7月20日
初めて
波の音が、僕を現実に戻した。僕は混乱した。夢を見ている。そう思った。砂浜にちょこんと座るセーラー服の少女は、エアピアノをしていた。こんなところで。恐る恐る近づいてみるが、少女は気づいていないらしい。
「ピアノ、好きなの?」
僕が話しかけると、世にも美しい瞳で、少女は僕を見上げた。時が止まりそうだ。数秒見つめ合ってから、少女はふふっと花が揺れるように笑った。
「うん、大好き。小さいころから、ずっと。」
そう言ったあとに、少し切ない顔をしたような、気がした。だけで、気のせいだろう。
「今日は、絵に描いたような夏の日だね。ほら、音はないのに夏だとわかるよ。空はどこまでも青くて、雲は後から付け足したみたいにくっきり。海も元気いっぱい。」
少女はそう言いながら、体をめいっぱい大きく使い、僕に夏を教えてくれた。
「夏ってだけで楽しい気持ちになれる。」
僕はこの少女が目の前にいるだけで幸せな気持ちになれた。不思議な力でもあるのだろう。僕は、生まれて初めて夏が楽しいと思った。
それから、僕らは初めましてだというのに日が暮れるまで話した。砂浜のうえで。二人だけで。どこまでも広い海が広がっているのに、ここには僕らしかいなかった。まるで、ふたりぼっち。なんて。
「そろそろ帰らなきゃ。」
人生で一番時の流れが速いと感じた。もう少し一緒にいたい気もする。
「そうだね...。あ、あのさ、名前聞いてもいいかな。」
「アヤ。漢字難しいよ。」
アヤは、砂浜に指で漢字を書いてくれた。綵。この漢字でアヤは、初めて見た。
「ねえ、また会わない?ここで。」
「うん。僕もそう言おうと思ってた。」
僕らは次に会う約束をかわし、さよならを言って別れた。
アヤとの会話を思い出しながら帰った。アヤは高校一年生で、僕の一つ年下らしい。小さいころからピアノが大好きで、中学生のときには大きなコンクールで優勝した経験もあるって言ってたかな。他にも、学校のこととか、好きな本のこととか、打ち明け合った悩みのことを思い返した。
その後に、自分の名前を言うのを忘れたことに気づいた。ついでに、アヤの漢字も忘れてしまった。でも、次会うときに聞こう。そう決めて、僕は眠りについた。
僕と真反対のことを考える綵。綵の言葉は僕の心に響いて、癒してくれました。もともと、僕は夏が嫌いでした。いつだって夏に吞まれ、夏に託した夢は滞っていましたから。なのに綵は、あっという間に過ぎる夏に恋して、夢をみて、生きていました。僕にはそれが、とてつもなく美しくて、すぐにでもきえてしまいそうで、儚かったのです。こんなに夢中になってはいけないきがする。どこかでそう感じていました。そして、少しずつ綵がくれるヒントに、僕は目を背けていたのかもしれません。
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