狂気の天才とアナザーワールド

@Mu_tu_gorou

第1話

 灰藁大九郎はいわらたいくろうはすぐに処刑された。

 逃走から四九日目、廃病院の上層階にて逮捕されたその時点で、判決はすでに固定されていたも同然だった。罪状は殺人罪。宅配業者を偽り睡眠薬を投与する手口で一八人もの一般人を拉致し、凄惨な人体実験を行い死亡させたとして死刑判決が言い渡された。

 翌日の新聞の号外にもなるほどの大事で、数日の間世間はこの話題で持ちきりになった。教材の出版社によれば「日本史や公民の教科書にもほぼほぼ載るであろう」とのことである。

 灰藁に親戚や友人といった身内はおらず、ニュースでは元同級生がインタビューを受けていた。そのインタビューですら、誰とも関わらぬ男だった、と語られていた。

 そんな灰藁の遺言はというと「俺は天才だ」の一言だけだった。

 この一言は確かだった。灰藁は名門校の生物学科でおぞましいほどの高成績を叩き出し、中途退学のちノーベル賞は確実と謳われるほどの研究成果を独学で導き出していた。人体実験が明瞭になることを恐れていたのか発表を避けていたために数は知られていないが、その全てが前代未聞の革命的なものだった。そのため世間は、灰藁の遺言を虚言とは思わなかった。

 しかしこの事件には、世間に知られていない事があった。

 灰藁は、殺人はおろか、人体実験や拉致までもしていなかった。

 灰藁は確かに生物で実験を行なっていたが、人間が対象になったことはない。実験の内容も、対して凄惨ではなかった。灰藁が死刑になるまでに至った経緯は全て、政府がよく出来たデマを流しただけだった。

 ところが、灰藁の実験の最終目的は確かに凶悪なものだった。その内容こそが、政府に危険視され、灰藁が死刑判決を言い渡される理由となった。

 その内容は、「生物兵器の発明」である。

 それ自体は灰藁の研究ノートに記されていたことではあるが、彼の空想上だけの馬鹿げている話などとは思われなかった。灰藁の才能であれば、それを十分に実現させうる。実際、灰藁の使っていた部屋からは、特殊な遺伝子やタンパク質のデータやサンプルが幾つも発見された。押収された物品の中には、地上には存在しない生物のDNAサンプルがあった。

 もし灰藁の生物兵器が完成、もしくはその実験データが少しでも漏洩しようものなら、たちまち軍事勢力が悪用し、世界は混乱する。そうでなくとも生物兵器の国内生産という点で国際問題になり、日本は危機的状況に陥ることは明白であったため、隠蔽と抹消を行うほかなかった。ゆえに、灰藁は偽りの罪状のもと処刑されたのだ。

 そしてもう一つ、世間には知られてはいないことがあった。

「……?何事だ……?」

 もっと言うなら、政府すら知らなかった。

「何処だ……。ん、天国か……?」

 灰藁大九郎が、他の世界にて目を覚ましたことを。


 辺りを見渡せば、見たこともないような草花、木々が生い茂っている。地質も明らかに馴染み深いものではなかった。空は煤けた紺色に朱色が滑り込んだ夕方の空だが、空気の感じを見ればおそらく日本の空ではないであろう。

 灰藁は混乱した。

「天国……?聞いていたものとは違うな」

 この時灰藁は死刑になったのだから地獄であろうか、とも考えたが、それにしても同じ事だった。

「しかし何だ、あの植物は」

 目線の先には、ステンドグラスのような色をしたキノコがあった。しかしよく見れば茎や葉があるので、花なのだろうと片付けた。その隣には銀色の汁を滴らせるシダ植物のような何かが生えていた。辺りには青いシルクの布のような薄い長方形の生物がはらりひらりと舞い、黒いレンガに丸い足が生えたような不恰好な生物が歩いていた。いずれも目や触角は確認出来ず、灰藁はそれを冷静さを欠いているせいだろうと考えた。

「全く……なんなのだ、此処は、これらは」

 どこか気だるそうな灰藁の硬い顔には、明らかに参っていることが表れていた。このままではいけないので、灰藁はぼさぼさの黒髪の頭を片手で数回掻き、思考を整理しようとした。

「誰だい?」

 声のした方を見ると、木の皮のような見かけのコートを羽織った金髪の男が大きなカバンを下げて立っていた。右の手には、鎌のようにも見えるナイフを持っていた。

「見ない格好だね、それに顔の骨格も珍しい」

 格好を指摘されたので灰藁は自身の服装を確認してみると、上は灰色の服、下はベージュのズボンといった灰藁の普段着と着慣れた白衣の馴染みある組み合わせだった。受刑時の格好とはどういうわけか異なるのだが、それでも灰藁は落ち着きを僅かに取り戻せた。

「済まないが、ここについての情報を教えてはくれないか?記憶が飛んでいるようなんだ」

「ははぁ、さては空腹でリェチナ茸でも食ったんだろう?確かに一本や二本なら大丈夫だが、だからと言って食べ過ぎて害が出たって事例は今までにもあるからね」

 男は、頭のゴーグルをいじりながら灰藁の知らぬ知識を並べてゆく。

「まぁ、ここ数日のことまでだろうさ。心配は要らない」

「それより、質問の答えを貰えると嬉しいのだが」

「おっとそうだった、いやぁ〜済まない」

 若くは見えないが、男は随分と陽気だった。

「ここはヘダマの南方の森だよ。ん?そうだ!この時間帯でこの辺りにいるのは危険だ、さっさと出てしまおう!」

 異様な動植物を見た後なので、聞かぬ地名に灰藁は驚かなかった。男は灰藁について来るように催促し、灰藁はそれに従うことにした。少なくとも今は、それが灰藁の考えうる中で最善の行為だった。

「こっちに俺の家がある、とりあえず屋内に入るんだ。やつらは屋内までは襲ってこない。夜になれば、すぐにでも行動を始めて人を襲うから厄介なんだ」

 男の話の内容は灰藁の頭には大して入ってこなかった。灰藁は自身のことで頭が一杯だった。護身用の銃が白衣の内ポケットに入っているかを確認してみると、確かにリボルバー式の銃が弾薬付きで入っていた。元々は生物兵器が暴走した際に始末するためのものであったが、今は頼もしい唯一の武器である。

「ここだ」

 他のポケットも確認しようとしたが、男の家に着いたので後回しにすることにした。


 家の中は外見よりも広く感じられる。部屋の中央にはソファとガラスの丸テーブル、奥の方には暖炉があり、壁には花の絵が立てかけてあった。

「外からは木造に見えたが、屋内は鉱物の比率がかなり高いな」

「イカすだろう?この国の伝統的な家屋さ。知らないってことは、もしかして外国人?」

「まぁ、おそらく余所者だろう」

 男が灰藁の容姿に疑問を持ったように、灰藁もまた疑問を持っていた。環境はやや冷涼程度であるのに対し、骨格は雪国の人々に近いものであるという印象だった。そして金髪でありながら、目の色は黒寄りの深緑。つまり、色素が濃かった。灰藁はこの髪色と骨格では色素の薄い目であるという概念しかなかったため、先入観を捨てる必要がある、と思った。

「今日はもう外出は危険だし、泊まって行きな。あ、そういえばまだ名乗ってなかったな、俺はビティム、ビティム・ラックテイラー。あんたは?」

「何?日本人じゃないのか?」

「ニホンジン?はは、人違いだよ」

 灰藁は再び混乱した。言葉が通じるものだから、てっきりハーフか何かだとばかり思い込んでいた。

 異様な生物や聞き慣れぬ地名に関しては、日本にも大量に存在していたため苦しくもまだ納得がいっていた。しかし日本すら知らぬ相手と日本語で会話できているという事実には、正直ぞっとした。それも向こうが合わせてきたのではなく、最初から向こうが日本語で話しかけてきたのだから間違えようがない。

「日本は国名だ」

「知らないなぁ……、どの辺?」

「アジアの国だ、南京や朝鮮の近くにある島国」

「どれも聞いたことないぞ……?」

「中国と韓国の近くだ、そういえば分かるか?」

「待て待て、そもそも島国なんてジダジジャエくらいしか無いじゃないか。それにあそこは近隣国なんて無い。キノコの食い過ぎなんじゃあないのか?」

 おそらく話が通じないことは、お互いに薄々理解できていた。仕方がないので、灰藁は話を切り上げることにした。

「もういい、この話はやめにしよう。これ以上は更なる混乱を招くだけだ」

「おい、待てよ」

 ビティムが困ったように引き止める。

「頭のおかしい奴の話なんざもう聞きたくはないだろう」

「だから待てってば」

 ビティムがまだ引き止めるので、灰藁は気が立ってきた。

「やかましい!これ以上の話は無駄だ、お前もよくわかっているだろう!」

「待てよ、ごめん、そうじゃないってば」

「じゃあ何だ」

「あんたの名前をまだ聞いていないよ」

 その一言で、灰藁の頭に上りつつあった血が一瞬にして引けた。

 自身は世間から追われる身である以上、迂闊に本名は語れない。名を偽れば済む話なのだが、境遇を思い出させるには十分過ぎる一言であった。

「名前くらい教えてくれよ、何も知らないっていうのもアレだろ?」

「そうだな……ッ」

 ここで名乗らないのは怪しまれると思い、灰藁は偽名をすぐさま考え、それを言おうとした。

 しかし一瞬考えたのち灰藁が言い放ったのは、偽名ではなかった。

「灰藁……大九郎だ」

「ハイワラ、灰藁……これまた変わった名だ」

 案の定、ビティムはこの名を知らなかった。いや、おそらく「こちら」の住人すべてがこの名を知らないであろうことを、灰藁は先の会話から理解した。元の世界ならば、先進国であればこの名を知らぬ者はいなかっただろう。

 才能相応のプライドがあった灰藁にとって、己の本名を語れないことはかなりの苦痛だった。しかし今、堂々と名乗っても何一つデメリットのない場所にいる。あらゆる束縛から解放された現状に灰藁はだくだくと湧き上がる喜びを抑えきれず、口角を吊り上げてくつくつと笑い出し、しまいには踏ん反り返って狂気的な笑い声を上げ始めた。

「そうだ……‼︎俺の名は‼︎灰藁大九郎だ‼︎カッ……ハッハッハッハ‼︎」

「ハハ、意外と陽気なんだな、よろしくな灰藁!」

 笑う灰藁を見て、ビティムも気前よく笑い出した。


 用意された寝室は広くはなかったが、寝具はなかなかに上等だった。枕を下に敷く灰藁の顔は、相変わらず狂気を帯びた笑みを浮かべている。

「この世界ならば……この出発点ならば……」

 灰藁は、野望の実現が容易になっていることに歓喜していた。

「ハハ、死刑にされたあの時点で、俺の研究自体はすでに完成しているのだからな」

 そう機嫌が良さそうな調子で呟く。誰一人邪魔をする者は居ない。民衆も、警察も、政府すらも。

「俺が創る生物が最も優れていることを証明してやる……。ハッ、たとえ世界が違えど関係は無い……」

 そう呟いたのを最後に、灰藁は目を閉じた。


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