運営様、目覚める。

マティアス様がシル様を送りに、国境へ旅立って早10日。

私はというと、とてつもなく平穏で退屈な日々を送っている。


『自分の身を第一に、安静に過ごしてくれ』


まるで私が問題行動を起こしがちな子みたいに……。彼は自分の方が死亡フラグに愛された存在だと、まったく気づいていない。

妻の妊娠中なんてそれこそ死亡フラグじゃないかと、心配なのはこっちの方なのに!


道中、マティアス様を何としても助けて欲しいとシル様には頼み込んでおいた。彼女は乙女ゲーの内容を知っているので、いかに私の推しが死にやすいかも知っている。


熟知している。


『たった一人のジモティーのためだもの……!任せて、マティアス様が生きて帰れるように最善を尽くすわ』


ガシッと手を握り合った私たちは、間違いなく親友だ。

見送りのとき、レオナルド様はちょっと引いていたもんね。まぁ、事情を知らない人から見れば、この短期間でよくそれほど距離を詰めたなって思うだろう。


転生者同士の友情は、とっても深いのだ!




それにしても、もう10日も経ってしまった。

ハルトくんも一緒に国境へ行ってしまったから、今回は私に萌えが供給されることはない。奥様ギルドの仲間たちが遊びに来てくれたり、実家の母が来てくれたりはするけれど、とにかく暇。


絵を描くと絵の具のにおいで気分が悪くなるから、おちおち同人誌も作れない。彫刻も、道具や粘土のにおいがする。


普段は気づかなかったけれど、いかににおいに囲まれて暮らしていたかよくわかる。


今日も私はドライフルーツや豆をポリポリしつつ、推しの帰りを待つ。


しかし平穏は突然に破られた。

穏やかな昼下がり、運営様・・・の検閲がくると連絡が寄越されたのだ。


「お、お義母様がいらっしゃる……!!」


「若奥様!お召替えを」


油断しきっていて寝間着のままだった私に、シアが血相を変えて衣装を持ってくる。若草色の地味なドレスは、お腹周りにゆとりがあるデザインで生地が軽い。


歩きやすくて過ごしやすいそれを纏うと、次は髪をせっせと結われる。さらさらの黒髪は、瞬く間に後ろですっきりと編み込みにされて白いリボンで結ばれた。


「奥様、こちらを」


「ありがとう」


ショールを手に、お出迎えの準備に向かう。

貞淑な妻、清楚系を気取って運営様のごきげんを伺う計画だ!


「お義母様がいらっしゃるなんて、びっくりだわ」


「そうでございますね」


マティアス様のお義母様は、ルーシー・オーガスト子爵夫人。通称・運営様は、ほとんど子爵邸から出ない。ご長男を亡くされたショックで、冠婚葬祭の他はほぼ邸の中で過ごしていると聞く。


これでマティアス様まで早逝していたら、お義母様がどうなっていたことか。生きているだけでファンサならぬママサである。


マティアス様によく似た濃茶色の髪はゆるやかなウェーブで、すっきりと後ろに纏めた気品あるご夫人だ。今年45歳で、年相応の淑女。私とは、つかず離れずの普通の関係である。


グリーティングカードなんかは季節ごとに送り合うけれど、用事がなければ会うことはない。私もお義母様も、引きこもりだからね!ちなみに、私の趣味については秘匿している……。


だから、あまり突っ込んだ話はできないので、今日はどうやって差しさわりのない会話をしてやり過ごそうかが課題だった。


「うぷっ……!」


「あぁっ、若奥様。やはりサロンで座ったままお迎えしては」


お義母様が来るので、シェフがお菓子を作っているのだろう。厨房から甘いにおいが漂ってくる。普段ならいいにおいだと思えるけれど、今の私にはただの異臭だった。


ショールで鼻と口を覆い、どうにか玄関までたどり着くと、そこにはすでにお義母様と侍女がいた。


「突然ごめんなさいね。あら、それほど顔色が悪いなんて……」


私を見たお義母様が、顔を顰める。けれどそれは不快という表情ではなく、私に対する気遣いが伝わってきた。


「いえ、お越しいただきありがとうございます」


うふふと笑ってご挨拶すると、お義母様はたくさんの荷物を家令に預け、私たちと共にサロンへと向かう。


ゆったりめのソファーに腰をかけると、すぐにシアがクッションやショールを運んでくる。大げさね、と思いつつもこれもきっとマティアス様から言い使っているんだと思うと、仕事を邪魔するわけにいかないから受け入れるしかない。


お母様は紅茶を口にして、控えめに笑った。


「おいしいわ。これはマティアスが?」


「ええ、お義母様がお好きなお茶だと聞いています」


テーブルに用意したお茶は、紅茶の茶葉に香辛料を入れたもの。チャイに近い味のする、好き嫌いが分かれる銘柄である。


気に入ってもらえたようで何よりだ。


「あの子が私の好きなお茶を覚えているなんて」


カップに視線を落とし、お義母様はふと目を細める。


「マティアスとは」


「はい」


「……会話はある?怖くないのかしら?」


それ、ハルトくんからも何か聞いた気がするー!


「大丈夫です!マティアス様はとっても優しくて、私のことを大事にしてくださいますから」


推しのデレは最高です!

つい頬がだらしなく緩む。


「あなたにこんなことを話すのは何だけれど、これまでにも婚約の話はあったの。けれど、どのお嬢さんも『会話が続きません』とか『一緒にいると威圧感がある』とかで……うまくいかなかったのよ」


「まぁ!見る目のないお嬢さんたちでしたのね!私にとってはうれしいことですけれど」


会話が続かないなら、あのご尊顔をただただ眺めていればいいのに。推しの絵画鑑賞だと思えばいい。


「だからマティアスが結婚しただけでも驚いたのに、こんなに早く子どもまでって思ったら、もううれしくて。つい、つわりの終わる頃を待てずに様子を見に来てしまったの」


「ふふっ、喜んでもらえて何よりですわ」


必ずや、マティアス様にそっくりな子を……!私は毎日神様に祈っているから、きっとこの願望をかなえてくれるはず!


まだ見ぬ我が子を妄想し、ニヤニヤする私。

けれどお義母様は、ここで少し淋し気に笑った。


「いいのよ。男の子を産まなくても」


「え?」


騎士の家系では、男の子を産むのは絶対じゃないの?

目をぱちくりする私に、お義母様は告げる。


「オーガスト家は、王家の盾。男児を産めば、その子は騎士となることが決まっています。ハルクライトのようにあまり騎士に向かない性格でも、他に道はないのです」


「そう、ですか」


確かに、騎士の家に生まれてしまえば職業選択の自由はほとんどない。

自由になる=勘当される、この図式になっちゃうもんなぁ。


ハルトくんが画家になることは(まぁ、本人がなりたいとは思っていないみたいだけれど)、オーガスト家の子である限りは無理なのだ。


「夫はもちろん騎士となる男児を望んでいますが、わたくしは……」


あぁ、そうか。お義母様は、長男さんを亡くしているから、孫を騎士にしてその子まで亡くなってしまったらって心配なのね。


だから男の子を産まなくてもいいって。


「騎士団長の娘であるあなたなら、覚悟はしているかもしれませんが」


お義母様ー!まったく覚悟できていませんっ!!

わたし、中身は日本人なんです!荒事にめっぽう慣れていない日本人なんですー!!


今さら現実の重さをずっしりと感じ取った瞬間だった。


「お義母様」


「?」


「わたくし、破壊兵器と防御シェルターの研究に打ち込みますわ!」


「え?」


こうなったら、前世の知識を総動員して武器と防具の研究を……!




って、普通のOLにそんな知識はない!!!!!!!!!




いやぁぁぁ!

こういうときって、異世界転生無双なんじゃないの!?

まったく無双できないのよ、だって転生したのが私だから!!!




お義母様がドン引きしているが、私はどうにか夫と子どもを死なせない手段を考えなくては。


「どうしよう、ガンダムって作れる……?そもそもロボやメカがいないのに、モビルスーツってすぐ作れないよね」


「何ですか?そのガンダムとは?」


「人型の有人機動兵器です!」


「えーっと、ごめんなさいね。わたくしが世情に疎いばかりに、フォルレットの言うことがまったくわからないわ。最近ではそのようなものがあるのね」


ないです。お義母様。


「えーっと、どうしてこんな話になったのかしら?わたくしが、あなたに子の性別の話をしたからよね?ごめんなさい、気にしないで。とにかく、男児を産むことを重荷に感じなくていいとだけ覚えておいてくれたら」


「はい。お義母様。ありがとうございます!男女どちらでも、マティアス様に似たかわいい子を産みたいと思います!」


「……女の子でマティアスに似ているのはちょっと、それはまた婚期に恨まれそうなんだけれど大丈夫かしら」


「モテすぎて恨まれるってことですか?心配ですよね、おかしな男性に言い寄られるのとか」


きっと美形になるに違いない。

母として、娘の相手には目を光らせないと!


あれ、親って忙しいなぁ。お父様が私にマティアス様を紹介したのは、変な男に騙されないか心配だったからかな。


自分が親の立場になると、信頼できる相手を紹介したいという気持ちがよくわかる。

だいたい、フォルレットったらあんな顔だけの腹黒プリンスに恋して、しかも嫉妬から刃物を握るような運命だったんだもの。


うわぁ、考えただけでゾッとする。

レオナルド様なんて、エレノアにしつけて差し上げるわ。


私が一人でうんうんと頷いていると、サロンの扉から家令がそっと入ってきた。


「若奥様、アレが届きました」


「アレ、が……?」


そうだ。今日は同人誌が届く日だった!

手先の器用な若い女性や平民の未亡人を雇って、同人誌の大量生産を手伝ってもらっていたのだ。この世界で夫に先立たれた女性は、とんでもなく苦労する。身売りする人もいるくらいだから、同人誌の製作で雇用を生み出せたらとレオリー様がアドバイスをくれて、とうとう計画はスタートしていた。


家令がスッと差し出してきた一冊は、男装騎士に恋をするお嬢様のお話。

宝塚歌劇をオマージュしたパクったやつで、ちょっとだけ百合っぽいお話である。


「フォルレット、それは?」


「え」


お義母様の目がきらんと光る。

まさかこのタイミングで同人誌が見つかるとは!


「えーっと、あのその、慈善事業の一環で本を製作しておりまして」


「まぁ、それは素晴らしいわ」


嘘は言っていない。

最近は、シアがどぎついBLも製作しているけれど、マニアのための会員制販売だからそれはさすがにまだ外に発注していない。


お義母様は私の手から同人誌を取り、パラパラと中を読み始めてしまった。


「あ、あのお義母様……?」


「…………」


ものすごい集中力で、漫画を読んでいる。

それから一時間。全三冊を読み終えたお義母様は、宝塚(?)の世界にどっぷり浸かってしまっていた。


マティアス様、ごめんなさい。


沼とは異世界共通なようです。


翌日から、お義母様が同人誌製作に力を入れ始めてしまったのだった。


「っ!お義母様!!素晴らしいです!この焦れ焦れがたまりませんわ!」


一気呵成に書き上げたというお義母様のデビュー作は、政略結婚でありながらすれ違いが続いてなかなか夫と気持ちが通じ合わないお話だった。


私はすぐにこの原作から絵を描き、つわりも忘れて漫画を描いた。


「締切り前は泊まり込みで手伝うわ!」


「はい!コミケまで一緒にがんばりましょう!お義母様!!」


「もちろんよ!あぁ、これほどまでに生きがいを感じられたのは初めてだわ!!」


帰ってきたマティアス様が、オタクが感染した実母を目の当たりにして、しばらく遠い目をしていたのは気のせいじゃない……。




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