第20話 猫耳パーカー女子が現れたんですが。

「ごめんね織部オリベさん! ボクてっきり女の子が暴漢に襲われてるんだと思って!」

 猫耳パーカーの袖をパタパタ振りながら、女の子がゲッソリした織部オリベさんにペコリと頭を下げる。

「ははっ……誤解が解けて良かったです……」

 眼窩がんかが落ちくぼむ程織部オリベさんが憔悴しょうすいしきってるのは、予想通り散々ルリさんに不審者変態人類の敵と口撃こうげきされたからだ。

 ……同情する。今回のルリさんの毒舌はまた一層キツかった。


 会社の応接室にて。

 猫耳パーカー娘の横には朱鷺トキさんが座り、向かいには私と織部オリベさんが。

 ルリさんはパーティションの向こうでパソコンに向かっているが、耳は完全にこっちの会話をキャッチしており、事あるごとに毒をブチ込んで来ていた。

「さて。じゃあ改めて紹介しようかね。

 この子は柚葉ユズハ。このビルの中に住み込みしてる。……先に言っちまうとね、この子も特殊能力者だよ」

 朱鷺トキさんが、改めて猫耳パーカー娘の事を手で指し示す。すると猫耳パーカー娘は両手を万歳させてニッコリ微笑んだ。

「はーい! ボクは柚葉ユズハ! よろしくね!! ボクの能力が必要になったらいつでも言ってね!」

 元気いっぱい挨拶してくる彼女──柚葉ユズハさんは、その言動は幼いが二十歳は過ぎているように見える。

「で、織部オリベはさっき紹介したね。こちらはアカネさん。今事情があってウチに護身術とかを習いに来てるんだよ。彼女も味方さ。安心するといい」

「はーい! アカネさんヨロシクね!」

「はい。柚葉ユズハさん、こちらこそよろしくお願いします」

「やだ堅い! ボクの事は柚葉ユズハって呼んで! 敬語もナシね!」

「あ、ハイ」

 そのあまりのテンションに、若干ついていけてないんだけど……

 それよりも、さっきの朱鷺トキさんの言葉に引っかかっている。

 


 今日聞いた話なんだけれど、この雑居ビル一棟が朱鷺トキさんの個人所有らしい。

 個人として会社に貸与しているというテイだと言っていた。

 で、朱鷺トキさん自身もこのビルの最上階に住んでるとか。

 じゃあ、柚葉ユズハ朱鷺トキさんの娘さんとか? ……あんまり似てない気もするけど。

 私が怪訝けげんな顔をしている事に気がついた朱鷺トキさんが私にその理由を尋ねてくる。素直に疑問を口にすると、朱鷺トキさんは『違うよ』と苦笑いを零した。

柚葉ユズハは私が身元引受けをしているだけだよ。……支局として、この子の能力は手放しがたいのもあるんだけど、それより何より──」

「それはねっ! 私が一日しか物事を記憶してられないからなんだ! 生活するのが大変だから、朱鷺トキさんが面倒見てくれてるんだって!」

 あっけらと明るく爆弾発言で、柚葉ユズハ朱鷺トキさんの言葉を遮った。

 ……え?

 朱鷺トキさんが、眉間を揉みほぐしながら、ふーっと一つ大きなため息をつく。

柚葉ユズハはね、前向性健忘ぜんこうせいけんぼうといって、体験した出来事の記憶を一日しか保持していられないんだ。寝たら記憶がリセットされてしまうんだよ。

 起きたら全てが知らない世界だ。普通の生活は出来ないからね」

 前向性健忘……? なんか、テレビで見た事がある気がする。

 そんな稀有けうな子が目の前に?!

 確か、自分が誰かも覚えてない事もあるとか。そんな生活……想像もできない。大変どころの話ではないだろう。

 でも、目の前に座る彼女には、その苦労や悲壮感は一切なかった。

 私と目が合った柚葉ユズハが、ケラケラと笑う。

「大丈夫だよ! ボク日記書いてるし! そこにちゃんと大切な事は書いてあるんだ! 朱鷺トキさんが味方だって事とか、ボクの名前とか能力の事とか。今日の日記にも、ちゃんとアカネさんの事も書いとくからね!」

 そうひたすら明るく喋る柚葉ユズハに、織部オリベさんがアワアワと手を振る。

「ああ柚葉ユズハさん! 僕のことは書かなくていいですからね! 明日の柚葉ユズハさんが混乱してしまいますから!」

「えー。残念」

 織部オリベさんのそんな言葉に、柚葉ユズハは目に見えてガックリと肩を落とした。


「さ、柚葉ユズハ。時間が勿体無いよ。ビルの探検はまだ済んでないんだろう? 行っといで」

「はーい!」

 朱鷺トキさんがそう促すと、柚葉ユズハはガバリと立ち上がり跳ねるように駆けて行った。

 まるで嵐の後。

 突然静かになったような気がして気が抜ける。

 朱鷺トキさんは、柚葉ユズハが消えた扉をジッと見つめながら、ゆっくり口を開いた。

「……山本ヤマモトさんは、そのうち柚葉ユズハの能力を体験してもらおうと思ってるんだよ」

 こちらを向いてはいなかったが、その眼光が鋭い事が見て取れた。

「隠していても仕方がない。

 私はね、蘇芳スオウが誰に殺されたのか……何故死んだのかを知りたいんだ」

 その、静かな声にゾクリとする。剣呑けんのんとした空気を帯びて、触れてないのに切れてしまいそうな予感がするほどピリピリしていた。

 ゆっくり振り返った朱鷺トキさんの眼は、私を射抜いてその場にはりつけにしてしまうほど強かった。

「……多分、詳細は覚えてないだろう? よっぽどの事だった筈だ。

 でも、山本ヤマモトさんの記憶が鍵なんだよ。辛い事だろうけれど……思い出してもらう」

 普段の上品な物腰とは裏腹のその声の厳しさに、思わずすくみ上がる。

「でも……思い出そうとしても……」

「分かってる。自分の力では無理だろう。その為の、柚葉ユズハの能力なんだよ」

 私の言葉を遮り、朱鷺トキさんは袖に手を入れて腕組みをする。

 一つ大きく呼吸をし、言葉と一緒に吐き出した。

柚葉ユズハの能力は記憶操作。記憶を強制的に思い出させたり、忘れさせたりする。

 すぐにとは思ってないけれど……そんなに悠長に構えているつもりもない。

 大丈夫。思い出して詳細を聞いた後は、その辛い記憶を忘れさせてあげるつもりだよ。

 ……それに」

 一度言葉を切り、朱鷺トキさんはスッと立ち上がる。

 私を見下ろしながら──それはまるで、死刑宣告のように冷たく言い放たれた。


山本ヤマモトさんが組織に入らないのであれば、私たちに関する記憶も消させてもらう。……全てが終わった後にね」

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