命大事に、趣味大事に。

ハルトくんの異動話が持ち上がり、三日。

私はシル様と一緒にのんびりとお茶をしていた。


相変わらずお忙しいマティアス様は、今日もお城。レオナルド様や来賓が集まる会議の護衛を任されている。


「あら、この蜂蜜パイおいしいわね」


「この国は蜂蜜がいっぱいとれますから」


「もっと輸入させるわ」


シル様は決断が早い。欲に忠実な人なのだ!

そして推しへの愛も深い。


「ハルクライト様はどうしているのかしら。筆を洗って差し上げたい。絵を乾かすのを手伝って差し上げたい」


「助手ですね」


平和そのものの温室で、シル様は恋する乙女の顔でため息をつく。


マティアス様の話によると、レオナルド様の命令なので嫌とは言えないけれど、お義父様はハルトくんに対して不満げだったという。

端的にいえば、「おまえが諜報部なんぞにスカウトされないくらい、剣で活躍できていればよかったんだ」ということらしい。


体育会系パパんの圧はすごく、ハルトくんは終始おびえた感じで報告し、逃げるように寮へと戻っていったそうな。さすがのマティアス様も父を宥めることはできず、親子は冷戦状態。いくら文句を言われても、「もう決まっちゃったし」「決めたのは腹黒プリンスだし」という現実があるからこれ以上どうしろと?


私にできることと言えば、シル様とのんびり過ごすことくらいだった。


でもここ数日、はりきって邸の中を案内したり、おいしい料理やお菓子をフルで食べたり、慣れないことを立て続けにしたから胃がむかむかする。


シル様には蜂蜜のお菓子と紅茶を用意しているが、私はホットミルクを飲んでいた。


「若奥様、お加減はいかがでしょう?」


侍女のシアが心配そうにして、ひざ掛けを持ってきてくれた。私に何かあるとマティアス様がどうなるかわからない、と使用人全員が気を遣ってくれている。


「ありがとう。大丈夫よ、全然元気。同人誌の続きも描かなきゃ、コミケに間に合わないわ」


「コミケなんてやるの!?」


シル様が目を見開いている。


「はい、奥様コミュニティマーケットで略してコミケです。ただのバザーですが、私はそこで同人誌もひっそり販売します」


他の奥様は菓子や刺繍、小物を手作りして販売するけれど、私は同人誌である。手作りなら何でもいいっていうんだからアリだよね!?


開催は二か月後だけれど、印刷会社がないから手作業で本を増刷しなくてはいけない。これがものすごく大変で、1日に1部しかできない。奥様仲間にしか売らない予約制だから可能だけれど、私は今後もっとたくさんの同人誌を展開しようと目論んでいるのだ。


「とりあえず、キャラで実名は出さないということでマティアス様公式から許可が下りましたから、騎士と姫の身分差物語や騎士BLを量産したいんですよね。じっくりファンを増やしていけたら」


「素敵!私も参加したい!ミッドランドに戻った後、招待状を送ってね」


「わかりました!」


優雅にお茶会をしていると、ここで家令からマティアス様が戻ってきたとまさかの知らせが入った。私はシル様に待っていてもらい、慌てて玄関へと向かう。


パタパタと駆けていくと、ちょうど戻ってきたばかりの彼と目が合った。何だか結婚してからますますかっこよくなった気がする……!


凛々しさが増して、逞しさも磨きがかかり、どこをどう取っても文句のつけようがない立派な騎士。こんな人が私の夫だなんて、転生してみるもんだと心底思う。


「おかえりなさいませっ!」


「ただいま、フォルレット」


飛びついた私を抱き留めたマティアス様は、いつも通り優しい笑みを浮かべる。黒い隊服からは、外の空気の匂いがした。すりすりしていると、困ったような顔でそっと私の肩に手を添える。


「調子が悪いと聞いたが、元気そうでよかった」


え、誰だ。しょうもないことを伝えたのは。

ちらと家令に目をやると、にこにこしている。まったく読めない。できるおじさん過ぎる。


「大丈夫です、マティアス様のお姿を観たら元気になりました!」


はい、公式からの萌え供給は一番の薬です。

けれど、マティアス様は表情が晴れない。


安心させようとにこりと笑って見せる私に、予想外のことを告げた。


「医者を呼んだ。診てもらった方がいい。シル様もおられるから、風邪だとしても大事をとって休む方がいいだろう」


「お医者様ですか!?それは大層なことですね……」


「大層なこと?私にとって君以上に大事なものはない」


「うっ!」


マティアス様が優しい!

今すぐこの場で転がりまわりたいくらい萌えた。どうしよう、幸せすぎて死ぬ。


「ほら、とにかく部屋へ」


「はい」


医者って、もう呼んじゃったなら仕方ないか。

そう思って私はシアにシル様への伝言をお願いし、マティアス様と共に部屋へと向かう。


着替えを手伝おうとすると、「いいから座っていて」と言われてソファーに促され、しかも他の使用人によってひざ掛けをセッティングされてショールを肩から掛けられる。


「私は病人ではないですよ……?」


「だとしても。もしかすると、ということもある」


もしかすると病気ってこと?


「そんな重病人みたいに」


「いや、病気じゃなく他のことだったら」


「他?」


きょとんとしていると、マティアス様は私の手を握って軽く頬に口づけた。


「うぐっ……!」


やだ、もうこんな新婚さんみたいなっ!

って新婚さんだった。


ときめきすぎて悶えていると、低い声が耳のそばで囁かれる。


「いいからそこでじっとしていて」


「はい……」


使用人の生温かい視線を浴びつつ、私はおとなしくソファーに座って待機していた。




そして十五分後、やってきたお医者様に寝室で診察を受けることに。

お医者様は40代くらいの口髭がダンディな人で、白い羽織りに臙脂色の勲章をつけていることから王宮医師であると推察できる。


え、待って。

私ごときに王宮のトップ医師がくるのおかしくない!?これってまさかじゃなくてもレオナルド様の差し金よね!?


「ベッドに横になってくれますか?」


言われた通りにベッドに上り、そこに座った私はゴクリと唾を飲み込む。


「あの」


「はい、なんでしょう」


「人体実験ですか」


「は?」


お医者様が首を傾げる。


だってレオナルド様が絡んでいたら、絶対に何かあるよね!?


瞬時に私の心を読んだマティアス様は、慌てて否定した。


「フォルレット、医者を頼んだのは私だ。レオナルド様は紹介してくださっただけで、この件にはまったく関与していない」


関与って言い方がもう犯罪者の話っぽい。

でも私がマティアス様を信じないなんてありえないので、「そうか、そうなのね」と素直に言葉を信じる。


「えーっと、奥様がご懐妊かもしれないということで呼ばれましたが、診察しても?」


「………………は?」


今、この人なんて言った!?ゴカイニンって、ご懐妊?

まったく予想もしていなかった言葉に、私はびっくりして呆気にとられる。


タオルを用意していたシアも目を丸くして尋ねてきた。


「え、奥様。まさかちっとも、これっぽっちも予想していなかったんですか?」


「え?あぁ、ええ。そうね、ご懐妊?えーっと」


「先月も月のものが来ておりませんから、ご懐妊ではと若旦那様にご相談したのですが」


そうか!?

そうよね!?


結婚してあれほど熱烈に愛し合っていたら、「体調がよくない」=「ご懐妊」って図式になるか!?しまった、自分にそんなことがあるなんてこれっぽっちも思っていなかった。


どうしよう。

自分という生き物が迂闊すぎて情けない。なんで今まで、妊娠の可能性に気づかなかったんだろう!?頭の中の全部がマティアス様で埋まっていて、妊娠なんて二次元の話だと思っていた。


しんと静まり返る部屋。


「妊娠?私が」


マティアス様とお医者様の顔を見比べる。

二人とも「多分そうだろうな」という表情をしていた。


この場で思考が追い付かないのは私だけらしい。


「診察を、お願いします……?」


ちょっと疑問形になってしまったのは許して欲しい。

だって実感がないのだから。


おどおどしっぱなしの私はマティアス様に手を握ってもらい、この世界の妊娠判定機だという白い宝石のついた杖みたいなものをお腹に近づけられる。


「石が緑になったわ」


真っ白だった部分がゆっくりと緑色に染まっていき、これで命が宿っているとわかるという。


「おめでとうございます。まだ安心はできませんが、三か月はなるべくゆったりとした気分でお過ごしください」


おめでとうございますっていうことは、私が妊娠!?

まったく実感がない。


この後の問診と触診で、どうやら私は血圧が低くて貧血気味だということで、お薬をあとで処方して持ってきてもらうことになった。


お医者様が帰った後、私はマティアス様と二人きりで過ごす。


「転生者でも妊娠するのね」


この身体は、一応健康で普通の女性だからそりゃそうなんだけれど。ベッドの上に座ってぼんやりする私を見て、隣に座ったマティアス様が穏やかな微笑みをくれた。


労わるように腕を回され、そっと背中を撫でられる。


「フォルレットの身体が一番だから、しばらく外出せずゆっくりしてくれ。食べたいものや欲しいものがあれば、すぐに用意させる」


「ふふっ、ありがとうございます。でもこれ以上甘やかされたら、ダメ人間になっちゃいますよ」


これからつわりがくるんだろうし、あんまり食べられないだろうな。


知らんけど。


適度な運動は必要だって言わない?家から出なくていいんだろか?


知らんけど。


「どうしましょう!マティアス様、私何にも知りません!これからどうしたらいいのか……!食べなきゃダメだけれど食べ過ぎてもダメって言いますよね!?あああ、どうしたらいいんでしょう?絵はいいのかしら?マティアス様の騎士団見学もできなくなっちゃいますよね!?」


ひぃぃぃ!ライフワークがぁぁぁ!


あぁ、でも大事な大事な我が子を産むため。

そしてこの子は私の子であるよりも前に、マティアス様の子なの!絶対に無事に産まなければ!!


「大丈夫、落ち着いて。妊娠中の生活を見守ってくれる世話役もつけるから、心配しなくていい。あれがいい、これがいいと言われていることはたくさんあるが、結局は君が楽しそうに笑って過ごしているのが一番いいと私は思うよ」


「マティアス様……!」


それなら、あなたを愛でているのがいいってことですね!?


「騎士団の見学はダメだが」


「え」


やっぱりダメか。

でも絵や同人誌づくりはやめられない。命も趣味も大事ですよ!!


こうして私の平穏な妊娠生活はスタートした。





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