疑惑の人

翌日、朝早くから私は刺繍の先生のお宅に向かった。数日後の式典でマティアス様に持ってもらうハンカチの刺繍がいよいよ仕上げなのだ。


刺繍なんて小学校の家庭科でしかやったことのない私は、異世界にきてもっとも困っているものがそれである。

名前くらいはすぐできたけれど、複雑な模様となるとその難易度が高すぎてかなり作成に時間がかかる。


このハンカチも、二ヶ月前からせっせと作っては失敗してを繰り返している。

馬と剣をモチーフにしたら、最初はカピバラとイカリみたいになってとても人に見せられない代物だった……


「ふっ、人間やればできるものね!」


オタクの本気ってすごい。

あくなき探究心と手先の器用さ、そしてマティアス様への愛で何とか美しい刺繍が完成した。


彼の名前と私の名前も入れてやった。

痛ハンカチと言われようが構うものか。新婚時代にしかできないことだと思うしね!


完成したハンカチをキレイにラッピングして、私はシアと共に先生の屋敷を後にした。


「あ、マダム・シェリーヌのお店に寄りたいの!今日はマティアス様が早く帰ってくるらしいから、甘味を食べてもらって疲れを癒してほしいから」


「わかりました」


御者がにこりと笑って頷いた。

マティアス様は意外に甘いものが好きで、特にマダム・シェリーヌのチーズケーキはよく食べてくれる。


最近お仕事がハードだから、甘味を食べてほっこりしてほしいのだ。


シアは「お昼ごはんに間に合うように戻れたらいいですね」と言って馬車に乗り込み、私の向かい側に座った。


お店にはすぐに到着し、私たちはお目当のチーズケーキを買ってすぐに立ち去ろうとする。

しかしお店から出ようとしたところ、まさかのガーク様と出くわした。


「「え!?」」


昨日の今日だ。

まさかの再会である。


「ごきげんよう、ガーク様。どうなさったのですか?」


私たちは店の外で立ち話をする。

どうやらガーク様はお店の中で待ち合わせらしい。

今日は私服で、非番だと思われた。


「まさかデートですか?」


きゃっとわざとらしく手を口元に添えてそう言えば、ちょっとはにかんだ顔がそれを肯定していた。


え、何この美形のはにかみ。

かわいすぎだろう。


「えっ!?お相手は!?」


「あ~、えっと……副団長の姪でね。先月見合いしたんだけれど、それでまぁ」


「そうだったんですね」


ヒロインに恋するとヤンデレになるガーク様だけれど、今のところその片鱗は見られない。

これは大丈夫そうだな、と勝手にホッとした。


「どうかお幸せに!!」


「あ、ありがとう」


前のめりな私にガーク様はちょっと引いている。

でもそんなこと気にしちゃいられない!これは盛大にお祝いしなければ!!


私は満面の笑みでガーク様に手を振り、馬車まで戻った。




◆◆◆




その日の夕方。

これまでにない早さでマティアス様が帰宅した。


二階にいた私はすぐに手を洗い、早足で玄関へと向かう。


「フォルレットは?」


「ただいまこちらに」


マティアス様は、いつも通りの精悍な顔つきで邸の中に入ってきた。

階段を下りていた私は、その姿にときめいてしまう。


「おかえりなさいませ!」


ドレスの裾を両手でつまみ、早速記録を出すつもりで階段を駆け下りる。


ところがマティアス様は、私を見つけるとすごい勢いで階段を上ってきた。


「どうしたんですか!?」


「話がある」


「うへっ!?」


マティアス様は私の目の前に来ると、一瞬でその腕を回して担ぎ上げた。


「ぎゃあっ!」


「若奥様!?」


みんなびっくりしてる!

私もびっくりしてる!!


「部屋に誰も近づくな」


「ちょっ……!?何があったのです!?」


私は小脇に抱えられ、あっという間に部屋に戻された。

わけがわからず目を瞬かせていると、鍵まで閉めたマティアス様は私のことをそっと床に下ろす。


「あの……?」


顔が険しい。

いつもなら、玄関で私を見つけた瞬間に目元が和らぐのに。


「マティアス様?」


「……」


どう見ても様子がおかしい。

その頬に手を伸ばすと、手が届く前にぎゅうっと抱きしめられた。


「ど、どうされました!?」


何!?働きすぎで壊れた!?

それとも淋しかったの!?

痛い。

いつもは加減してくれるのに、ものすごく痛い。


「い、痛い」


「フォルレット」


「はい?」


「私に何か言うことはないか」


「言うこと?」


なんだろう。


「おかえりなさい」


「……そうではなくて」


ん?

何を求めているんだろう。


私を少し解放したマティアス様は、まっすぐ見下ろしてくる。

あぁ、今日も青い目がきれい。好き。


うっとりしてしまいそうだけれど、何か言うことよね、何か言うこと……


私は満面の笑みで言った。


「大好きです!!」


「っ……」


あれ、これも違ったかな。

目を逸らしたマティアス様は、困ったように顔をしかめる。


「マティアス様?どうしたのですか?」


愛してる、の方がよかったのだろうか。

このクイズむずかしい。

真剣に悩んでいると、マティアス様が大きなため息をついて言った。


そして、獲物を狙う目で私を追い詰めてきた。


「昨夜どこにいた?」


「は!?」


驚きのあまり絶句する。

なぜバレた!?

なぜ出かけたことがバレた!?


うろたえていると、マティアス様は私の顎に指をかけてさらに尋問した。


「どういうことだ?ガークと共にいたと聞いている」


「はぃ?」


「昨夜、見回りの兵が君とガークが密会するのを見たと」


「密会!?」


それ絶対に違う。

忍んで行ったけれど密会ではない。


「一緒に馬車に乗り込むのを見たという者もいた。しかも今日も街で一緒にいたという話も耳にした」


「え!それは偶然です!」


「君は私の妻だ。たとえ心変わりしたとしても、絶対に手放せない」


もしかして勘違いしてる!?

私に浮気フラグが立ってるの!?

ちゃんと説明しなくては!!私は彼の胸に手を添え、必死で訴えかけた。


「マティアス様、違います!誤解です」


「確かに私はこのひと月ほど君にあまり構ってやれなかった……!ガークは人を思いやれる優しい男だから、君が心変わりしても無理はない」


「待ってください!どうしてそうなるんですか!?私たちは何も」


「私たち?君が私たちと言っていいのは、夫である私だけのはずだ」


「えええ」


しんと静まり返った部屋。

沈黙が重い。

私が浮気なんてするわけない。部屋を占拠していっている人形や絵は愛の証なのに。


「私の気持ちを疑ってるんですか?こんなに愛してるのに!」


「ではなぜ外に出たんだ?ガークと逢引していたと思われても仕方ないだろう」


「逢引!?私はあなたを追って……!」


あぁ、もう。

シアを呼んできて、説明してもらうしかない。それがいい。


そう思っていると、マティアス様がふっと笑った。


「マティアス様?」


「冗談だ」


「は?」


え?

壊滅的に冗談のセンスがないですよ!?


「部下や仲間から話を耳にしたのは本当だが、フォルレットが浮気したなんて微塵も思ってない」


「……ですよね!?私の愛を疑ってませんよね!?」


王国一の重い妻である自信がある。

ホッと息をつくと、マティアス様は私の黒髪を撫でて静かに諭した。


「だが、誤解されかねないことをしたのは事実だ。そこは反省と説明を」


「はい」


見逃してはくれなかった。

尋問口調であることは気になるけれど、贅沢言っちゃいけない。


ここでようやく私たちはソファーに座り、私は彼の膝の上に座らされる。


「あの……話しにくいんですが」


「問題ない」


諦めて白状すると、マティアス様は眉間にシワを寄せた。


酒場で女性と会っていると聞き、居ても立っても居られなくなってあなたを尾行しましたという事実。

そこで偶然ガーク様に会って、送ってもらったのだと。


「何も告げずに、毎夜遅くなっていたのはすまなかった。任務の内容を話せないからといって、行き先くらいは告げておくべきだった」


「いえ、お仕事なのでそれは仕方ないです」


もともと口数の多い人じゃないし、正義の人なんだから浮気なんてしないってわかりきっていたのに。


「でももう二度とこんな風に、夜中に勝手に出歩かないでくれ。何かあったらどうするんだ」


家令にも告げず、護衛と侍女の三人だけで出かけたことがダメだったらしい。


「ごめんなさい……最近お忙しかったから不安になったんです。私、ただ家にいるだけで、絵とか彫刻とか作ってるだけで仕事もしていないし、マティアス様を観察しすぎだし、子供もいないし、飽きられたのではと」


「飽きる?」


私は、彼の青い目をじっと見つめて頷いた。


「酒場にはキレイな人もたくさんいるでしょう?お城には侍女もたくさんいて、マティアス様なら結婚していても多くのお誘いがあるのでは、と」


私みたいな者が出てくるかもしれない。

推しを推しとして見守るだけじゃなく、お近づきになりたいって人もいるはずだ。


「自信がなかったんです」


しょぼんとしていると、彼は私の額に唇を寄せた。


「私の妻は君だけだ。何を不安に思うことがある?」


「ですが、第二夫人や愛人のいる人も多いから、もしかしたらって……」


だんだんと声が小さくなるのは、彼の視線に耐えられなくなってきたから。


「信じていないわけじゃないんですが、ただ不安で」


「そうか……」


俯いていると、そっと頭を撫でられた。


「君が楽しそうにしているから、私はそれに甘えていたのかもしれない」


「マティアス様、そんなことは」


はい、おもいっきり楽しんでいました。そこは間違いないです。


毎日充実しています。暇なのは暇なのですが、とてつもなく創作意欲が湧いてくる日々で楽しいです。


「私は君以外の妻を娶るつもりはない。愛人などもってのほかだ。それは信じて欲しい」


「信じます。昨日もこっそり見に行ったまではよかったんですが、途中で『あれ?何で来たんだろう』って思っちゃったんです。マティアス様が浮気なんてするはずないのにって」


私としたことが、推しがまじめで誠実な人だって知ってるはずなのに。

彼はようやく穏やかな笑みを浮かべ、キスをしてくれた。


いつもより執拗に唇を貪られ、恥ずかしくなった私は必死に身を逸らして逃げた。


逃げられて不服そうなマティアス様。

ううっ、そんな顔も好き。


「私のこと、まだ好きですか?」


上目遣いにそう問えば、答えるより先に口づけが落とされた。


「まだ、とは?これからも、この先も、ずっと君だけを愛している」


ふぐぉっ!!!!

強烈な一撃を見舞われ、私は思わず口元を手で抑えた。

これは致死量の甘味料だ……!


しかもクスリと笑ったマティアス様が、私を抱き寄せつつ耳や首筋を甘噛みするという暴挙に出る。


「ダメです……!今日は散歩もして汗をかいて」


菌が、菌が増殖しています。

自分自身を猛烈に除菌したい。

マティアス様の身体についた菌ならもろとも愛せるけれど、推しとファンでは違うのだ。


必死に抵抗するけれど、わざとやめないマティアス様をどうすることもできない。


あ、そうだ。

私はここで、今日渡そうと思っていたハンカチのことを思い出した。


「あの……実はハンカチに刺繍をしたんです」


「刺繍?習いに行っていたという例のものか?」


「はい!」


うまく気をそらせた!!


私はハンカチを口実に膝から下り、引き出しにしまっていたそれを彼に渡した。


「まだ下手で恥ずかしいんですが……」


「君が心を込めて針をさしてくれたんだ。うれしいよ」


白いハンカチには、私と彼の名前が刺繍してある。そして、がんばって挿したモチーフも。


「マティアス様を想って刺繍しました!」


自分で言っていて照れてしまう。

両の頬に手を当ててきゃっとはしゃぐ私を前に、彼はハンカチの刺繍を見て言った。


「こんなに手の込んだ刺繍を……ありがとう。剣と木の枝かな?」


「馬です」


「……」


なぜ刺繍に木の枝を選ぶ!?そんなものをモチーフに選ぶわけないじゃないか。


「「………」」


ガチで恥ずかしい思いを、たった今した!こんなもの見せるんじゃなかった!


マティアス様はハンカチを握りしめて、にっこり笑う。

ごまかした!これは完全にごまかしに入りました!!


「やり直しますー!!」


ハンカチを奪おうとすると、さっと避けられて返してもらえない。


「私はこれがいい」


「木の枝なのに!?」


「フォルレットの愛らしさが出ていると思う」


「木の枝にですか!?」


「馬なのだろう?これは馬だ」


無理やりすぎる。

あぁ、こんなときも推しが優しい!!


私はこれから、刺繍の習い事の日を増やすことにした。

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