第30話「最悪な再会」



「すまん、誰だ? お前」

「……え?」


 私は耳を疑った。「誰だお前」、その言葉が今、陽真君の口から放たれた。彼が私に、お前は誰だと聞いた。陽真君が私を知らない? ちょっと待って、どういうこと……? 自分の心臓が苦しそうに鳴り始める。握手を求めた手が、力を失ってぶらんと垂れ下がる。


 あぁ、そうか。冗談だよね。久しぶりに私に会えたんだから、きっと冗談を言ってからかってるんだ。いやぁ、陽真君は面白いなぁ……。

 彼は成長してからクールな感じになったと思ったけど、小さい頃の剽軽さをまだ持ち合わせていた。陽真君はいつでも私を楽しませてくれるんだね。いやぁ、本当に面白いなぁ……。


「あははっ……陽真君ったら、今は冗談を言ってる場合じゃないでしょ」

「は?」


 私は笑顔になる。陽真君にからかわれても、悪い気分はしない。むしろ不思議と心地よくなる。彼の冗談は愛があるから。


「全部お見通しだよ。分かるもん。私達、幼なじみなんだから。陽真君、小さい頃からずっと私のことからかってきたでしょ? 私を楽しませてくれるために。あの頃を思い出しちゃった。ありがとね♪」

「いや、俺達は初対面だろ」

「……え?」


 私の笑顔は陽真君の返事で吹き飛ばされる。改めて彼の顔を見返す。真剣だ。固い表情で「何もふざけたことは言っていない」と訴えている。私の心に浮かび上がった希望は、少しずつ崩れ去る。


「冗談……でしょ? そうだよね……?」

「何なんだ、お前は。俺はお前のことなんて知らない。さっき会ったばかりだろ。一緒に過ごしたことなんてないのに、幼なじみなわけねぇよ」


 彼の表情がだんだん険しくなる。口調も冷たくなっている。私の知っている陽真君じゃない。私の知っている彼は、もっと明るくて、優しくて、思いやりがあって……。


「それに俺の名前は“ハルマ”じゃない。アーサーだ。お前は誰だ?」


 アーサー……一緒にいた騎士達が呼んでいた名前だ。じゃあ、この人は陽真君じゃなくて、アーサーというこの世界の住人……つまり、人違い?

 いや違う。別人なんかじゃない。それだけは断言できる。この顔、この髪型、この声、この風格、何から何まで間違いなく陽真君そのものだ。ただ一つ、私のことを忘れてしまったかのような態度を除いて。


 いやいや、本気なわけがない。彼が私を悲しませるために、こんな手の込んだ嘘を披露するわけがない。まだ冗談を言ってるんでしょ? 演技が上手いなぁ。


 でも、まさか……。


「私だよ。凛奈だよ! ずっと一緒にいたじゃない! 小さい頃から……ずっと……」

「知らない。人違いじゃないのか?」


 違う。絶対に人違いなんかじゃない。それは100%正しく、例外すらない自然の法則であるかのように、私は強い確信を持っている。目の前にいるこの男の子は、どこからどう見ても紛れもなく陽真君本人なんだから。


「違うよ! 私達は小学生の頃からの幼なじみでしょ? ほら、私が三年生の頃、陽真君いじめっ子から私を守ってくれたじゃん! それから私達は仲良くなって、中学校も高校も一緒で……」

「何言ってんだ。俺はそんなことしてねぇよ。お前と俺は初対面だっての」

「……」


 私達のやり取りを、哀香ちゃんと蓮君は先程からただ呆然と見つめる。エリーちゃんはボロボロになったワゴンから顔を覗かせ、怖がるかのように見ている。どれだけ私達の思い出を説明しても、陽真君は忘れたような素振りを崩さなかった。


「違う! 私達は10年も前からずっと……親友で……」

「だから知らないって言ってるだろ。悪いが急いでるんだ。俺達の邪魔をしないでくれ」


 陽真君は再び自分達の馬車へと戻っていく。違う。陽真君が進むべき方向はそっちじゃない。あなたはこの世界の騎士じゃなくて、私達と同じ現実世界で暮らす高校生だ。


「そんな……」


 心臓の鼓動がだんだん早くなり、顔が真っ青になっていくのが自分でも分かる。彼の背中が遠ざかる。彼との距離が離れていく度に、胸がどうしようもなく苦しくなる。嫌だ。行かないで陽真君……。


「陽真君! なんで? なんでそんなこと言うの!? 私のこと、覚えてないの!?」

「覚えてるも何も、俺とお前はさっき初めて会ったばかりだろ。何度も言わせんな」


 違う違う違う違う違う。絶対に違う。こんなの間違ってる。陽真君は小学生の頃からの私の幼なじみ。それは絶対的な事実だ。私と陽真君はたくさんの思い出を積み重ねてきた。昔から今まで、ずっと一緒だったんだから。


「違う! 絶対に違う! 私は陽真君と……」




 バシュッ

 鈍い音が響いた。その瞬間、私の意識はコンセントを抜いたテレビの画面のように、プツリと途切れた。意識が消える前に、目の前で起きた一瞬の出来事に衝撃を受けた。


 彼が私の頬を思い切り殴った。私は地面に倒れて気を失ったのだ。かけていたメガネも、衝撃でどこかへ飛んでいってしまった。


“なんで……陽真君……”


 一筋の血と涙が頬をつたう。そのまま私は暗闇に引きずり込まれる。




   * * * * * * *




 気を失った凛奈に、陽真は吐き捨てる。


「いい加減にしろ。俺はお前のことなど知らない。もう俺達に関わらないでくれ。急いでるんだ」


 陽真は騎士の乗る馬車へと歩いていく。凛奈を心配することも、罪悪感を抱くこともない。ただ悪人を成敗したような毅然とした態度で、自分のあるべき(と判断した)場所へ戻っていく。


「陽真のやつ……」


 見かねた哀香と蓮太郎は、陽真の行く手を塞ぐ。自分の親友を傷付けられておいて、黙って見過ごすことなどできなかった。怒りに身を任せ、彼に訴える。


「アンタ……何のつもりか知らないけど、とぼけるんじゃないわよ! 記憶喪失のふりなんて、笑うに笑えない冗談だわ!」

「君達はずっと仲良しだったんだろ? 凛奈にこんなことして、心が痛まないの!?」


 二人は陽真を睨む。彼の凛奈への仕打ちは、尋常ではないほど残酷である。しかし、陽真も負けない程に二人を睨み付ける。どす黒く染まったその瞳は、普段から凛奈が自慢する優しさなど微塵も感じられなかった。


「何なんだ一体……。お前達に構ってる暇などない。道を開けろ」

「凛奈に謝れ!」


 蓮太郎が珍しく感情的になって叫ぶ。同じ男として暴力的な態度は許せない。


 スチャッ

 すると、陽真は無言で剣を引き抜く。


「え……」


 バシッ

 陽真は剣を横振りし、蓮太郎の腹を打つ。彼は吹っ飛んで木に叩きつけられる。鋭利でない面で打ったため、腹を切り裂かれてはいない。しかし、容赦ない一撃を前に、彼は腹を抱えて悶絶する。


「ぐふっ……」

「蓮!」


 バッ

 哀香の頬を、ナイフがギリギリかすめる。陽真が投げたものだ。当たってはいないが、目にも止まらぬスピードで視界を横切った刃物に、哀香は驚いて腰を抜かす。もはや太刀打ちできる相手ではない。その恐ろしさはギャング以上だ。


「ひっ……」

「まだやるか?」

「……」

「今回はこの程度で見逃してやる。だが、今度また俺達の邪魔をすれば、どうなるか……」




「ストーーーップ!」


 馬車からロイドが近づいてきた。陽真の暴走を止めに来たのだ。


「アーサー、それ以上はやめてくれ! 流石にやり過ぎだ!」

「……」


 ロイドに指摘され、冷静さを取り戻した陽真は剣をしまう。ロイドは彼の首に手を回し、引っ張って馬車へと連れ戻す。


「ほんとにすんませんでした! 失礼します……」


 二人は馬車に飛び乗り、そのまま城の方向へと走って見えなくなった。哀香は恐怖で凍りつき、その場で腰を抜かしたまま動けなかった。エリーはその後ろ姿をただ見つめるだけしかできなかった。




“あの女……そしてこの騎士……面白そうだなぁ”


 ワゴンの中で拘束されていたバスタは、凛奈と陽真の一連のやり取りを見ていた。そして、何かを思い付いたような不敵な笑みを浮かべた。




「凛奈! 蓮太郎! しっかりして!」

「うぅっ……」


 騎士が見えなくなったタイミングで、エリーは倒れた凛奈と蓮太郎に駆け寄る。ようやく行動する勇気が出たようだ。蓮太郎は自力で起き上がったが、凛奈はいくら揺すっても気を失ったままだった。


 突如として発覚した衝撃的な事実。陽真は凛奈のことも、凛奈と共に過ごした思い出も、全て忘れてしまっていた。太陽は他人顔のように真上に留まり、彼女らに眩しい日差しを照りつけるばかりだった。


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