シールド・ワールド

桐谷瑞浪

第1話

 少女は孤独だった。

 長い長い時間を、1人で過ごしていた。

 ふとした時に、そうであると分かったのだ。


 長い時間を1人で過ごすのは苦痛だ。

 苦痛を快楽に変換する技術。そんな言葉がいつしか時代のメッセージのようになった。

 そして人は、耐えるよりも前に進むという選択を取るように変わり始めた。耐えるだけ耐えて消えていく仲間たちを笑わずに向き合った結果として得た、それは現代人のまごうことなき財産である。


 花の香りがした。


「はかない夢」

「薄れゆく希望」

「はかない恋」

「真実」

「君を愛す」

「恋の苦しみ」

「嫉妬の為の無実の犠牲」

「希望」


「期待」


 アネモネの花言葉。

 ―――そう、少女は期待していたのかもしれない。

 誰かが自由で完全な世界に連れ去ってくれる事を。


「来るわけはないんだ」


(アタシの所に、来るわけなんて―――)


 来るわけがない人を待つのは、苦痛だ。

 しかし少女は苦痛を知らない。快楽を知らない代わりに苦痛も知らないという存在を一言で表しなさい、と言われたら彼女が正解ということになる。


「ううん、アタシは正解の一つに過ぎない」


 正解が一つだけのモノなんて、もうそんなにない事が証明されたのは人々の記憶に新しい。

 今はある問いに対する正解が平均でいくつあるのかとか、極限はどこに収束するのかとか、そんな、大それているのに不毛な研究が世界の主流だ。


(来てほしい人に限って来ない。これだけは唯一解なのかな)



 少女に注目さえしなければ、そこはいつもの東京でしかない。

 レインボーブリッジ。スカイツリー。国会議事堂。浅草寺。八王子。八王子。


 八王子。


「八王子。何かを忘れてないか」


 少女は自問自答した。

 しかし、何を忘れていたのかどころか、本当に何かを忘れているのかさえ、すぐに分からなくなってしまった。


 好きの反対は嫌いではなく、無関心。

 そんな理論が通るなら、少女の関心は八王子に対しては実際、薄いのかもしれない。


 ふと視線を移すと、どこかのテレビ局が当たり前のように、適当な一般人に正解のコメントを暗黙に強いる、恒例のルーチンをこなしていた。


(バカみたいとすら思わない。どうでもいいんだ。アタシと一緒)


 八王子。来るわけはない誰か。 少女にとっては、あるいはそれすらもどうでもいいのかもしれない。

 少女はただ、そこにいた。


「すみませーん。写真、撮ってください」


 それが少女に向けての言葉と、気付く頃には女たちは歩き始めていた。


 失態への悪態は死んだ。

「シカトかよ」「うぜえ」「なんだテメエ」一昔前ならば、そんなワードもセンテンスだったけれど、今は無視の対象となり果てた本物の死語だ。


 好きの反対は、無関心だから嫌いですらない。

 つまり、嫌いという感情はどこにも向かわない。加害者も被害者も、嫌いではなく無関心だから傷付け、損得の応酬を繰り返し、そして学習成果をリセットし続ける。


(当たり前だよね。誰も彼も、急いでいるんだから)


「お待たせ、愛しい彼女」


 少女は振り返った。


(なんだ、ただの変人か)


 目は虚ろで、笑顔も変。何もかもが病気にしか見えない人は、やっぱり病んでいる。

 病んでいる人は、無関心を生む神経が死んでいるのかもしれない。病むというのは、縁を切れない呪いになることすらある。

 少女であっても、何度もそんな事は経験した。何度も何度も。


(私は病んでないから。消えてよ)


「お待たせ、愛しい彼女」


 誰も気にしない。気違いに絡まれるのは、絡まれるのが悪いのだ。

 無関心になれない病人は、健常者に敏感だ。それは健常者が病人に鈍感なのとは対極にある事象である。

 その結果として、病人は病人と戦うようになっていく。加害者と被害者にすらならない。それはそんなに高度な争いではなく、もっと低いレベルの行いなのだ。


 暗黙のルール。沈黙のレール。寡黙のロール。


「お待たせ、愛しい彼女」


 どんなにか、しつこい変人でも、誰も気付かない。誰もが器用に背景に溶けていて、溶けきれなくて目立つ少女だけがアウトなのだろう。

 誰からも無関心な人間は目立つ。それは理屈を越えていて、誰からも無関心だから目立つのだ。

 繋がれないという後退感情は、無関心という引力でなく自発的な拒絶。好き嫌いではなく、快不快という更に原理的な感覚を主眼に置いているからこそ、誰にもどうにも出来ないのかもしれない。

 少女は誰からも無関心で、それでいて繋がれないでいるのだ。


(アタシじゃないよ、あなたを殺せるのは、アタシじゃない)



 東京。昼と夜では、何もかも違っている奇妙な世界。

 それは神と人に似ている。

 どちらが昼でどちらが夜か、決めるのは神ではない。それと同じなのだ。


「私は神。それも人が決めた」

「お待たせ、愛しい彼女」


 次の瞬間、変人は消えた。

 まるで最初からいなかったかのように、もうそこには涼しげな東京の風、人工の優しさに包まれた、嘘まみれの澄んだ空気だけがあった。


 少女は笑わなかった。

 忍耐のまま死んだ同胞を笑わない普通の人たちとは違い、同胞とは認めず排除し否定したわけではあったが、それでも少女は笑って良い気はしなかったのだ。


◇ ◇ ◇


 ショーウィンドウには、新しい時代を謳った一昔前の手抜きのテンプレートが、控えめならば許されるとでも言うかのように、ぽつり、ぽつりとディスプレーされている。


 それはそうするのは自由だ、という寛容にも見えるし、いつでもこんな遊びはやめて構わないんだ、という軽薄にも見える。あるいは、ただそうあるのはいけない事なのか、という主張にも見える。

 一義的は多義的に劣る。大は小を兼ねるという言葉で済ませても良いし、許さなくても良い時代に一つの声が響いた。


「馴れ合ってんじゃねェよ!」


 ひいらぎ しとみは叫んだ。新しい時代ぶっていながらも古びたテンプレートのようにだけは、なりたくないとばかりに叫んだのだ。

 それは、蔀などという、正に新時代の皮をかぶった何時代かも分からない時代の産物みたいな自らの名前にも当てはまるだけに、蔀は謝った。そうした方が良い、そう思ったのだ。


「あ、すんません。なんか、すんません」


 だから謝り方もテンプレートになれないんだよな、とは分かっていても、彼にはどうしようもない。人一倍、不器用だし、人一倍、反省を知らないからだ。

 いや、それが理由なのかなんて分かるほど、蔀は冷えた頭を持っていない。現に、都会の真っ只中で叫ぶ男なのだ。頭が冷えているわけはないのである。


「さ~み~しさ~だから~、こ~んや~も、う~ら~な~いの~は~」


 蔀は、こんな明らかに売れてない路上ミュージシャンに同情し、全財産の半分を寄付した。しめて200円きっかりだ。

 冷えた頭もなければ、冷えた心もない。だから蔀は人間らしくいられるし、何もないから人間をやめる事も出来る。

 良く調教された都会兵士。あたかもそんな感覚を、都会人のご多分に漏れず蔀も抱いている。


「パフォーマンス能力、ぱねぇっすわ」


 しばらく歩いて、どう考えても先ほどのミュージシャン―――さすがにほとんど乞食なんて言うのは、蔀にさえ分かりきっている――に聞こえなくなったと判断が付いてからやっと、蔀はそんな独り言を言う権限を得た。


「あんな風に死ねる勇気が、オラん胸にもあっただばならよ」


 有りもしない適当な方言は、都会生まれの都会育ちの都会崩れを偽るには悪くない方法だ。

 苦痛を快楽に変える技術。それを信じ始めたきっかけもこれで、疑い始めたきっかけもこれだったな、と蔀はいつかを回想した。そんな回想はあってもなくても問題ない。

 それもまた、都会崩れを偽る忍法のような何かなのだから。


 適当に歩くだけで誰もが振り向くほどのイケメンではないが、かと言ってイケメンなだけで飯が食えるほど恵まれた容姿でもない。それを蔀は都会崩れと勝手に名付けた。

 蔀は、おもに自分自身をそうやって戒めて、蔑んで、慰めているのだ。


「あんな風に死ぬのが、苦痛を快楽に変えるか?いや、それはない」


 人は変わらなければ無意味だろうか。

 自分らしさ、つまりアイデンティティーを捨ててまで変わらなければならないほど、社会は終焉を迎えているのだろうか。


「ダルいわ、なんかダルいしかねえわ。もはやそれが東京だ」


 とうとう蔀の周りにも、そうしたカルト紛いの広告が増えてきた。

 五次元へのアセンション。第三宇宙人の到来。苦痛を快楽に変換する技術。

 全てが罠だ。もう、避けられないレベルで東京には罠しかないのだ。それを蔀は実感していたが、今日もそれを知らない田舎のバカに限って、蔀のような都会崩れに寄ってくる。


「あのー、ちょっと道をお尋ねしたいんですけど」


 無視。


「あのー、和歌山から来たんで、本当、勘弁してください。怪しい人間じゃないんです」


 無視。


「シールド・ワールドかよ」


(は?)


「シールド・ワールドにようこそ」


 田舎者は笑っていた。


 シールド・ワールド。


 もし英語ならば、と蔀は考えた。

 Shield World。盾の世界。


「なんだそりゃ」


 蔀は心底、そう言った。心底からシールド・ワールドなど知らないし、知っていたとしても記憶のずっと奥底だ。


「来てねえよ。シールド・ワールドになんか、俺は来てねえ」


 蔀の反論に田舎者は沈黙していた。まさか、まともに答えが返ってくるとは思わなかったのかもしれない。

 しかし田舎者は笑っていた。しかも、尋常でない笑顔で。それはあたかも苦痛を快楽に変換する技術を使って失敗した人の顔だ。


「シールド・ワールドなんか」


 田舎者は、なぜか蔀の言葉のそこだけを反復した。

 人は失敗する事もある生き物だ。絶対的な存在ではないから、人生がどこか運試しみたいな所は誰にでもある。

 しかしその田舎者は、失敗した事がないかのように装った。運試しなどした事がないかのようでもあった。

 そして、それは苦痛を快楽に変換するのに失敗してないと装うのに酷く似ていた。

 そんな笑い方、そんな笑顔なのだ。不本意ながら、完ぺきにそんな風なのである。


(既視感。いや違うか。しかし、コイツは視覚からの入力だしな)


 蔀は考えていた。

 田舎者は笑っていた。

 そして、そこから何かが起きた。


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