第34話 やっと家に戻って来れたんですが。

 家に帰ってきた。

 酷く久し振りな気がするけれど……確か四日ぶり?


 家の電気をつけて、玄関先に荷物を放り出した。

 リビングに行く前に、風呂場に寄ってお風呂のスイッチを入れる。

 怪我と治療のせいで酷く身体が重く、リビングに入るなり座椅子にドッカリと座り込んだ。

 床にめり込みそうな程、地球の重力を体感する。

 全てが、重かった。

 はぁーと多大なため息を吐き出し、懐かしの我が家に視線を巡らせると、ふととある物に目が止まった。


 キャリーケース。

 天雲紫苑アイツの、置き土産。


 途端に沸き起こってくる、嫌悪感と激しい怒り、そして──


 体の痛みや疲れも忘れて思わずそれをひっ掴み、ベランダへとズカズカ歩いてって両手に持って振り上げた。

 ベランダから投げ捨ててやるッ!!

 ──そう、思ったけれど、思い止まった。

 どんな小さな事でも、どんな小さな物でもいい。今は手かがりが欲しい。

 私は、ゆるゆるとキャリーケースを下ろすと、リビングにスゴスゴと戻って行った。


 鍵はかかっていなかった。

 そっと、ジッパーを下ろして恐る恐るキャリーケースを開けた。

 中には、ワイシャツや靴下、下着。剃刀やシェービングクリーム等、普通のお泊まりセットだとおぼしきものが入っている。

 こんなもの……拉致るつもりだったら持ってくる必要もなかった筈なのに……そこには数日分の着替えが入っていた。

 ……そこまでして状況を誤魔化し、嘘を突き通したかったのか……

 私がこっそりコレを見た時用のダミーか? 失礼な。人の鞄なんて勝手に開けないし。

 それに、別に着替えを持ってきてなくったって、怪しんだり出来なかった。……私は馬鹿だから。

 服の下を確認し、何もなかったのでポケットの方を探る。

 ふと、指先に何か硬いものが当たった。

 それをポケットから取り出す。


 携帯電話だった。

 スマホではない。

 電源は落ちていなかった。ボタンを押すと待ち受け画面になる。充電は切れてない。わざわざモバイルバッテリーに繋いであったから。

 持ち主情報も、通話履歴もネットの検索履歴もメールも入ってなかった。

 入っていたのはただ一つ。

 アドレス帳に一つの携帯番号。

 名前はついていない。ただの番号だけ。


 ドクンと、心臓が一度大きく跳ねる。


 携帯を持つ手が震えた。

 これは、手がかりだ。

 支局に持っていかなければ。

 でも──


 心臓が五月蝿いぐらいに早鐘を打ってる。

 息が苦しくなってきた。


 私は、その番号にかけずにはいられなかった。


 発信ボタンを押し、震える手で耳元へと持っていく。

 呼び出し音がしている。


 それは、とてもとても長い時間だった。


 プツっという接続音ののち、微かな人の呼吸音と風の音のような雑音が聞こえてきた。


 喋れない。

 喉が閉まって声が出ない。

 出たとして──一体何て声をかければいい?


『……アカネ

 唐突に、受話口から私の名前が響いてきた。

 息が止まる。

 ……ヤツの声だ。

『きっと、かけてきてくれると思ってたよ。……一人の時にね』

 見透かされてる……

 息がうまく出来ない。

 身体を起こしてられない。

 辛い。

 苦しい。

 でも……ッ!!


 パァンッ!!


 素晴らしくイイ音がこだました。

 私が、自分の太腿ふとももを思いっきり引っ叩いたからだ。

 手も太腿ふともももジンジンする。

 しかし、痛みで頭が冷静になってくる。

 私は大きく一つ息をついた。

「アンタ、今何処に居んのよ」

『帰りが遅くて怒ってるの?』

「そうよ。早く帰ってきて顔見せなさいよ。ぶん殴ってやるから」

『それは怖いな。帰るに帰れない』

「じゃあ、膝枕して優しく頭撫でてやるから帰ってきなさい」

『……それはとても惹かれるけれど、その後が怖いから、やっぱりやめておくよ』

 そんな軽口の応酬がふと止まる。

 そうだ。

 そんな下らない話をしている場合ではない。

「……アンタ、なんでこんな事したのよ」

蘇芳スオウさんを殺した事? 俺は手を下してないよ』

「関係ないね。計画に加担したろ。同罪だよ。

 あそこまでして、蘇芳スオウさんの能力が欲しかったワケ?」

『そりゃそうだよ。歴史深い伝説の妖刀さ。欲しいに決まってる』

「正々堂々と継承すりゃ良かったのに」

『……そうだね。それが可能だったらね』

「どういう事?」

『俺は不適格者さ。蘇芳スオウさんはそれを見抜いていた』

「そんな事ないでしょうが。朱鷺トキさんも、アンタの能力を認めてた」

『そうじゃないよ。それじゃないんだ……』

「……? じゃあ何が?」

 ふと、ヤツの声が途切れる。

 呼吸音と、また風の音しか聞こえなくなった。

『……本当は、この能力が欲しいワケじゃなかった……』

 本当に、微かに呟かれた言葉。

『……でも、この能力じゃなきゃダメだったんだ……』

 意味が分からない。欲しくないけどこれじゃなきゃダメってどういう事?

『……そろそろ時間だ。名残惜しいけど……ここまでだね』

「ちょっと待ちなさい! 能力返しなさい!」

『それは出来ない。いくらキミの願いでもね』

 その言葉に、思わずイラっとした。

「アンタね、そうやって気のある素ぶりをしなきゃ死ぬの?! 今更わざわざそんなことする意味ある?! 私を傷つけたいだけ?!」

 そうマイクに向かって怒鳴りつけてしまう。

 暫くの沈黙の後──

『……傷ついて、くれたの?』

 そんな、少し嬉しげな声が漏れてくる。

「ハァ?!」

『嬉しいよ、俺のアカネ

「だからーッ……」

『愛してる』

「ふざけんな死ねッ!!」

『キミになら、殺されてもイイ』

「分かった殺してやるから出てこいやァ!」

『それは出来ない』

「じゃあ死ぬまで追いかけてやるからな! 何処に逃げても、必ず追い詰めてやるから!! 首洗って待ってろやァ!」

『……楽しみにしてる』


 プツ。

 通話は突然終わった。

 全力で叫んでしまったためか、私は肩で息をしていた。

 ムカついて、携帯を床に叩きつけようとして──ヤメた。

 これは大事な手がかりだ。

 ……たぶんもう、繋がらないけど。


 やってしまった……

 大切な手がかりを無駄にしてしまった。

 自分の愚かすぎる行動に頭を抱える。

 日頃、理性的ではない行動を見ては鼻で笑ったりしてたけど、他人ヒトの事言えないっ……


 しかし、あれはどういう意味だろう。

 それに、この携帯を残した意味は?


 分からない事が多すぎる……頭が爆発しそうだ。

 その時、お風呂が沸いた音がしたので、私は逃げるように風呂場へ走るのだった。

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