第20話「お風呂」



 そのシェフさんの名前はユタ。このバー「テレス・ハンス」のマスターだという。ちなみに店主も兼ねているらしい。このお店には、さっきのようないかついギャング達が毎日やってきて、席を占領するのだという。マナーも少々悪いため、来られる度に迷惑をしている。

 とはいえ、もてなさないわけにもいかないため、渋々接客しているそうだ。私達のような善良のお客さんは毎日数えるほどしか来ないらしい。


「えっと……これからはタメ口でいいかな? とにかくここのマスターのユタだ。よろしく」

「よろしくお願いします、凛奈です」

「僕は蓮太郎です」

「哀香です」


 私達は端的に自己紹介を済ませた。その後ユタさんに案内され、お店の二階へと階段を上って向かう。二階はユタさんの生活スペースになっているらしい。


「それで、君達はここではない別の世界からやって来た。だからお金も泊まる場所も無いと……なるほどね」


 階段を上りながら、ユタさんは私達の事情を確認する。すんなりと信じてもらえたことに、私達は大いに感謝した。


「よろしい、だったら僕のところに泊めてあげよう」


 ユタさんが胸に手を当てて微笑む。やった! 今夜は野宿をしなくて済みそうだ。私達はユタさんに頭を下げて深く感謝する。


『ありがとうございます!!!』

「ただし、今日の料理の代金をタダにする代わりに、君達にはこの店に力を貸してもらうよ」


 今日食べた料理の代金は支払わなくてもいいことにするから、私達にしばらくこの店で働いてくれという交換条件を出された。どうやら最近人手が足りていないらしい。

 そりゃあ、ギャング達で満席になった店内を、ユタさんなどのシェフやウェイトレスさん達を含む5,6人程度の従業員で経営をこなしているのだ。誰でもいいから人手が欲しくなることだろう。


 私達はその条件を受け入れた。ここでしばらくの間住み込む許可をもらったために、その程度の条件は安易に呑めた。ギャングの相手をすることだけが心配だけど……。




「ユタさ~ん、店閉めましたよ~」


 一階から女の子が上がってきた。この子は、先程私達に注文を取りに来たウェイトレスさんだ。もうメイド服は着ておらず、私服姿だ。


「あ、エリー、ご苦労様。そうだ! 丁度いい。エリーの部屋に泊めてもらおう」


 ユタさんはエリーという名前のウェイトレスさんに、私達のことを簡単に説明する。


「この人達、泊まる場所が無いみたいなんだ。エリーの部屋を貸してあげなよ。確かいくつかベッドが余ってただろ?」

「あ、はい」


 流れ作業のように頷くエリーさん。とりあえず泊まれる場所を確保できたことに、私達は安心する。凍える夜風に当たりながら野宿することにならなくてよかった。


「じゃああなた達、こっちに来て」

「はい……」


 私と哀香ちゃんは、エリーさんに部屋に案内してもらった。ちなみに蓮君はユタさんの部屋だ。




 エリーさんの部屋には、大きな二段ベッドが二台置かれてあった。部屋の奥には木製のテーブル、床には野原をイメージした黄緑色のマット。自然を肌に感じる部屋だ。


「エリーさんって、ここのバーに住んでるんですか?」


 荷物を部屋の角に置きながら、私はエリーさんに尋ねる。


「うん、ユタさんにお願いして、住み込みさせてもらってるの。あ、タメ口でいいよ」

「え、うん……」

「呼び方もさん付けじゃなくてもいいからね」

「じゃあ……エリーちゃんで」

「うん♪」


 彼女はパチッとウインクする。可愛いなぁ。それに、見る限り私達より年下なのに、もう働いているなんてしっかりしている。すごいなぁ、エリーちゃんは。


「えっと、凛奈と哀香だったわよね」

「うん」

「えぇ……」

「タオル持ってる? 今からお風呂に入るわよ♪」


 お風呂という言葉を聞いた途端、私の心がガンガンと高ぶるのを感じた。あまりに疲労が溜まりすぎていたので、お風呂はとても楽しみだ。そして、自分の体が汗をかいてベタベタになっていることに、私は今更気がついた。






 そのお風呂は一階にあった。バーの従業員専用の更衣室を通り越し、長い廊下を歩いた先に脱衣所の入り口がある。そこをさらに通り抜けて浴場の扉を開けると、中に直径五メートル程の大きな円形の湯船がある。黄緑色のお湯がきらびやかに輝いている。


 そして周りには、取り囲むようにシャワーが四台設置されている。床の黄色いタイルがキラキラしている。度肝を抜かれた。こんな豪華なお風呂、テレビでしか見たことないよ……。


「す、すごい……」


 哀香ちゃんも口をポカンと開けて驚いている。表のバーは古ぼけた雰囲気だったけど、お風呂だけ別の施設に移り変わったように新しくなっている。


「最近ユタさんが改装してくれたの。お風呂好きの私のためにね♪」


 エリーちゃんが再び可愛くウインクする。住み込む女の子一人のために改装って……ユタさん、もしかしてお金持ち?


「じゃあ、入りましょ」


 エリーちゃんは脱衣所へ向かう。私も早く湯船に浸かりたくて、エリーちゃんを追いかける。やっとお風呂だ、やったぁ♪ 足取りが軽く感じた。




「ふぅ……」

「気持ちいい……」


 私達は髪を結い上げ、体をタオルで覆いながら湯船に浸かる。背中を壁にもたれかけて力を抜く。体にどっと溜まった疲れが、お湯に染み出ていくように癒される。とても気持ちいい。

 そして、ほんのりと甘い香りが漂う。特別な入浴剤を使っているのが、肌と鼻で分かる。なんて優雅な入浴なのだろう。


「いい香りだね。何の入浴剤使ってるの?」

「詳しくはしらないけど、ルビーマウスの血を使ったやつって、ユタさんが言ってたよ」


 マウス? てことは……ネズミ!? 温かいお湯に浸かっているのに、背筋が凍えるように震え上がった。そんなもの使ってるなんて……。

 でも、私は必死に出たい気持ちを抑える。気持ち悪いと思うのは失礼だよ、自分。そう思っても、曲がる眉と口元は抑えられなかった。


「ひぇぇ……」

「大丈夫よ。ルビーマウスの血液は美容効果があって、化粧品とかにも使われるから。こんな感じに香りがいいのも特徴なのよ」


 エリーちゃんは黄緑色のお湯を両手で掬い、スンスンと香りを楽しむ。確かに、香りはすごくいい。ただし、ネズミの血が混ざっているという事実を思い出すと、なんだか台無しに感じる。なので、そのことだけは忘れることにしよう。




「……」


 哀香ちゃんは先程から相変わらずぼーっとしている。何か考え事でもしているのだろうか。それとも疲れているのか。私は声をかけてみる。


「哀香ちゃん、大丈夫?」

「へ? あ、うん。大丈夫大丈夫……」


 話しかけると、哀香ちゃんはハッと我に帰る。さっきからその繰り返しだ。本当にどうしたというのか。


「本当に? さっきからずっとぼーっとしてるよ? 疲れてるの?」


 私は哀香ちゃんの顔を覗き込む。何か悩んでいるなら相談に乗ってあげたい。彼女にはいつも助けられているから。彼女は不器用な笑顔を作りながら後退りする。


「んもう! 大丈夫だってばっ!」


 モミッ


「ひゃっ……///」


 思わず変な声を出してしまった。哀香ちゃんがタオルの上から、私の胸をわしづかみにしてきたのだ。無駄に大きい私の胸は、彼女のいやらしい手つきでもみくちゃにされる。


「このこのこの~!」

「あははっ……や、んんっ……/// や、やめてよ哀香ちゃ……あぅ……///」


 今度はタオルを引っ張り、直接肌をくすぐってくる哀香ちゃん。お湯の飛沫がバチャバチャと跳ねる。前にお泊まり会で一緒にお風呂にはいった時も、彼女は調子に乗って揉んできた。いつも彼女のスキンシップは激しすぎる。くすぐったいよ……。


「ったく、巨乳って羨ましいわね~♪ もしかして、小さい頃から陽真に揉んでもらってきたんじゃないの~?」


 モミモミモミ……


「ち、違……あっ、や、やめっ……///」


 必要以上に胸を揉んでくる哀香ちゃん。私の甘ったるい声が浴場で響く。なんだか変な気分になってきた。や、やめて……哀香ちゃん……はうう……///


「あははははははっ」


 エリーちゃんが私達の仲睦まじい(?)様子を見て吹き出す。


「わ、笑ってなひぃ……っで……助けてよぉ……///」


 早くものぼせそうなほど暑くなってきた気がする。結局お風呂から上がるまで、私は哀香ちゃんのされるがままに体をいじくり回された。


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