第50話 決断したんですが。

 空が広い。今日は雲ひとつないから空が少しくすんだ水色一色だ。

 日向ひなたはまだ日差しは強いけれど、日陰に入ると少し肌寒く感じ始める頃。

 私は、着慣れない喪服に堅苦しさを感じつつ、喫煙所でタバコをふかしていた。


 町屋斎場では今まさに、葬式が執り行われている。

 居心地が悪くて、つい外に出てきてしまった。

 ……私には、そこにいる権利がないような気がして。


 私は葬式の写真で、彼の顔を初めてマトモに見た気がした。


 蘇芳スオウさん。

 写真で見た彼は、柔和な笑顔の普通のおじさんだった。

 おおよそ、全てを切り裂く妖刀・童子切どうじぎりの持ち主だったとは思えない。


 蘇芳スオウさんの火葬は、実はもうとっくに終わっていたらしい。

 蘇芳スオウさんの死を秘匿したがった組織が、先にこっそり火葬にしてしまったとかなんとか。朱鷺トキさんがブツクサ文句を言っていたのを覚えている。

 やっと蘇芳スオウさんの死を公に出来るようになって、せめてもとお葬式を出したのは朱鷺トキさんだった。


 溜息と一緒に煙を吐き出し、タバコを灰皿に放り込む。

 そのタイミングでお坊さんが式場から出てきた。

山本ヤマモトさん。終わったよ」

 背中にそう声をかけられて振り返ると、そこには黒い着物をビシッと着込んだ朱鷺トキさんが立っていた。

 後ろには、喫煙所に来る前に既に煙草に火をつけたゲンさんと、それをニコニコと殺気を放ちつつ見てるルリさん、そして喪服に着られている織部オリベさんが居た。


「お疲れ様です。すみません、最後までいなくて」

 ペコリと頭を下げると、朱鷺トキさんは首をフルフルと横に振った。

「いいさ。蘇芳スオウもそんな事は気にしない」

 私が居づらいと分かっているのだろう。そう言ってくれた。

「この後精進落としがありますけどー。どうするんですかー? 席は用意されてますけどー」

 ルリさんが小首を傾げながら尋ねてくる。

「……申し訳ないんですが、私は辞退させて頂きます。実は、まだ身体がかなりキツイので」

 そう。ちゃんと喪服は着ているけれど。

 その下は更に増えたアザだらけ傷だらけ。湿布も貼りまくり。酷使しすぎた筋肉は筋肉痛というレベルを超えてるし、関節はガッタガタで動くどころか立ってるのも実はシンドイ。

「それでしたら、僕が治療を──」

「いいんですよ織部オリベさん。早く治さなきゃいけない理由もないし」

 折角の織部オリベさんの申し出も、私はやんわりと断った。

 ……自分で自分に針を刺した時の痛みが若干トラウマになったのか、あれ以来針を刺すのが怖くなった。ま、そんな事は絶対に言わないけれど。

「おェ、この後どうするんだ?」

 ゲンさんが、大きくタバコの煙を吸い込み、ゆっくり吐き出しながらそう問いかけてきた。

「今日もゆっくりお風呂に浸かって──」

「そうじゃねェよ」

 暖かい湯船にドップリ浸かるイメージをしながら話そうとしたら、ゲンさんはそれを否定してきた。

 ああ、そうか。

 今後の、事か。

 少しだけ冷たい風が、私たちの間を一瞬吹き抜けていく。

 朱鷺トキさんは腕を袖に突っ込みつつ、私の事を静かに見据えていた。


 組織に入るか、記憶を消されるか。


 今まさに答えを求められている。

 お葬式というタイミングでっていうのはどうなのかと思ったけれど、そうか。朱鷺トキさんはここまで待ってくれたのか。

 もし私が記憶を消す選択をするとした時に、私の命の恩人、蘇芳スオウさんのお葬式に私が出られるように。


 一連の事件のことに想いを巡らす。

 本当に、私の世界がひっくり返った。

 私の知ってる常識ではない事が次から次へと引き起こされ、そしてその渦中かちゅうに叩き込まれた。

 運動不足のただのOLが、まさか命をかけて戦う事になるなんて。


 もう一生経験できないであろう嵐のような出来事を忘れるのか──

 怖い事も沢山あったけれど、それ以上に楽しい事も沢山あった。

 それを失ってしまうのは、正直、とても惜しい。


 でも、だからといって支局に所属して二重生活を送りながら、ずっと戦い続けるのかと問われると……


朱鷺トキさん……」

 私は、まんして口を開く。

 朱鷺トキさんは相変わらず私をジッとその鋭い視線で射抜いている。

「私は、今後も忘れたくありません。私を助けてくれた蘇芳スオウさんがいらっしゃった事を」

 私は式場の方へと視線を向ける。

 私を助けてくれた人が写真の中で柔和に笑っていた。

「何もわからず不安な中、柚葉ユズハに心を救ってもらった事、

 ゲンさんの開発したライブラリに沢山助けてもらった事、

 ルリさんの毒舌に右往左往させられた事、

 織部オリベさんの針を散々ぶっ刺された事、

 朱鷺トキさんに手腕に救われた事、

 忘れたくないんです。

 ──でも」

 一度そこで言葉を切って、視線を朱鷺トキさんへと戻す。

「支局にも入れません。私には崇高な目的がありません。それに、童子切どうじぎりを持たなくなる私は、皆さんの足手まといにしかなり得ません」

 今回の戦いだって、私個人の力でどうにかなったワケじゃない。みんなが私にからこそ出来た事。

 みんなの力を借りられなければ、私なんて戦力にもなり得ない。

アカネさん?! それは違いますよ!」

 織部オリベさんが珍しく強めに否定する。

「そうですよー。アカネさんの能力は、ぶっちゃけレアですー。きっと朱鷺トキさんはその能力が喉から手が出るほど欲しい筈なんですよー。

 支局に入らないとか言ったらー、朱鷺トキさんはアカネさんを拉致監禁して洗脳してでも手元に置こうとしますよー。それぐらいは軽くやってのけちゃう人なんですよー」

「ルリ……私はそんな極悪人じゃないよ」

 呆れた顔でルリさんをたしなめる朱鷺トキさん。

 思わず笑ってしまう。ルリさんは朱鷺トキさんですらディスらなきゃ気が済まないのか。ある意味最強だ。

「……まだ怖ェのか?」

 ゲンさんがタバコをもみ消しながらそう問いかけてくる。

「いえ。皆さんの事を沢山知りました。怖がる事なんて、もう何もないですね」

「そうか」

 私の返答に、そう素っ気ない声を出すゲンさん。その態度とは裏腹に、彼の声が聞こえた気がした。『そりゃ良かった』と。


 意を決して、私は希望を伝える。

「忘れたくない。でも、支局にも入れない。

 これは私の我儘でしかないんですが……このままで、いさせてもらえませんか?」

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