第3話「初めての友達」
「母ちゃんに言われてんだ。男とか女とか関係無しに、たくさんの人と仲良くしろってな」
「そうなんだ……」
太陽は少しオレンジ色になりかけていた。下校路を家族以外の誰かと歩くのは、生まれて初めてだ。陽真君は私の数歩先を歩く。彼のランドセルを背負った後ろ姿を眺めながら、私は彼の話を聞く。
「母ちゃんったら、たまにとんでもねぇこと言うんだぜ。今朝なんか、今日中にクラスメイト全員に話しかけて仲良くなってこいって……」
「うん……」
しかし、さっきから話を聞いているだけで、まともな会話ができていない。友達と雑談をしたことがない私は、「そうなんだ」と「うん」以外の言葉を発することができなかった。それでも、陽真君は私の返事など気にも留めずに話を続ける。
「まっ、なんとか全員と話すことはできたんだけどな」
陽真君は頭の後ろに手を組み、夕焼け空を見上げる。確かに、優しさと面白さをうまい具合に調合したような彼の性格であれば、たった一日でクラスメイト全員と親しくなることは容易いように思える。
内気な私にもぐいぐい迫ってきて、一緒に下校路を歩かせるくらい心に積め寄ってきた。
「最後の一人が凛奈、お前だぜ」
「え?」
陽真君は首だけ後ろを向き、無邪気に笑った。素晴らしい作品を作ったことを、親に誉めてもらいたがっている子どものような笑顔……とても素敵だ。ちょうど前から夕日が照らしてきて、陽真君の明るさが更に印象付けられる。
「ずっと本ばっか読んでて話しかけづらかったけどなぁ。でも、なんとか凛奈とも仲良くなりたいって思ってたから」
そうだったんだ。それは申し訳ないことをした。休み時間は所々いじめっ子にページを破られたり、悪口や落書きをされた児童文庫を読むのに夢中になっていた。陽真君はずっと話しかけようとしてくれていたのに。
今度からちゃんと周りも気にしよう。他人が話しかけにくい雰囲気を、わざと作るのはやめよう。
「ごめんね……」
「別にいいよ」
私と陽真君の間に沈黙が停滞する。彼の方からも何か言うこともなくなり、気まずい空気が流れる。私は下を向く。だが、彼はすぐに沈黙を破ってくれた。
「なぁ、この後時間あるか? あるならこの近くの公園にでも寄って、少し遊んでこうぜ!」
「え?」
私は陽真君を見返した。一緒に遊ぶ? まぁ、今は午後4時21分。遊ぶ時間はあるにはある。だが、誰かと遊ぶのも生まれて初めてだ。クラスメイトと一緒に遊ぶ私……いくら想像しても、今一つ実感が湧かない。
「うん、いいよ……」
「よっしゃ! じゃあ、行こうぜ!」
ガッツポーズをした陽真君は、私の腕を掴んで走り始めた。引っ張られた私は戸惑ったが、嫌な気分はしなかった。陽真君と一緒に住宅街を駆け回るのは、すごく気持ちよかった。
私と陽真君は公園に着いた。そこは、この間怖い男の人達に誘拐されそうになった公園だった。
あの時はどこからともなく何かが襲ってきそうな怖い闇の世界だったが、まだ日に照らされている今の時間帯に見れば、ただのありふれた日常風景だった。幸いにもあの恐怖がフラッシュバックすることはなかった。
「ここ、最近見つけてよ。結構気に入ってんだ♪」
ベンチにランドセルを置き、陽真君は駆け出した。その勢いのままジャングルジムに飛びかかり、すいすいと登って行った。素早い動きに圧倒され、私は驚いた表情のまま陽真君を見つめる。
陽真君は10秒足らずで、4メートルもの高さのジャングルジムの頂上に登りつめた。ぱちぱちぱちと、私は拍手する。
「陽真君、すごい……」
「へっへ~♪ お~、いい眺め!」
陽真君は額に手を当て、公園中をぐるりと見渡す。相変わらず表情がいきいきとしている。とても楽しそうだ。あぁいう風に物事を純粋に楽しめるなんて、すごい。私には到底……
「お~い、凛奈も登ってこいよ~」
「え?」
すると、陽真君は頂上から私に呼び掛ける。私が? 無理だよ。ジャングルジムなんて登ったことないもん。どうやって登るかも分かんないし……。
「大丈夫、簡単だって。ほら来いよ」
陽真君は隣にある棒をぽんぽんと叩く。よし……。私は自分のランドセルを陽真君のランドセルの横に置き、勇気を出してジャングルジムへ近づく。目の前の棒を握る。
「足を持ち上げて、高いとこに乗せて。ハシゴみたいに登るんだ」
陽真君からアドバイスをもらい、私は大きく足を上げて棒に乗せる。腕を伸ばして上の棒を掴み、自分の体重を思いきり持ち上げて登る。
「そうだ! その調子!」
同じ動きをしばらく繰り返す。やった、私……登れてる。陽真君との距離が少しずつ近くなっていく。
「よし! あと少しだ!」
ヒュー
すると、突然風が吹き出し、私の髪とワンピースを揺らす。それは私の脳に高さを感じさせ、恐怖させた。
「あっ、あぁ……」
高い……怖い……。私は目を閉じてしまう。目の前の棒に頭をつける。そのまま動けなくなってしまう。落ちたら大怪我をしてしまう。恐怖は一瞬にして、私の体を氷のようにに固めてしまった。
誰か……助けて……。
「凛奈! 掴まれ!」
陽真君の声だ。私は目を開ける。目の前の陽真君が、私に向けて手を伸ばす。私は藁にすがる思いで、彼の手を取る。彼は私の手を掴むと、恐怖を感じさせないようにゆっくりと引っ張った。私も引っ張っられながら必死に登る。
そして、ようやく私も頂上に着いた。
「ふぅ……大丈夫か?」
「うん。ありがとう……」
「それじゃあ、見てみろよ」
「うわぁ~」
私は素晴らしい光景を目の当たりにした。ジャングルジムの頂上からは、公園全体だけでなく周りの住宅も歩道も見渡せた。風を感じながら眺める別視点の日常。ありふれた人々の動きや植物のざわめきが、いつもとは違うように感じた。今の私と陽真君は、遠くまで見通せる。
たかが4メートル上からの景色なわけだから、そんなに遠くが見通せるわけではない。だが、当時の自分からすれば、そのような高い場所から景色を見ることは初めてだった。
「いい景色……」
世界のすべてを見渡している気分だった。私と陽真君は隣り合って楽しみを共有した。風が私達二人の心を揺らした。
「だろ♪」
陽真君は自慢の宝物を見せつけたかのように胸を張る。私もつい口元が緩む。
「すごくいい!」
「んじゃ、今度は鬼ごっこだ! このジャングルジムの上でだけ! 凛奈が鬼だ! よ~い、スタ~ト~!」
「え?」
陽真君は私から離れていった。軽やかな素早い動きで、私を挑発する。ジャングルジムの棒の上を、猿のようにすたすたと動き回る。私は慌てて追いかける。
「あ、待ってよ!」
「ほらほら、捕まえてみな~」
「も~!」
もう私は恐怖など感じていなかった。陽真君を追いかけながら、棒をつたう動きがあっという間に体に染み付いていた。時間が経つのも、自分がワンピースを着ていることも忘れ、私は陽真君と思いきり鬼ごっこを楽しんだ。
「こっちだよ~♪」
「待て~!」
私が追いかければ陽真君が逃げる。それの繰り返し。永遠だったとも感じれるあの時間。私はすごく幸せだった。
陽真君と一緒に遊んでいる時だけはいじめのことも、家族についている嘘も、日々の辛い記憶を全て忘れることができた。誰かと一緒に遊ぶことが、こんなに楽しいなんて……。
陽真君に大いに感謝した。こんな素晴らしい気持ちも初めてだ。次から次へと初めてが舞い降りてきて、何だかようやく人生が明るくなっていくような気がした。そう思えるのも、初めてだった。
「お前、結構面白いところあんじゃん」
「え?」
私達は遊び終えて公園を出る。下校路を歩く途中で、ふと陽真君が呟いた。
「最初は話しかけづらい大人しいやつだと思ってた。でもよく笑うし、ちゃんと喋れるし、全然違った。お前面白いやつじゃん」
「……」
誰かに自分の性格を肯定的に捉えられたのも初めてだ。一体陽真君は私にどれだけの「初めて」をもたらすつもりなのか。私という人間を認めてもらえて、すごく嬉しかった。
「お前と遊んでて俺も楽しかったぜ。なぁ、また明日も遊ばね? 放課後にさ!」
陽真君は私に顔を近づける。もう一度遊びに誘われた。これってもしかして……私、彼と友達になれたってことなのかな?
「うん、遊ぼう!」
「よっしゃ! 決まり~♪」
陽真君はガッツポーズをする。やはり感情の動きが勇ましい。すごいなぁ。こんなふうに、一つ一つのことに大きくはしゃぐことができるなんて。
「あ、私の家ここ……」
「お、ここか。やっぱ近ぇじゃん」
いつの間にか自分の家に着いてしまっていた。楽しい時間が早く経つように感じるのも初めてだ。少し名残惜しく感じるのも同じ。それは、相手が優しくて面白い陽真君だからなのかなぁと、私は思った。
「じゃあな、凛奈。また明日!」
「じゃあね、陽真君。ばいば~い」
夕焼け空に向かって歩いていく陽真君へ、私は大きく手を振った。見えなくなるまで何度も「ばいばい」と叫んだ。陽真君は振り向かずに手を振った。その後ろ姿は、すごくカッコよかった。あんなカッコいい子と、私は今日友達になることができた。
彼が……私の初めての友達だ。
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