第19話「敵と味方はBarにいる」



「……え?」


 千円札をお財布から引き出そうとした蓮君の手が止まる。今、シェフさん何て言ったの? ジップ?


「ジップ?」


 哀香ちゃんがまじまじと聞き返す。


「え? はい。2580ジップです……」


 シェフさんは「え? 今、自分何かおかしなこと言いました?」と訴えるような眼差しで、私達を見つめる。『ジップ』っていうのは、もしかしてお金の単位!? 『円』じゃないの!?

 そういえば、メニュー表には「Z」のアルファベットの後に、数字が続いていた。あれはジップを表す通貨記号だったんだ。円なら「¥」がつくはずだ。数字だけに囚われて、完全に忘れていた。


「何? ジップって……毎朝5時50分に放送してるアレ?」

「えっと……」


 哀香ちゃんが両手でハートを描くあのZIPポーズを、シェフさんの前でやってのける。シェフさんは反応に困っていた。そりゃそうだ。


「何ふざけてるんだよ哀香!」


 蓮君のツッコミが再びギャングの視線を集める。どうしよう……急に異世界設定が仕事をし始めた。使うお金の単位が違うなら、日本円なんて使えるはずがない。

 そしてこの世界のお金も、私達は当然持っているはずがない。お金を払う手段がない。私達の額から冷や汗が流れ出す。万事休す、絶体絶命だ。どうしよう……。




「お嬢ちゃん達、お困りのようだねぇ~。一体どうしたのぉ~?」


 突如、後ろから声をかけられた。振り向くと、さっきまで食事を楽しんでいたギャングのうちの二人が、私達に近づいてきた。二人共いかつい戦闘服を身につけたギャングだ。言っては失礼だけど、気持ち悪い顔をしていた。


「えっと、お金が無くて……」


 私はとりあえずありのままの状況を話す。


「お金無いのぉ~? だったら俺達が払ってやろうかぁ~?」


 ギャングは私達に顔を近づける。不気味な笑みを浮かべている。面白いおもちゃを目の前にしているかのように。


「え? おじさん達、お金払ってくれるの!?」


 哀香ちゃんは身を乗り出す。助けてもらえると知ると、分かりやすく態度を変える。ギャング達はさらに鼻の下を伸ばす。


「あぁ、全然いいよぉ~♪ その代わりぃ~」




 ガシッ

 ギャングは急に私の後ろに移動し、肩に素早く腕を回して顔を近づける。体をこれでもかと言うほどに密着させてくる。もう一人は哀香ちゃんの肩に腕をかけている。私は言い知れぬ恐怖を感じる。


「俺達と一緒に遊んでくれるかなぁ~?」


 さらに顔を近づけてくるギャング達。


「はぁ? そういうのお断りなんですけど……。触らないでくれます? 気持ち悪いので」

「あぁ? なんだこの女、顔だけかよ。性格クソだな」

「うっさいわね! 顔もクソなアンタ達に言われたくないわよ!」


 哀香ちゃんは再び態度を急変させ、臆することなく乱暴に吐き捨てる。言い寄ってきたギャングと言い争いを始める。私に絡んできたギャングは、あちらの様子を気にすることなく私にベタベタしてくる。私が抵抗してこないのをいいことに調子に乗る。


「あ、あの……困ります……」

「いいじゃんいいじゃん、俺達と遊ぶの、すっごく気持ちいいよぉ~?」


 ギャングの息が荒くなる。さっきまで食べていたであろう食べ物の匂いと、飲んでいたお酒の匂いがする。それが元の口臭と混ざって不愉快だ。語尾を伸ばす喋り方も非常に気持ち悪い。


「でも……」

「お金ならいくらでもあるからさぁ~♪ ねぇ~ねぇ~」


 この人達は明らかに卑猥なことを考えている。嫌だ。すごく気持ち悪い。柄の悪い男の人に絡まれるのは何度目だろう。いい加減にしてほしい。




“君、可愛いね。おじさん達がいいところに連れてってあげようか”


“おじさん達と一緒に楽しいことしましょうね~”




 ふと、私の中の古傷がえぐられる。小学校三年生の頃、男の人に誘拐されそうになったあの出来事。悪夢のような記憶が呼び起こされ、私の体は震え始める。フラッシュバックだ。

 どうしよう……あの時のように逃げ出したいけど、料理の代金を払っていないのに、お店から出るわけにもいかない。周りのお客さんもギャングばかりで、助けてくれる様子はない。まるで計画尽くされた犯行のようだ。私達は為す術もなく恐怖する。


“助けて……陽真君!”


 来てくれるはずもないのに、彼を求めてしまう。そもそも、この世界にいるのかどうかも分からないのに。


「そんじゃ♪」


 ギャングはポケットに手を突っ込み、お金を取り出そうとする。片方の手はしっかりと私の肩にかけたまま。私は連れ去られることを覚悟した。


「あの、いい加減二人を離してください」


 蓮君が勇気を出して止めに入ろうとした。




 ピーーーー

 すると突如、シェフさんが木製の笛を鳴らす。かすれが混じるその音は店内に響き渡り、ギャング達をざわつかせる。


「やっべ! 調子乗り過ぎた……」

「逃げるか?」


 私と哀香ちゃんに絡んできたギャング達は、その音を聴くと突然慌て出した。私達からすぐに腕を離す。そして間も空けず、お店の外から足音が聞こえてくる。誰かが走ってこちらにやって来る。私達は唾を飲む。


 バーン

 お店のドアが豪快に開けられた。


「そこのお前達! 何をやっているんだ!」

「いけないな~お兄さん方、変なことしちゃ……もしかして酒に酔ってたぁ?」


 その人達は騎士の格好をしていた。腰に剣を携え、赤いマントを背負った茶色の軍服を身にまとっている。一人は鋭い口調でギャング達を問い詰め、もう一人は相手を軽視するかのような愉快な口調と眼差しで、ギャング達を追い詰める。


「くっ……」


 ギャング達はその騎士達に腕をロープで縛って拘束された。そのまま外へ連れ出された。一応助けてもらったってことなのかな?




「……」


 ガタガタガタガタ

 その他の席で食事を楽しんでいたギャング達も、さっさと料理を口に放り込んで席を立つ。テーブルに料理の代金だけを置き、逃げるようにお店を出ていく。

 私達はその光景を困惑しながら眺める。強面の集団が次々と闇の中へと消えていき、数分で店内は私達と従業員以外誰もいなくなってしまった。一体何が起きたというのか。


「ふぅ……あ、お客様、大丈夫ですか?」


 シェフさんが心配そうに私達に聞く。


「はい、大丈夫です。助かりました……」


 蓮君が答える。きっとシェフさんが助けを呼んでくれたってことだよね。いきなり騎士が飛び込んできたことには驚いたけど。でも感謝しなきゃ。


「もう! 蓮ったら、早く助けなさいよ! 男でしょ?」

「だって、何されるかわからないし……」

「『だって』じゃないの! 何かされるのは私の方よ……。男だったらガツンと行きなさいよね!」

「えぇ……」


 恐怖が消え、いつもの調子を取り戻す二人。いや、哀香ちゃんだけはギャングに絡まれたにも関わらず屈しなかったから、いつもと変わらなかったと言うべきか。そう思うと、蓮君もいつも通りだったとも言えるかな。


「……」


 ここで、私は自分の体がまだ震えていることに気がつく。まだ恐怖が体にまとわりついていて離れないらしい。涙まで出てきそうになる。


「お客様、何か嫌なことでも思い出しました?」


 うつむいていた私に、シェフさんは声をかけた。私の心の奥底まで見透かしているような口調だ。私は涙が流れるのをぐっと堪えた。体の震えは幸いにもすぐに治まった。


「いいえ、もう大丈夫です」


 他人にもなるべく心配をかけないよう、無理して笑ってみせた。しかし、他人だと思うと不思議と違和感が襲ってくる。どうしてだろう。


「えっと、ところで料理の代金についてですが……」

「チッ、忘れてたと思ってたのに……」


 哀香ちゃんは軽く舌打ちした。


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