第9話「告白」
その日の授業がまるで頭に入らなかった。当然だ。告白の時が刻一刻と迫るのだから。今にもこの胸が張り裂けそうなほど、緊張が走る。凛奈は誰にも邪魔されないよう、陽真をプチクラ山の時計広場に呼び出した。
「……」
哀香と蓮太郎も流石に空気を読んでその場に同行せず、二人だけの空間を作ってくれた。今頃自宅で果報を待っていることだろう。時計広場には、陽真と凛奈の二人以外誰もいない。
「凛奈、話って……」
陽真が振り返る。今こそ勇気を振り絞る時だ。凛奈は手汗でベタベタした両手で、プレゼントの入った箱を差し出す。
「陽真君にはすごくお世話になったよね。いつもありがとう、私のそばにいてくれて」
「え?」
“さぁ……言うんだ……私!”
凛奈は歯を噛み締めた。
「私、陽真君のことが好き。私、泣き虫で弱虫だし、強くなくて守られてばっかりだけど、こんな私でもよかったら、これからは恋人として付き合ってくれますか?」
「!?」
陽真は驚いて言葉が出なくなる。普段から気遣いができて、人の感情を読み取りやすい彼でも、凛奈が告白してくることは予想外だったらしい。
彼は震えた手でプレゼントを受け取ろうとする。ゆっくりと彼の手が箱に近づく。この手が触れた瞬間、二人は一線を越える。空白となっていた心の距離を、今こそ埋めるのだ。
「……」
しかし、あと数センチのところで、陽真の手が急に止まる。そして腕を引っ込め、静かに呟く。
「悪ぃ、時間をくれないか」
「えっ?」
陽真は何かが心に引っ掛かっている様子だ。凛奈がいつも見ていた彼は、何事に対しても冷静さを欠くことなく、堂々と立ち振る舞っていた。
「少し、考える時間がほしい。返事は……その後にさせてくれ」
しかし、突然の告白に戸惑い、瞬時に答えを出せないようだ。陽真の頭から少々汗が吹き出す。彼はポケットからハンカチを取り出して拭う。返事を先延ばしにされるとは、流石の凛奈も想定外だった。
「……うん」
「本当に……悪ぃ」
凛奈は陽真の頼みを受け入れ、小さく頷く。元々自分が唐突な告白をしてしまったのだ。陽真であろうと、その場で返事を決めろというのは野暮だろう。
彼はハンカチをポケットに突っ込み、早足で階段を下りていった。前髪で隠れて顔が確認できなかった。夕焼けに照らされた彼の後ろ姿を、凛奈は見えなくなるまで眺める。
「……」
なぜかいつもの陽真とは違い、力強さを感じない。むしろ弱々しい姿に見えた。実にもどかしい。あんなに物事をはっきりとさせない彼の様子は初めてだ。陽真ではない誰かを見ているような気分だった。
決して振られたわけではない。返事を先延ばしにされただけだ。しかし、喜んでいいのか、悲しむべきなのか、複雑な心境だ。それに、陽真ではない誰かを見ているような違和感が気になる。あの弱々しい背中も。
まぁ、初恋とはこのように曖昧なものなのだろう。この微妙なすれ違いは、当たり前に存在するもの。凛奈は時計広場のベンチに座り、プレゼントの入った箱を見つめる。陽真の首にこのペンダントをかける日は、一体いつ来るのだろうか。
「陽真君……」
誰もいない空に、凛奈の呟きが消えていく。嫌な予感がする。陽真と更に離ればなれになってしまうような、嫌な予感が。呼び止めないと連れ戻せなくなくなるような、嫌な予感が。心の中にわかだまりが積もっていく。
とにかく、今は振り切りろう。家に帰ろう。凛奈はプレゼントの箱を学校鞄に入れ、陽真の通った跡を追った。それを辿ったところで彼の元へ行けるわけではないとも知らず。彼女は曖昧な心境の中、プチクラ山を下りた。
そして、地面に落ちていた陽真のハンカチにも、気がつくことはなかった。
* * * * * * *
ザッ ザッ ザッ ザッ
土曜日、俺はいつも通りプチクラ山のハイキングコースを利用して、体力作りに励んでいた。約1000メートル程度のコースを数回往復する。
途中休憩を挟みつつではあるが、これで十分体力は付く。毎週欠かさず行っている日課だ。走って流した汗を拭き終えたら、腹筋や背筋、腕立て伏せなどの簡単な筋トレもしなくては。
これも、あいつを守れる強さを手に入れるため……
「……」
俺の足は唐突に動きを止める。凛奈のことを考えると、いつもこうなってしまう。
そして、先日の凛奈の告白が頭にちらつくのだ。あの時は突然過ぎてどうしたらよいかわからず、返事を考える時間を用意してもらえるよう頼んだ。なんて情けない奴だ。自分で自分をそう思う。
体力作りを終わらせて家に戻る。部屋にこもって告白の返事を考える。しかし、一時間、二時間、十時間経っても返事は浮かばない。いつの間にか時刻は午後8時半になっていた。
「うーん……」
凛奈とのLINEのトーク画面を表示させてからだいぶ時間が経った。一文字もメッセージが入力できていない。早く返さなくては。長く待たせるわけにはいかない。
ガチャッ
「陽真~、あんた昨日ハンカチどうしたの?」
空気を読まない母親が、思春期真っ盛りの息子の部屋にノックもせずに入ってくる。
「昨日の洗濯物のとこに出てなかったわよ? ズボンのポケットの中にも無かったし……」
今はハンカチなんかどうでもいいんだが。しかも昨日のって……。ん? ハンカチ? いや、あの日持って帰ってこなかったか? 洗濯物のとこに出した記憶は……無い。まさか!?
「プチクラ山……」
「は?」
「悪ぃ、母さん。今から取ってくる!」
「え? ちょっと陽真!」
母さんの呼び止めを無視し、俺は家を飛び出す。
「あった!」
俺は夜のプチクラ山にやって来た。やはりハンカチは時計広場に落ちていた。体力作りに来た時に思い出せば丁度よかったのに。ハンカチは少し土埃がついているが、想像していたより汚れてはいないみたいだ。誰かが拾って持って帰らなくてよかった。
あの時は凛奈がいたため、凛奈にハンカチを拾ってないかどうか聞くこともできた。しかし、告白の返事を待っている相手に返事をするより先に、落とし物の所在を聞くような馬鹿になりたくなかった。
「よし……」
今度はしっかりとズボンのポケットの奥に押し込む。あの時は唐突な告白で焦っていたため、ハンカチがズボンのポケットから落ちていたことに気がつかなかった。恋はこんなにも人を盲目にさせる。
恋……。
「……」
再び凛奈のことが頭に浮かぶ。そもそも俺は凛奈の恋人にふさわしい相手なのか。答えが出せない。自分で自分のことを強いと錯覚している俺に、凛奈のそばにいる資格はあるのか。俺は星が輝く夜空を眺めて祈る。
“神様、俺と凛奈は一体どうすればいいんですか。答えを教えてください”
……またもや俺は自分が情けなく思えてきた。
「馬鹿か俺は。神様に聞かないで自分で考えろってんだ」
腕時計を確認すると、時刻はちょうど午後9時に差し掛かったところだった。
「……」
なんとなく俺は胸に手を当てる。凛奈のことを思い浮かべる。正直なところ、俺は凛奈のことをどう思っているのか。強さとか資格とか関係無しに、自分自身の本音としてどうしたいと思っているのか。自分の心に聞いてみる。
ドクンッ ドクンッ
心臓の鼓動が聞こえる。それが凛奈のことを思い浮かべる度に強くなる。同時に自分の顔に熱が集まるのを感じる。凛奈を思い浮かべた俺の心はドキドキしていた。あぁ、そうか。これが答えなのか。
俺……凛奈のこと……
シュー
「?」
背後から何かの気配を感じた。ゆっくりと何かが近づいてくる。俺はとっさに後ろを振り向いた。
「!?」
いつの間にか時計広場が濃い霧のようなものに包まれていた。先程までは何の変哲もない普通の空間が、今は不気味な白い霧に覆われている。時計も、ベンチも、階段も見えない。
「何だ……これ……」
その霧は今にも俺を飲み込もうとする。逃げる暇もなく、俺は白の中へと消えていく。
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