第4章「世界の秘密」

第31話「傷跡」



「わー、逃げろー」

「きゃー」


 学校のグラウンドで逃げたり追いかけたりする小学生達。クラスのみんなで鬼ごっこをやっているのだ。アリのようにあっちこっちはしゃぎ回る群れの中に、ひときわ目立つようで目立たない小さな女の子がいる。


 金髪のボブカットでメガネをかけた女の子。幼い頃の私だった。


「えっと……」


 周りの子はすでに逃げ回っている。私はどこに逃げればいいのか分からず、一人佇む。


「あ、見っけ~」

「わぁっ!」


 鬼の男の子に見つかった。私はとにかくがむしゃらに走る。いつものお気に入りの花柄ワンピースを着ているため、走りにくい。それに、運動は昔から大の苦手なのだ。故に足も遅く、すぐに追い付かれる。


「はぁ……はぁ……」

「清水、捕まえたっ!」


 バシッ


「あっ……」


 男の子は私の背中を強く押す。タッチすれば捕まったことになる。しかし、追いかけながら触ったために、後ろから押し倒すような形になってしまった。私はバランスを崩して転ぶ。


 ズズッ

 倒れた地面は砂利でいっぱいだった。私は頬と膝を擦りむいてしまった。すごく痛い。


「あっ、えっと……」

「うわぁぁぁぁ」


 たまらず私は泣き出してしまう。こんな軽い痛みにも耐えられない弱い人間だ。昔からすぐ泣いてしまう癖は、自分でも呆れるほどだ。治そうと思ってもなかなか治らない。鬼の男の子は申し訳なさそうに私を見つめる。




「凛奈~!」


 すると、遠くから大きな声で私の名前を叫びながら、一人の男の子が走ってきた。誰あろう、陽真君だ。彼はすぐに私を抱き起こす。


「大丈夫か? 凛奈」

「うぅ……陽真くぅん……」

「よしよし、俺が来たからもう大丈夫だ」


 私は陽真君の胸に泣きつく。どうしようもなく悲しい時、辛い時に、私はいつでも彼に身を寄せる。弱々しく泣く私を、彼はいつでも温かい心で受け止めてくれるのだ。彼は鬼の男の子を睨む。


「相手は女の子なんだぞ! 少しは手加減しろよ!」

「ご、ごめん……」


 陽真君に支えられながら、私はゆっくりと立ち上がった。頬と膝がズキズキと痛む。とても一人では歩けない。


「凛奈、お前顔怪我してるぞ! あっ、膝からも血が出てるじゃねぇか! 大変だ! 保健室行くか?」

「うん……」


 転んだ時に擦りむいてできた傷だ。私は涙目で答えた。陽真君はすぐに私の体を支えながら、保健室に連れていってくれた。その前に、まずは水道だ。




「どうしたの? あら大変!」

「うぅぅ……」

「泣かないで、大丈夫よ」


 水道で傷口を洗った後に、私達は保健室へやって来た。養護教諭の先生は私の膝に手を当てる。水で濡れた傷口はひんやりしている。


「傷口はもう水で洗ってあるわね。よし、早速消毒しましょう」


 先生は棚の引き出しを開け、ガーゼと消毒液を手に取る。この程度の怪我は簡単に措置が可能だ。ただの軽症でピーピー泣いている私が弱いだけ……。


「先生待って!」


 すると突然、陽真君が先生を呼び止める。


「どうしたの?」

「俺にやらせて」

「え?」


 陽真君は真剣な眼差しで、先生を見つめながら手を伸ばす。自分から率先して治療をしたいと言い出した。


「俺が消毒する。だからやり方教えて」

「……わかったわ。まずガーゼに消毒液を染み込ませてね」

「うん」


 先生は陽真君に指差ししながら、消毒の工程を説明する。彼は慎重にガーゼを私の膝の傷口に当てる。消毒液がとても染みて、ズキズキする。その度に目に涙がにじむけど、彼が私のために消毒してくれているのだから、頑張って痛みに耐えた。


 彼は消毒液を塗り終わった後、丁寧に絆創膏を貼ってくれた。


「痛いの痛いの飛んでけぇ~!」


 最後に陽真君がおまじないをかけてくれて、治療は完了した。本当に痛みがすーっと消えていったような感じがした。きっと、もう一人で歩けるようになった。


「陽真君……」

「これでもう大丈夫だ!」

「どうしてそこまでしてくれるの?」


 保健室まで連れてきてくれたことはともかく、消毒まで自分からやりたいと言い出した理由を、当時の私には想像できなかった。優し過ぎにも程があるのではないか。しかし、陽真君は迷うことなく答えた。


「言っただろ、お前のことは俺が助けてやるって。他の誰でもない、俺が助けたいんだ」

「……」

「俺、決めたんだ。凛奈のことは俺が守るって。お前が悲しむのは嫌だから、これからも凛奈が悲しまないように、ずっと笑っていられるように、俺が助けてやる」


 陽真君は無邪気な笑顔を私に向ける。彼の存在自体が大きな絆創膏のようで、どんな悲しみや苦しみもすぅっと癒えていくようだった。つられて私も笑顔になる。嬉しくて嬉しくて、涙が再び溢れ出す。


「ありがとう、陽真君……」

「おう! だから凛奈、約束してくれ」


 陽真君は小指を差し出す。私も小指を差し出し、大切な約束をする。


「俺達は、ずーっと一緒だ」

「うん! 一緒!」


 二つの小さな小指が、一つの大きな約束を交わした。その約束をいつまでも守るために、私は陽真君の後ろ姿を追いかけた。ずっと……ずっと……どこまでも。


 そして、これからも、私は……








「はっ!」


 現実に意識を戻した私は、目をぱっちりと開く。目の前に広がるのは天井。私はベッドの上で寝ていた。そうだ、私……陽真君に殴られて気を失ってたんだ。

 今見てたのは……夢? いや、夢というより、過去の思い出だ。私は小学生の頃、陽真君と約束を交わした。いつまでもずっと一緒にいようと。あの時の光景を夢で見ていた。


 でも彼は……ここにいない。


「よかった。凛奈、気がついたのね」


 エリーちゃんの声だ。私はゆっくりと起き上がって辺りを見渡す。枕元で椅子に座りながら、彼女はほっと胸を撫で下ろした。

 その後ろには別の椅子に座っている哀香ちゃんと蓮君がいた。何もない床を睨み付ける哀香ちゃんと、少し苦しそうにお腹を押さえる蓮君。


「……蓮君、大丈夫?」

「いや、人の心配より自分の心配をしようよ!」

「そうよ。凛奈の方が怪我酷いでしょ……」


 蓮君とエリーちゃんからツッコミをもらった。自分の頬にガーゼが貼ってあることに、今更気がついた。私は頬を少し触ってみる。


「痛っ……」


 陽真君の一撃は相当強力なものだったらしい。そりゃあ、気絶するくらいだもんね。いや、私が弱いだけか。そんなことより、どうして陽真君があんな態度を……。




「凛奈、何なのよあいつは!」

「え……?」

「アンタ、あんなやつのことが好きなわけ!?」


 哀香ちゃんは陽真君に対し、強い怒りを覚えていた。記憶喪失になってしまったかのような素振りを見せ、大切な友人に躊躇することなく暴力を振るうことができたのだから。

 確かに、もし彼が赤の他人だったとしても、私も同じように怒っていたと思う。暴力はいけないことだと、身に染みて理解している。


 しかし、どれだけ陽真君から酷いことをされたとしても、私の気持ちの働く方向は変わらなかった。


「陽真君は……本当はあんな酷い人なんかじゃない」


 私は陽真君の心をまっすぐに見つめた。そうだ。悪ふざけで私に暴力を振るったり、私が悲しむような記憶喪失のふりだなんてするはずかない。何か理由があるはずだ。


 そう……


「陽真君は、本当に記憶喪失になったのかもしれないし……」


 あの陽真君の私を見る目付き、乱暴でも真剣な態度、ふりにしては出来すぎている。本当に記憶喪失になっているとしか思えないのだ。一番考えたくないことだけど……。


「……」


 哀香ちゃんが急に黙り込んだ。何か考え事をしているのだと、私はすぐに気づいた。


「でも記憶喪失だなんて、そんなこと本当にあり得るのか?」


 蓮君が顎に指を当てて呟く。確かに現実的な話ではない。でも、そうとしか考えられない現実が、私達の前に広がっているのだ。


「やっぱり、信じないことには話は進まないわね。それにここは異世界、あり得なくはないわよ」

「はぁ……何でも『異世界だから』で済ませるのはどうかと思うけど」


 まだまだこの世界については分からないことだらけだ。なぜあの霧が出てきて、私達を異世界に飛ばしたのか。なぜ陽真君が騎士団に入っているのか。なぜ私の記憶を失っているのか。考えてもわからないことが積み木のように重なって、頭がどうにかなりそうだ。


「あぁ、ダメだわ。これから一体どうすればいいのよ……」

「でも、たとえどれだけ信じられないことが起こったとしても、必ず何か理由はあるはず。だから……」


 私は陽真君を信じる。彼は絶対に記憶を取り戻して、私のところに戻ってきてくれるって。諦めなければ必ず叶う。


「謎を全部解き明かして、みんなで力を合わせて帰ろう! 陽真君も、哀香ちゃんの妹さんも見つけて、一緒に!」

「あぁ! そうだね!」

「くよくよ悩んでも仕方ないわね。よし、さっさと妹見つけて、陽真の頭ぶん殴って、記憶喪失治して連れ戻しましょ!」

「私も強力するわ!」

「ありがとう! エリーちゃん」


 エリーちゃんも協力してくれるみたいだ。本当に優しい人達に囲まれて、私は幸せ者だ。こんな幸せを味わうことができるのも、きっと陽真君が私の心に明かりを灯してくれたからだ。

 彼のためなら、私は何だってやる。彼が私に生きる勇気をくれたんだ。その勇気で、彼を助けてみせる。今度は私が助ける番だ。


“陽真君……”


 私は窓の外を眺める。空はかすかにオレンジ色に染まりかけていた。その景色は、まるで血がにじんでいるようだった。


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