第25話 ほだされかけてるんですが。
ヤバイ。
非常にヤバイ。
ほだされてる。完全にほだされ始めている。
ちょっとだけ預かるつもりだった仔犬に情が移ってしまった、そんな感じだ。
さんざん大暴れされて大変な目にあったのに、そんな事は忘れて楽しかった思い出だけが残って、手放し難くなる──そう、仔犬シンドローム! 私が命名!!
落ち着け私。
大丈夫。まだ理性は残ってる。冷静になれるよ。仔犬は飼えない。一人暮らしだし、お世話が大変。ペット禁止のマンションだから、ずっと一緒にはいられないんだよ──って違う!
今回は仔犬じゃない! 大人の男だ!! しかも狂犬寄りだよ!!!
ご飯を食べ終わって二人で片付けを行い、洗濯機が止まったので洗濯物を風呂場に干してきた。
ずっとそばにへばりついていたヤツがトイレに立った瞬間──私は鞄にしまってあった煙草の箱をひっ掴んでベランダへと逃げてきた。
何故か震える手で煙草に火をつける。
深く、深ーく煙を吸い込み、ため息とともに全てを吐き出した。
やっと、少し冷静になる。
……しまった。狙われてるのにベランダはマズかったかな。いや、狙撃されるワケでもあるまいに。……されないよね?
ベランダのヘリにもたれ掛かって、灰皿に灰を落とす。
秋口の夜は、日中の暑さも和らぎ心地よい涼しい風が吹いていた。
辺りの電灯の強さで星は殆ど見えない。
雲が町の明かりを反射して、夜なのに白く空を覆っているのが見えた。
町の夜は相変わらず普通だ。
当たり前なんだけど、なんかこう、微妙な気持ちになる。
私の周りは激動して世界がひっくり返ったのになァ……
もう一度、深く煙を吸い込んで、ゆっくり吐き出す。
今日、
あの時に真っ先に浮かんだ顔が──
消した。また消した。すぐまた抹消した。
ヤツからの狂気を
だってオカシイでしょ。初めましてだったのに。
私の事を何知らないのに。
何か下心があるとしか思えない。
でも、私自身は普通のOL。顔だって普通だしスタイルも良くない。
下心の発揮対象が謎すぎる。何を求めてるんだあの男は。それに、本気なのか? 本気なわけないよな? 本気だったらそれこそ狂気だわ。
ヤツの本気が分からない。
何を考えてるのか分からない。
だから……ほだされたら危険だ。
そう頭では分かってるのに、この状況を楽しんでる自分もまた居る。これは……事実。
言葉の応酬を繰り広げるのは、疲れるけど……少し、面白い。
なんだろうか。
私に媚びて良い事なんて……
……あった。
一つだけ。
能力は一つしかない。
と、いう事はどっちか一人に引き継ぐ事になる。
だから媚びる。媚びて、私に能力を渡して欲しいのではないか?
……なんだ、そっか。
気づいてしまえばなんて事はない。
変に媚びる必要なんてないのになァ。
そんな事しなくても、恐らく私には渡す相手を選ぶ権利はないのだし、媚びてるにしても媚び方が多大に間違ってるし。
……なんだ、そっか……
……。
ん? 何か今私、ガッカリした?
何にッ?!
むしろ好都合だろ?!
喜べよ自分!!
「あちっ……」
煙草がフィルターまで焦げて指に熱を感じた為、慌てて灰皿へと放り込んだ。
大きなため息を一つつき、もう一本煙草を取り出して火をつけた。
大きく吸い込み、吐く。
白い煙が暗い夜空へと吸い込まれていった。
「ここに居たんだ、
リビングに接している窓を開けて、
「ああ、ゴメン。家ン中じゃ吸わないようにしてるから。匂いつくの嫌だし」
逃げてきたのは秘密。
しかし、もうその必要もなくなる。
私と同じようにベランダのヘリにもたれ掛かって夜空を眺める
「あのさ。能力をアンタに渡すのか
だからさ……もう、必要ないんじゃないかな」
「何が?」
「その……無理してアプローチする必要。私に媚びても、私には決定権ないよ?」
その言葉に、
私から少しだけ視線を外し、何かを考えてから再び私を見て口を開いた。
「
「……そりゃそうでしょうが」
そう素っ気なく返答すると、
「確かに。能力は欲しいよ。素晴らしい能力だ。後継者になれればこんな幸せな事はない。
でも……それと、
少しだけ悲しげに眉毛を下げ、また夜空の方へと視線を戻した。
なので私も夜空を見上げた。白い雲が切れて、間から一つ瞬いてる星が見えた。
それを見つめながら口を開く。
「……そんなわけないでしょう」
「そう? なんでそんな風に思うの?」
「だって、良く知りもしない相手なのに、その……オカシイじゃん」
「一目惚れだって言ったよね?」
「だとしても、熱量おかしくない?」
「そんな事ないよ」
「え? じゃあアンタ今まで好きななった女全員にあんな事してきたの? 良く捕まらなかったね」
「いや、こんなのは初めてかな」
「え? 何? 壊れちゃったワケ?」
ははっと笑って横目で
「そうだね。壊れたのかも」
その眼の真剣さに思わずたじろぐ。
言葉が続けられなくて、どうすればいいのかとアワアワと視線を泳がせてしまった。
その時ふと、
思わず身を硬くして一歩引くと
「俺にも一本頂戴よ」
私の手元に置いていた煙草を拾い上げた。
……ビックリした。
「吸わないモンだと思ってた」
素直にそう感想を述べた。
彼は慣れた手つきで煙草を一本取り出して咥える。
「……時々ね。どうしても欲しくなる時があるんだ」
そう呟きながら、煙草の箱を私の手元に戻してきた。
「火も頂戴」
そう促され、私は手にした煙草を咥えて煙草の箱を開いて中からライターを取り出す。
「ほら、ここに入って──」
ライターを手渡そうとした左手を掴まれ、スルリと腰に手が回された。
間近に迫る、
そして──
ジジッと煙草が燃える音がする。
私が咥えた煙草に、
ふと、彼が視線を上げて間近に私の目を覗き込んでくる。
「キスする思った? その期待、応えてあげようか?」
ほんの少しだけ。それは一瞬の出来事。
なのに、彼の顔が離れていくまでの時間は、恐ろしく長く感じた。
ベランダのヘリにもたれかかり煙を吐き出しつつ、挑戦的な笑みを浮かべる
顔が一気に赤くなるのを感じて、私はそれを悟られたくなくて、慌ててリビングへと逃げ帰って行くのだった。
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