転章

第31話 馬鹿だったようなんですが。

 私は何をしてたんだろう。

 多分恐らく──真実に一番近い場所に居たのは私なのに。


 何も見えてはいなかった。


 知らなかった、なんて言い訳にならない。

 そんな言い訳が出来るのは責任のない立場の人間だけ。私は、大切な物の預かり人として、その責務を全うしなければならなかったのに。

 例えそれが押し付けられてしまったものだとしても。

 だって、蘇芳スオウさんは命懸けで助けてくれたんだから。


 なのに。

 なのに……


 私には出来なかった……



「出来なかった……」

 そうポツリと呟くと、誰かが優しく頭を撫でて来た。

 ゆるゆるとそちらへと視線を移すと、ルリさんが泣きそうな顔で私の顔を覗き込み、頭をゆっくり撫でていた。

 ベッドに横になった私のすぐ隣に座り、彼女は酷く悲しい顔になんとか笑顔を貼り付けていた。

「いいんですよアカネさん……貴女のせいじゃないんです……」

 声を詰まらせ、涙をポロポロと流しながらそう慰めの言葉を紡ぐルリさん。

「なんで泣いてるの……?」

 そう尋ねると、彼女はギュッと目を瞑り更に大粒の涙を零した。

「私……守れなかったから……私は必要ないと思って……。でも違った……私が守らなきゃいけなかったのに……私にはその為の能力があったのに……っ!

 ごめんなさいアカネさん……ごめんなさい……」

 嗚咽混じりにそう懺悔するルリさんの頭を、今度は私が撫でてあげる。

「違うよルリさん……私が馬鹿だっただけだよ。私が無知で無力だっただけ……」

 彼女の頭を撫でる身体が痛い。見ると、腕中に真新しい痣と擦り傷が出来ていた。


 なんとなく、その傷の理由を思い出す。


 そうだった。

 私、走る車から投げ捨てられたんだ。

 多分、支局ビルの前に。

 助けてくれたのは、コンビニ袋を手に下げたゲンさんだった。荷物を放り出して、私を背負って支局の中に連れ帰ってくれた。

 そうか、ここは……支局の医務室の中だった。


 支局の医務室に担ぎ込まれ、簡単な処置は受けた。簡単に全身を検査してもらったけれど、骨には異常はなく、ただ全身に打撲と擦り傷があっただけだった。

 駆け込んできた朱鷺トキさんに、その時覚えている事を全て話した。

 天雲アマクモ紫苑シオンが、今回の事件の黒幕だった事も、蘇芳スオウさんの能力が奪われてしまった事も。

 そして、思い出した蘇芳スオウさんとのやりとりの事も、全部話した。

 襲ってきたのは、黒レース女・ランと、筋肉ダルマ・テツだった事。

 その場に天雲アマクモ紫苑シオンは居なかったが、隠れてその場の様子を見ていたであろう事、彼はその時蘇芳スオウさんから能力を奪おうとしたが、予想外に私が能力を引き継いでしまった事──

 後から到着した織部オリベさんが、ベッドの横にひざまずいて私の手を握り、全身全力で謝ってきた。

 私は、貴方のせいではないと伝えたけれど、彼の後悔はそんな事では拭えなかっただろう。


 そういえば、なんで殺されなかったんだろうと不思議に思ったけど、冷静に考えれば当たり前だ。

 殺人で一番面倒くさいのは死体遺棄だという。

 死体がみつかればそれは殺人事件だ。

 かといって死体を見つからないように処分するのはとても大変。なんらかの形で、そのうち発見されてしまう事も多い。

 その手間を一番カットできる方法は一つ。

 殺さずその辺に捨てればいい。特に、その人物が生きていても害にならない程度の人間なのであれば。

 傷害罪で告訴する事も出来るだろうけど……多分、そんなの怖くないんだ。もしかしたら、表社会から姿を消すつもりなのかもしれない。

 しかし、そんな事よりも何よりも、突きつけられた事実の方が私を打ちのめす。


 能力を持たない私は、もう、何の害にもならなければ役にも立たない人物だという事だ。


「ルリさん……ごめん。一人に、してくれるかな」

 彼女の頬をそっと撫でると、ルリさんはコクコクと頷いて手を引っ込める。

 そして部屋を出て行きながら

「何かあったらすぐ呼んでね」

 そう優しく声をかけてくれた。


 一人になり、天井を見つめる。

 静寂が耳に痛い。

 今日ここまでに起こった事が頭の中をグルグルと渦巻いていた。


 考えるのをやめたい……

 暫くは、何も考えたくない。


 涙が溢れて来て両腕で顔を覆う。

 ふと、左掌が見えた。文様が──火傷のあとのような、童子切どうじぎりの持ち主だった証が。

 私に残されたのは、たったこれだけ……

 嗚咽が漏れて来たけど止められない。

 声を出して泣くのは──何年振りだろう。


 私は、溢れてくる感情の赴くままに、全力で、声を出して泣きじゃくった。

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