第10話「嫌な予感」



「凛奈、すまない」

「嫌だ! 行かないで陽真君……」


 私は陽真君の前で泣き叫ぶ。背後には彼を待つ浅野家の車が停まっている。こんな時にいきなり転校だなんて、話が急すぎる。私は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった手で、陽真君の袖を掴む。絶対にどこにも行かせない。


「凛奈」

「行かないで! 離れない! 絶対に離れないから! 陽真君のそばにいるんだもん!」


 私はお菓子をねだる子供のようにくっつく。陽真君を困らせてしまうことは百も承知だ。それでも、彼と離ればなれの人生なんて、絶望以外の何物でもない。想像するに耐えない。


「……」


 ブンッ

 私の幼稚な態度に呆れたのか、陽真君は私を力付くで振り払って立ち去ってしまった。屈強な男である彼の方が、力は何百倍も上だ。私は突き放されてしまった。


「待って!」


 陽真君は早足で車に乗り込む。すぐに車が発進し、全速力で離れていく。私に何も言わず、遥か遠くへ行ってしまった。届くはずがないと分かってはいるものの、私はやかましく泣き叫びながら手を伸ばした。


「行かないで! 陽真君! 陽真君!!!」






「……陽真君っ!」


 ベッドの上で思いきり彼の名前を叫んでしまった。チュンチュンと鳴く雀の鳴き声が、私に今の光景は夢だと教えてくれる。無駄に長く黄色い髪が所々濡れている。私、汗をかいてるんだ。胸元にも水滴が溜まっている。


「ハァ……ハァ……」


 朝から不吉な夢を見てしまった。






「それにしても、凛奈は相変わらず陽真君のことが好きなんだなぁ」

「え?」


 私はキッチンで朝ご飯を食べている。突然のパパの呟きに首をかしげる。お茶漬けをかきこむ私の箸の動きが止まる。私のパパ……清水由吉しみず ゆきちは、朗らかな笑みを浮かべながら続ける。


「だって、いつも寝言で『陽真君……陽真君……』って言ってるし、僕の部屋まで聞こえてるんだよ」

「え、えぇっ!?///」


 私の頬は一気に赤く染まる。まさか、寝言で呟くほど陽真君を意識していたとは。しかも家族に聞かれていたなんて……。もう、恥ずかしいどころの話ではないくらい恥ずかしい。結局恥ずかしいや。


「そういえば前、お家でうたた寝してた時も呟いてたわね。幸せそうに『陽真君~』って」


 私のママ……清水縁しみず ゆかりも、パパの発言に便乗する。ママも聞いてたなんて、それなら早く言ってほしい。無意識のうちに呟いていたのを聞かれることが、一番恥ずかしいんだから。

 これは、告白したことも話さない方がいいかもしれない。話したら絶対からかわれるから。


「やっぱり凛奈は陽真君と結婚するのかな? 凛奈の夢だったもんな♪」

「そ、それは! 小さい頃の話で……///」

「小学生の頃から言ってたものねぇ。『私、陽真君のお嫁さんになるんだ~』って♪」

「だからそれは……んもう! やめてよ!///」


 私は顔を押さえて縮こまる。朝から二人して私をからかってくる。陽真君のお嫁さんになりたいという、幼なじみの前で調子に乗ってよく言っちゃうこと。今でも鮮明に覚えているからこそ、とてつもない羞恥心が全身を覆い尽くす。

 しかも話の流れで、当時の陽真君が「分かった! 大人になったら結婚しよう! 約束だぞ!」と返事した記憶が頭に甦ってきた。今の彼はそんなことなどとっくに忘れてるだろうし、ずっと私の片思いなんだから思い出すだけ無駄だ。


「私もう学校行く! 行ってきます!」


 これ以上からかわれることに耐えられない。私は残りのお茶漬けをたいらげ、逃げるようにキッチンを後にした。学校鞄を抱え、さっさと学校へ向かう。


 小さい頃のプロポーズの返事より、今の告白の返事だ。






「はぁ……」


 私は登校路を一人でとぼとぼと歩く。告白された日から三日経ち、今日は土日を挟んでの月曜日。結局、陽真君からの返事はまだ来ていない。今朝は家の前で待ってくれることもなかった。彼に勇気を出して告白したあの時から、私は笑っていない気がする。


「お~い! 凛奈~!」


 後ろから名前を呼ばれた。振り返ると、哀香ちゃんと蓮君が私目掛けて走ってきた。二人は私の前で立ち止まった。


「ハァ……ハァ……凛奈……告白した?」

「……したよ」


 息を切らしながら聞く蓮君。一方で、哀香ちゃんは汗ひとつかかず、落ち着いた様子で聞いてくる。


「それで? 返事は?」

「もらってない。考える時間がほしいって……。プレゼントも受け取ってもらえなかった……」

「はぁ? 何よそれ。陽真ってそんなにはっきりしない男だったの?」

「ハァ……ハァ……まぁ、突然の告白なんだ。戸惑うのは……ハァ……仕方ない。それに……断られたわけでは……ハァ……ないんでしょ? まだ可能性……ハァ……あるよ。ハァ……」


 蓮君、疲れてるんなら無理して話さなくてもいいんだよ。励ましてくれるのは嬉しいけど。


「何ちょっと走ったくらいでバテてんのよ。レンタカーのくせに。もっと走りなさいよ」

「レ……レンタカー……言うな……ハァ……」


 いつもの蓮君のツッコミにも覇気がない。とりあえずそのまま三人で歩きながら、告白の結果を二人に詳しく話した。それにしても、せっかくの告白がなんとも微妙な雰囲気のまま終わってしまった。


 この後、陽真君はちゃんと返事をくれるのかなぁ? あの時の陽真君の様子がおかしかったことも心配だ。何か抱え込んではいないか。それだけでなく、今朝の不吉な夢のことも気になる。


「……」


 何だか、本当に陽真君が遠くへ行ってしまいそうな、妙な胸のざわめきがする。








「私が生徒会長になった暁には、更なる学校の発展を目指すことを誓います! そもそもより良い学校とは生徒達自身が安心感をもって心地よい学校生活を送ることができるもの! そのために校則の見直しや学校行事の細部からの改善などを試みるつもりであり……」


 副会長の村井さんの声が聞こえる。朝から校門前で生徒会長選挙の演説を行っている。何ともご苦労なことだ。副会長止まりでは満足できないらしい。


「あ、いた! 凛奈~!」


 昇降口から女子生徒がこちらに走ってくる。あの子は……万里ちゃんだ。ジャージを着ている。今日は陸上部の朝の練習があるため、マネージャーも他の部員と共に朝早くに学校へ向かっている。今日は私の担当ではなく、万里ちゃんの担当だ。


「万里ちゃん、おはよう。朝の練習お疲れ様」

「ねぇ凛奈、浅野君見なかった?」

「え? 見てないけど……」


 万里ちゃんは非常に焦った様子で私に尋ねる。陽真君とは告白したあの時から会っていない。連絡も取っていない。周りを見渡しながら慌てる万里ちゃん。何かあったのかな?


「どうしたの?」

「浅野君、朝練来てないのよ」

「え?」


 私は驚いた。陽真君が風邪と家の都合以外で部活を休んだことは、今までで一度もない。あんなに部活に打ち込んでいた彼が……一体どうしたのだろう。


「風邪でも引いたのかな? それとも寝坊かな?」

「LINEで聞いても、全然返事が来ないのよ。電話しても繋がらないし……」

「え? そうなんだ……」


 突然陽真君と連絡がつかなくなった陸上部は、大変困惑しているようだ。きっとファンも部活に彼の姿が見えず、不安に思っていることだろう。


 キーンコーンカーンコーン

 校舎からチャイムが聞こえる。外にいる生徒を校舎内へ入るよう促す合図だ。


「そろそろ行かないと……」

「うん」


 私は万里ちゃんと一緒に朝の練習の片付けを手伝いに行った。朝のショートホームルームが始まる前に、私達はなんとか席に着いた。陽真君のことは気がかりだけど、私は頑張って意識を担任の先生の方へ向けた。




「……」


 だが、その日の授業も集中できるわけがなかった。永遠のようにも感じられたその時間は、実に鬱陶しかった。早く終われ……早く終われ……と、時計に向かって念じた。放課後は陽真君の家に行くつもりだ。


「ねぇ、凛奈。陽真のやつ、今日一日学校来なかったらしいわよ」

「え?」


 帰りのショートホームルームを終え、一人先走って帰ろうとする私に、哀香ちゃんは呟く。陽真君は私達とは別で、隣のクラスに在籍している。哀香ちゃんがわざわざ隣のクラスの友達から聞いてきたようだ。


 私達は彼の家に向かう前に、隣のクラスの担任の先生のところへ行く。


「あの! 陽真君、今日どうしたんですか?」

「陽真……浅野のことかい? それが分からないんだ。朝から授業に来なくて……。とにかく、彼は今日は休みだよ」


 部活仲間はともかく、担任の先生にまで連絡してないらしい。ますます心配になる。彼の姿を視界に収めない時間が増える度に、不安が心に積もっていく。


「そんな……一体どうして……」

「うぅん……」


 先生は、少しの間何かを渋るように唸る。そして、絞り出すように呟く。


「本当は君達生徒に言うのは、あまりよくないと思うけど……」


 先生は手招きする。私は耳を先生の口元に近づける。






「浅野の奴、一昨日の夜から家に戻ってないらしいんだ。あいつの家から連絡があった」

「……え?」




 私は呆然と立ち尽くした。担任の先生から告げられた驚愕の事実。何の前触れもなく、突如として私のかみさまはこの街から姿を消した。


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