第23話「着替え」
「来て。更衣室はこっちよ」
凛奈達は長い廊下を歩きながら、エリーの後ろを付いていく。今からバーの制服に着替えて仕事を始める。
昨晩の料理の代金を無償にしてもらい、このバーに住み込みを許可してもらう代わりに、従業員の一員としてしばらくの間働く。そういう条件になっていた。お店自体は朝の10時から始まるようだ。
「ここよ」
昨日入った豪華なお風呂の二部屋先に、更衣室があった。凛奈達はエリーに案内され、更衣室の中へと足を踏み入れる。中は十畳程で、ほどよく広かった。木製のロッカーが壁沿いに立ち並び、中央にもまた木製のベンチが設置されていた。
ロッカーにシフト表が貼られていたり、窓に小さな植物が飾られていたりしている。所々に生活感が見られる落ち着いた部屋だ。ここでウェイトレスやシェフが制服に着替える。
「はぁ~、広いわね……」
哀香が天井からぶら下がった電球を眺めながら呟く。ウェイトレスはエリーの他にも何人も働いているが、全員が入室しても着替えのスペースに困らないほどの広さだ。
「はい、これがウェイトレスの制服」
いつの間にかエリーが別の部屋から制服を持ってきていた。何も臆することなく手に抱えたそれを、凛奈と哀香に見せる。
「これって……」
「メイド服……」
エリーの持っているそれは、どこからどう見てもメイド服だった。都市の様々な場所に健在するメイド喫茶なるもので、優美な女性が身にまとってご主人様をもてなす、あの可愛らしいメイド服だ。
白と黒がうまい具合に配色されたオフショルダーのワンピースに、フリルの付いた白いエプロンドレス、同じく白いフリルの付いたカチューシャ。そのセット一式が、エリーの手の上に綺麗に畳まれてある。
「やっぱりこれ、ここの制服だったんだ……」
思い返せば、昨晩のエリーや他のウェイトレスも、何の恥じらいもなく同じものを着ていた。彼女の様子を見る限り、ふざけているわけではない。どうやら、ちゃんとここでの立派な制服らしい。
「まんまメイド服じゃん……」
「メイド服? これはスミルよ」
「スミル?」
エリーの謎の訂正が入る。この世界での正式名称は「スミル」というらしい。しかし、正式名称を知ったところで、何がどうなるというわけでもない。形はまんまメイド服だ。
「はい、早速着てみましょう。多分サイズは合ってると思うから」
「えぇ……」
エリーはさぞ当たり前のようにスミルを差し出す。当然凛奈達は着用に抵抗を感じる。
「あ、着方わからない? 大丈夫よ。私が手伝ってあげるから」
“そういうことじゃない!”
着方は正直分からないが、別にそれで抵抗を感じたわけではない。凛奈達は心の中でツッコミを入れた。メイド服のイメージの問題だ。
単純に恥ずかしい。無駄に肌を露出させた衣装で店内を動き回るという行為に耐えられない。接客業を任されるだけならまだしも、衣装が少々卑猥である。思春期真っ盛りの乙女にそのような羞恥は、如何なものだろう。
一応昨年の文化祭で、メイド喫茶なるものを経験していた。たが、その際に着ていたメイド服とは、露出の程度がまるで違う。趣味が悪いという意味でも、肌に寒気を感じる。
しかし……
「着るしかないわよね……」
「うん、働くって約束だし……」
二人は渋々スミルを受け取る。いつまでも恥ずかしさを理由に拒んでいたら、エリー達の恩を溝に捨てることになる。ここは羞恥心よりも、罪悪感を気にするべきだろう。二人は一旦ベンチにスミルのセット一式を起き、今着ているネグリジェを脱ごうとする。
「……」
その前に、凛奈達はごく自然に乙女だけの空気に溶け込む蓮太郎へ、ジーっと顔を向ける。
「……」
哀香は蓮太郎を睨み付ける。
「さっさと出てけっ!!!」
「がはっ」
バーン
哀香は蓮太郎の背中を蹴り飛ばし、強引に更衣室のドアを閉めた。蓮太郎は背中の激しい痛みに苦しみながら、廊下の床に倒れた。ここの更衣室は男女併用らしい。
コンコン
着替えが終わったであろう時間を見越し、蓮太郎は更衣室のドアをノックした。
「もう入っていい?」
「いいわよ~」
エリーの返事が聞こえた。蓮太郎はゆっくりとドアを開ける。
ガチャッ
「おぉ……」
スミルを身につけた凛奈と哀香がいた。二人共一応年頃の女子高生であるため、少々恥じらいのある様子だった。黒いワンピースからそそり出る白い足を、もじもじと擦り合わせる。
「結構似合ってるじゃん」
「……ほんと? ありがとう!」
凛奈は満面の笑みを浮かべる。
「……」
蓮太郎は哀香がうつ向いていることに気がつく。
「哀香も似合ってるよ」
「え? あ、うん……ありがと……///」
哀香は普段からこういう可愛らしい服を好んで着ることがないため、凛奈よりも慣れなくて羞恥心に圧し殺されている。いつもの強気な態度は一変し、見目麗しい乙女になっている。
「おーい、蓮太郎君。君の制服だよ」
廊下からユタが顔を出し、蓮太郎のために用意したコックコートを手渡した。この店では、女性はホールで注文を取ったり料理を運ぶのに対し、男性はキッチンで調理に専念するようだ。
「君が料理ができるみたいでよかった。特にキッチンに人が足りてなくてね……」
「そうですか。なら、ぜひとも協力させてください」
どうやら昨晩のうちに、蓮太郎の仕事内容は決まったようだった。蓮太郎は料理が得意らしく、ユタが直々にキッチンの手伝いを頼み込んだらしい。普段は強気な哀香に引っ張られて頼りない彼だが、ここばかりは男らしく胸を張る。
「あぁ、頼むよ!」
ユタは笑いながら蓮太郎の肩をパンパンと叩く。男らしい馴れ合いだ。凛奈は哀香に小声でこっそりと尋ねる。
「ねぇ、蓮君って料理得意なの?」
「え? あぁ、まぁね。私もアイツから教わったし」
「そうなんだ。知らなかった……」
凛奈は納得した。いつぞや哀香に、陽真のためのスポーツマンの体に健康的な料理のレシピを相談したことがあった。あれは元々蓮太郎が哀香に伝授したようなものだったのだ。
自分とどこか少し似ていて頼りないイメージだった蓮太郎。しかし、彼にも他人に誇れる才能があり、それを堂々と発揮できる場所がある。今は頼もしく思えた。
よく一緒に行動していたが、知ることはなかった友人の意外な一面。まるで学校の修学旅行で感じるような驚きだった。
「……」
それと同時に、他人に負けないような自分だけの特別な才能がないことに、ひどく劣等感を感じる凛奈。ただでさえ最近は陽真との距離を感じているというのに、更に自分という人間の無力さに打ちのめされていく。これでは胸を張って陽真と会うことができない。
「さぁ、店の準備をしようか。今日も忙しくなるぞ~」
ユタは自分のロッカーから、勢いよくコックコートを引っ張り出した。凛奈は心の迷いを無理やり振り切り、開店準備に取りかかった。
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