、早めに。切実、切実」

「これは―――無理だ。消せない」


 バグは人間ではない。神だけには、それが分かる。

 それはシールド・ワールドでしか有り得ない特別な状態だが、そうである事も含めてなぜだか神美には、すっと腑に落ちたのだ。


「じゃあ、俺たちヤバいじゃん。失禁してかめへん?」

「関西弁へったくそ過ぎるだろ、常識的に考えて」


「2人とも、伏せろッ」


 やたら迫力ある声に指示されるがままに、2人は伏せた。


 バシュゥッ。バシュゥッ。


「うおっ、神。なんかSFみたいな光子銃で変態が死んでいくよ」

「ダックルだ。お前たち、大丈夫か?」

「顔、めちゃめちゃ日本人じゃん」

「私は大丈夫だ。コイツは多分バグだ」

「やめてやめて。俺はバグみたいなだけで人間だからね?」

「ダックル、でも―――いや、なんでもない。ありがとう、忍者」


 ダックルは笑顔で頷くと、見事な体捌きで残りの変態バグを光子銃でやっつけていった。


 絡繰公園。ここも八王子には存在しない―――はずだ。

 絡繰などという、ふざけた名前に甘んじる輩が天才で、そんな町を現実に作っていれば話は変わる。だが、いずれにせよ今この瞬間、神美たちがいるのはシールド・ワールドなのだ。


「ダックル。あなた、バグよね」


 公園のベンチに腰かけて早々、神美は核心を突いた。


「ええ、実はそうなんです」

「光子銃、そんなのは現実には存在しない。そんな物体を所持している時点でバグかな、とは思ってた」

「な、何言ってんだ、神。ダックルは俺たちの命の恩人なんだぞ」


 蔀はダックルを擁護した。バグだと言われて、違いますと神に言える人間なんていない。そう思ったからだ。


「ダックル。神が怖いなら俺にだけ正直に言え。お前はバグなのか?」

「バグです」

「絶対か」

「あ、まあ、絶対ですけど」

「えっ。まさかの逆ギレ?」


 しかし、よく見たら確かにバグかもしれないと蔀は思うようになってしまった。

 ダックルも、さっきの変態バグと全く同じ顔なのだ。

 実際、ダックルは七三分けやメガネ、しっかりとした上品なスーツで変装し、バグでないかのように偽って生きているだけなのである。


「たまたま私だけは自我みたいなモノを持ちました。多分、車にぶつかった衝撃か何かです。だけど、そうでないままに増えてしまった元々の私だけが更にどんどん増え、私はバグとしての力で光子銃を創造し、私を倒していったのです」

「思いの外、話がちゃんとあったな」

「さて、じゃあ私がアンタを消すから。それで良いわよね?」


 神美はまともな変態バグに最終確認した。


「はい。私はバグですから」


 彼にも異存はないようだ。


「さっき、入電があった。バグを消すのも

 、もう出来るから安心して」

「はい。神さま、お達者で」



 シールド・ワールド。そこでは何もかもが普通で、何もかもが普通ではない。


 これはそんな世界にいる2人の若者が、現実と向き合う物語である。

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