第2章「かみさまのいない日常」

第11話「かみさまのいない日常」



 凛奈と哀香と蓮太郎の三人は、何かを追いかけるように陽真の家へと走った。彼が学校に来なかったのは、彼が突如として失踪したからだった。家族や友人、学校に一つの連絡も無しに。嫌な胸騒ぎがした凛奈は、息を切らしながら浅野家へと向かう。


 ピンポーン

 浅野家のインターフォンを鳴らす凛奈。幼い頃、陽真の元へ遊びに来た際に、何度も背伸びをして鳴らしたものだ。押す度に思い出の数々が甦る。

 彼との距離が遠くなり、思い出も薄れさってしまわぬよう、凛奈は祈りながら陽真の家族が迎えるのを待った。


 ガチャッ


「……凛奈ちゃん?」


 顔を見せたのは、陽真の母親の浅野麗子あさの れいこだった。幼い頃から陽真と同様にお世話になっている人だ。彼の部屋で遊んでいると、よく美味しいお菓子とお茶を運んできてくれたことが記憶にある。


 綺麗な見た目とは裏腹に、かなり気の強い人だ。陽真により多くの人と友達になるよう教えたと、凛奈は彼から聞いていた。凛奈が陽真と仲良くなるきっかけの一部を作った人物であるとも言えよう。


「あの、陽真君が行方不明になったって聞いて……」

「心配して来てくれたの? ありがとう。どうぞ上がって」


 玄関のドアを開け、中に入るよう促す麗子。三人は軽くお辞儀をしながらドアを潜った。凛奈は少し痩せ細った麗子の顔が気になった。




 テーブルに出されたオレンジジュースは、手に取るととても冷たかった。まだ夏のような暑さは続いているため、冷たい飲み物はとてもありがたい。しかし、場の空気まで余計に冷やしてしまいそうで不安だ。


 だが一杯飲んでみると、懐かしさが口の中に広がり、心を落ち着かせることができた。凛奈の頭に、陽真と乾杯した幼い頃の記憶がよぎる。グラスとグラスがカツンと重なり合う音が好きだった。あの音で、二人は絆を深め合った。


「わざわざありがとうね」

「いえ。それで、陽真君は……」


 とてつもなく言い出しにくかったが、勇気を出して口を開いた。詳しい事情を語るのは、親としては心苦しいだろう。


「うん。あれは土曜日の夜のことだったわ……」


 麗子は陽真が失踪した経緯を、暗いトーンで凛奈達に話し始めた。




 二日前の土曜日、凛奈が陽真に告白をした日の翌日だ。その日の夜の午後8時半頃、彼はプチクラ山に落としたハンカチを探しに家を飛び出したという。凛奈に告白をされた時に落とした物だ。

 ハンカチを探しに行くだけですぐに帰ってくるはずだと、麗子は当たり前のように考えた。


 だが、陽真は午後10時を迎えても、家に帰って来なかった。心配してすぐに電話をかけるが、彼の携帯は彼の自室の中で揺れた。その後も、彼が家に戻ることは無かった。そして今に至る。

 今のところ発覚している事実は、陽真が土曜日の午後8時頃に家を出て、そのまま帰って来ていないということだけだ。麗子の口はすぐに閉じられた。


「昨日行方不明者届を出したわ。まだ見つかっていないけど……」


 一般的に行方不明届を提出するタイミングは、行方不明が発覚してからおよそ三日以内が妥当だと考えられている。

 それ以降を過ぎれば、捜索して見つかる確率が十分の一にまで下がるという。後になって重大な事件に発展することがないように、早めに提出することが重要だ。




 事情を受け止め、凛奈の中の真っ暗な何かがざわめいた。


「陽真君は私に呼び出されて、プチクラ山に来て、ハンカチを落とした。そのハンカチを後で取りに行って……いなくなった……」


 凛奈の手足が震え始める。明かされた事実と、彼女の頭の中にうごめく最悪な可能性が、不運にも上手く繋がった。


「てことは、陽真君が最初からプチクラ山になんて行かなければ……私が陽真君をプチクラ山に呼び出されなければ……陽真君はいなくならなかった……?」

「凛奈?」


 凛奈の手足の震えはより一層激しさを増す。そして、彼女は思いきり叫ぶ。


「全部私が悪いんだ! 私のせいで陽真君はいなくなったんだ! 私が陽真君に告白なんてしなければ陽真君がいなくなることは……」

「凛奈!!!」


 自分を責め立てる凛奈。心の距離を近づけたいという己の身勝手さが、今回の事態を招いてしまったと本気で信じ込んでしまった。哀香が彼女の手を力強く握る。蓮太郎と麗子も心配そうに見つめる。彼女はハッと我に返る


「落ち着いて。そんな結果論考えたって、どうにもならないわよ。やめなさい」


 哀香は母親のように凛奈を叱りつける。そう、これは今さら考えたって仕方のない過去だ。予測することなど不可能だった。凛奈は素早く気持ちを切り替えた。


「……ごめん」

「まだ有力な目撃情報は無いんですか?」


 哀香は気を取り直し、職務質問のような口調で麗子に尋ねる。自分達も少しでも必要な情報を集めなければいけない。


「うん、捜索を始めたばかりだものね。警察も必死に捜索しているはずだけど……」


 行方不明者届が受理され、現在進行形で警察が捜索を進めている。今は警察を頼りにするしかない。自分達はただ早期の発見を祈ることしかできない。麗子は日々無力感に襲われているという。

 彼女の瞳からは、今にも悲しみの滴が溢れそうだ。対する凛奈はすぐに落ち着いたが、今度は何かを決意するかのような表情を浮かべながら、再び震えていた。




 ダッ!


「麗子さん!」


 突如立ち上がった凛奈は、溢れる雫を掬い上げる勢いで口を開く。テーブルに手を突きながら、言葉を絞り出す。


「私も……捜します」

「え?」

「私も陽真君を捜します! どうか私に協力させてください!」


 決意を固めた凛奈。麗子にとって、凛奈はただ息子の幼なじみ。余計なお節介かもしれない。更に加え、一般人による捜索は警察のそれと比べると限界がある。

 しかし、その程度のことで、彼女の意志は跳ね返すことはできなかった。彼女は最後に付け加えた。


「絶対に……陽真君を見つけ出してみせます……」

「凛奈ちゃん……ありがとう」


 その後、麗子は何も口にしなかった。「そんなの無理だ」「気持ちだけで十分だ」とも言わなかった。ただ、凛奈のことを信頼していることは、彼女の顔を見れば誰もが理解できた。






 帰り道に哀香は凛奈に尋ねた。


「あんな無責任な約束してどうすんのよ」

「無責任じゃない。絶対に見つけるんだもん」


 わがままな子どものようにズシズシと歩く凛奈。しかし、彼女の決意は本物だ。愛しの幼なじみが消えてしまったという事態は、彼女にとっては精神的な死活問題なのだ。頭の彼女には、陽真のいない世界に意味など見出だせない。


「私は陽真君にもう一度会いたい……陽真君から返事がほしい」


 そう、告白の返事もまだ受け取っていない。絶対に見つけ出して、陽真の思いを聞きたい。凛奈を突き動かすものは、全て陽真からもらったものだ。彼からもらった勇気、信念、愛だ。それら全てが彼女の力となる。


「私は絶対に陽真君を見つけ出す」


 真剣な眼差しを哀香に向ける。哀香はため息をつく。観念して凛奈の前に手の甲を差し出す。彼女は笑っていた。


「ほんと、アンタは図々しいんだから……」


 哀香の手の甲の上に蓮太郎が手を乗せる。凛奈は一人ではない。共に立ち向かう仲間がいる。


「僕らにもできることはきっとある。やれるだけやってみようか」


 哀香と蓮太郎は凛奈の方を向く。凛奈はこの二人に出会えたことに、つくづく感謝した。


「うん! やろう!」


 三人で声を揃えて叫んだ。


『エイ、エイ、オ~!』


 こうして凛奈と哀香、蓮太郎による陽真捜索大作戦が決行された。凛奈は彼のおかげで成長した心と体で、彼への恩返しに熱を上げた。


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