第5話

蝉の鳴き声が合唱のように聞こえる。

抜けるような青空とむせ返るような暑さが同居した日だった。

迎え盆から数日過ぎた頃。

美鱒町での出来事から1週間ほど経った頃。

龍亜は思い立ったようにこの場所に来ていた。

流れる汗もおかまいなしで、しゃがみこんでじっと目の前のものを見据えていた。

しかし、彼の両目は別のものをずっと見ていた。

『堂宮家先祖代々之墓』

御影石でできた墓誌には美名子の戒名と亡くなった日が刻まれていた。

突然、病に伏しこの世を去った祖母。

その葬儀で泣くこともできずに茫然自失になった自分。

悲しいのに泣けない自分とやさしい祖母との思い出の中で笑い続ける自分。

相反する二つの感情が、あの当時は自分の中にあった。

夏になると思い出されるほたるの思い出。

暗闇に舞う幻想的なまでに美しいほたるとそれを祖母と見ながら幸せだった自分。

あの時間は「永遠」だった。

「おばあちゃん…ひさしぶり」

ぽつっと一言だけそう呟くと龍亜はポケットからライターを出して、線香の束に火をつけ始めた。

ライターから伝わる炎の熱さが夏の暑さに拍車をかけた。

線香からもうもうと煙が立ち上り始めた。

煙が炎に変わる前に、ライターをしまい、立ち上がって線香を大きく振って2つに分けた。

1つは竿石のほうへ、もう1つは墓誌の前へと供えた。

空へ上っていく煙を見ながら、龍亜は美鱒町での出来事を思い出していた。

玲奈の身に起こった自分には説明のできない摩訶不思議な出来事。

玲奈を介して見た祖母 美名子の姿。

黒い御柱の化身の大蛇。

『庭園の錬金術師』と呼ばれるものたちの活躍。

どれをとっても信じがたい。

これらの話を誰かに話しても信じてくれないだろう。

まるで映画や小説の中で起こるような類いの出来事だった。

この世界には「別の世界」がある。

自分にはわからないけれど、目には見えないけれど、確実に存在する。

神も悪魔も悪霊も存在する。

神の御業と言われるものも、魔術・魔法と言われる類いのものも。

そして勿論、信じ難い悪魔の所業も同様に存在するのだと、そう肌で実感してしまった。

(おばあちゃんは俺に何か伝えたかったのか…な?

俺はなぜ、おばあちゃんの姿を見、声を聞いたんだろう?

あれは悪魔が惑わせるために見せたただの幻覚だったのか?

それとも、おばあちゃん…)

「健志くんやみゆきさんと同じように死んでからも彷徨って、苦しんでいるんだろうか?」

龍亜の問いに答えるものはなかった。

じりじりと照りつける太陽が降りそそぐだけだった。

答えを見つけられないまま、龍亜は目を閉じて手を合わせた。

少なくとも玲奈の除霊は成功し、みゆきを苦しめていた悪魔を封じ込め、健志も空に返すことができた。

健志が空に帰るときに迎えに来ていた霊の中に、美名子がなぜいたのかは皆目見当がつかなった。

健志にとって安心できる場所に行く瞬間に美名子が立ち会っているのならば、それは悪いことではないと龍亜は信じようとしていた。

「今、俺がここにこうしていられるのは、おばあちゃんのおかげだよ。ありがとう…」

それだけ言い残すと龍亜は立ち上がって、手桶に張られていた水を柄杓を使って辺りに撒いた。

水が太陽光でキラキラと七色に光って見えた。

三枡川と水蛇滝のエメラルドグリーンのあの涼やかな水を思い出しながら、清めるように墓の中を一周して水を撒ききった。

ほぼからになった手桶を持って龍亜は歩き始めた。

もう一度、振り返って墓を見て、心の中で呟いた。

(また、来るよ。おばあちゃん)


丘の斜面に段々になるように配置された墓地の間を縫って龍亜は水汲み場を目指した。

ちょっと動いただけで汗が滴り落ちる。

それを手で拭いながら、先を急いだ。

進んでいくと他の墓地にも墓参りに来ている人たちが見えた。

小菊や故人が好きだったものを供え、龍亜と同じように手を合わせる人たちだった。

あまりにも太陽がまぶししすぎて目が眩むので、額の前に左手を差し出して日陰をつくった。

家族総出で墓石を磨き、水をかけている姿や小さな子供の手を引き墓地から立ち去ろうとする家族もいた。

「お盆だもんな…」

自分はひとりきりなんだと思いながら、他の家族の様子を羨ましそうに眺めずにはいられなかった。

もうすぐ水汲み場というところで、龍亜は立ち止まった。

視界に入ったのは墓地に隣接する丘陵地に咲く真っ赤な数輪の曼珠沙華だった。

「こんなところにも咲くのか」

(いや、元々曼珠沙華はこういうところに咲く花だっけ)

曼珠沙華の開花時期は本来9月の秋分ごろ。

墓地の他の場所では咲いていなかったので、一瞬で視線を奪われてしまった。

三升川のほとりで最後に見たあの曼珠沙華を思い出していた。

ぼんやりと見ていると不意に聞き覚えのある「声」が聞こえた。

(…龍ちゃん…)

「?」

曼珠沙華が風に揺れていた。

(…龍ちゃん…)

「おばあ…ちゃん」

懐かしい祖母 美名子の「声」だった。

あたりを見回したが姿は見えなかった。

(龍ちゃん、ありがとう…)

「何処だい?返事して!会いたいんだ…姿、見せてよ」

(いつでも、そばにいて見とるから)

自分のすぐそばで美名子の気配がした。

祖母が好きだった石けんの香りもかすかに漂っていた。

龍亜は後ろを振り返り、横にも意識を向け必死になって祖母の姿を探した。

(自分のこと、大事にしてな…)

あたたかくやさしい手が龍亜の頭を撫でた。

「おばあちゃん!」

カランカランッ!

大きな音を立てて、手桶が地面に転がった。

持っていた手桶を落としてしまったからだ。

その音でハッと我に帰ると目の前にあったはずの曼珠沙華が消えていた。

幻覚を見ていたのだろうか。

それとも白昼夢?

龍亜は呆然としてその場に立ち尽くしていた。

あれは間違いなく美名子の声だった。

ずっと聞きたいと、会いたいと熱望していた美名子だった。

自分に霊能力の類いはないことはわかっている。

しかし、今起こったこの現象は一体なんなのだろうか。

「自分のこと、大事に…か…」

美名子の言葉を口に出してみた。

美鱒町を訪ねる前の自分の姿はどうだったのだろう。

美鱒町でのあの事件の後の自分の姿はどう変わったのだろう。

確かにあの事件は自分のものの見方を180度変えてしまった。

以前の自分ならこの手の話は気のせいや思い違いだと思って一笑にふしていただろう。

だが、今は違っていた。

あの経験をした自分なら。

赤い曼珠沙華の花。

戻ってきてからネットで曼珠沙華のことを調べてみたことを思い出した。

あの花の別名はたくさんあるが、中でも目を引いた名が2つあった。

「葉見ず花見ず」と「龍爪花」

花のある時期に葉がなく、葉のある時期に花はない

他の植物は見られない「特徴」を持つ花であることから付いた別名。

龍爪花は放射状に咲く舌状花が龍の爪に似ていることから付いた別名。

龍爪…

龍亜は微笑んだ。

だからあんなにあの曼珠沙華のことが気になっていたのかと。

あの曼珠沙華こそ祖母からの無言のメッセージではなかったのかと思った。

(ああ、おばあちゃん。そうだな。見ててくれ、俺らしく生きていくよ…)

龍亜は地面に転がっていた手桶を拾い上げると頭上に広がる青空を見上げた。

その青空の遥か彼方にいるであろう祖母のやさしい笑顔を思い出しながら…。


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