第4話「救世主」
家に入って、パパとママに陽真君と遊んだことを話した。友達と仲良くやっている私を見て、二人共安心したようだった。初めて家族と友達の話題で盛り上がったと思う。寝る瞬間まで、口元が緩みっぱなしだった。
翌日の朝の目覚めも心地よかった。昨日のわくわくした気分が、朝まで続いていた。私はランドセルを背負って玄関へ向かった。
ガチャッ
ドアを開けると、門の前に陽真君がいた。
「おはよう、凛奈! 一緒に行こうぜ~」
「陽真君……おはよう」
そういえば、彼とは家が近いのだった。もしかして、一緒に登校するために朝から待っててくれていたのか。
「んじゃ、競争だ~!」
陽真君は学校のある方角を指差し、走り去って行った。私は慌てて玄関のドアを閉める。
「陽真君待って! あ、ママ、行ってきます」
居間から出てきたママにドアの隙間から挨拶し、陽真君を追いかける。
「さっきの声……お友達? まあ、お友達と一緒に登校かしら♪」
ママも朝からご機嫌だったという。
学校でも陽真君はぐいぐいと迫ってきた。授業と授業の間の休み時間の度に、私の席にやって来た。私は彼が来た時はなるべく読書を中断して彼の話を聞いた。
周りのクラスメイトは困惑しているようだった。昨日はクラスメイトのほとんどと遊んでいた転校生が、今日はいつも一人でいる女の子に執着している。
一番の驚きの目は、いつの間にか陽真君と仲良くなっている私に向けられた。今まで友達と遊んだ姿を一度も見られたことがないため、当然のことだけど。
「凛奈、放課後俺ん家来いよ。俺の母ちゃんに紹介したいんだ」
「いいの?」
二日目にして早くも自宅に上がらせてもらうまでに、私達の距離は発展した。クラスメイトのみんなは更に驚愕した。抱いていいのか分からない優越感が、私の体にまとわりついていた。
「何だよアイツ……」
陽真君はどうか知らないけど、私は見逃していなかった。教室の端にいる彼らの姿を。そう、例のいじめっ子達だ。私は嫌な予感がした。
「じゃあ俺、先生に日誌届けてくる。校門の前で待っててくれ」
「わ、私も手伝う……」
「別にいいよ、渡すだけだし。そんじゃあ後でな~」
今日は陽真君が日直だ。書き終えた日誌を手に抱えて、彼は教室を出ていく。私はなるべく一人になりたくなかった。一人になるのが怖いのだ。
なぜなら……
ガラッ
「おい、凛奈」
来た、いじめっ子達だ。私は身構える。体の震えが始まる。
「お前さ、なんか調子乗ってねぇか?」
「お前みてぇなやつが、軽々しく陽真と仲良くしてんじゃねぇよ」
「お前はお前らしく一人でいりゃいいんだよ」
次々と罵倒を浴びせてくるいじめっ子達。やはり、陽真君が私の元から離れたタイミングを見計らって仕掛けてきた。
「わ、私は……」
「あぁ!? なんか文句あんのか!?」
怒鳴り声に驚き、私の体は縮こまる。すぐに涙がにじむ。
「二度と陽真と馴れ馴れしくすんじゃねぇ、クズ野郎」
「そうそう。クズのくせに陽真を独り占めとかすんなよな」
「誰かと仲良くなんかしてねぇで、さっさと消えろよ、ドブスが」
いじめっ子達は次第にヒートアップし、罵倒を浴びせながら鉛筆や消しゴム、定規などを投げつけてきた。痛い。体に当たる度に涙の雫が落ちていく。
これは罰か。 やはり自分が誰かと仲良くするなど、許されることではないのか。自分は自分で生き方を選択することはできないのか。彼らの世界のゴミ箱以外の生き方を……。
「うげっ、また泣いてんぞこいつ。気持ち悪ぃ……」
「泣け泣け、弱虫!」
「さっさと死んだ方がいいんじゃねぇか~?」
彼らはあざ笑いながら呟く。私はその場で倒れ込む。物を投げつける彼らの手が止まった。いじめっ子達は私をけなすのに満足したようだ。痛い、苦しい、悲しい。私は耐えられなくなり、心の中で彼を求めた。
“助けて……陽真君……”
「……だっせー」
廊下から声がした。空いている教室のドアの後ろから、陽真君が出てきた。
「本当にだせーよな」
陽真君は何かに呆れた様子だった。いじめっ子達はその発言に乗っかる。
「だよな。クズのくせに誰かと仲良くなっていい気になってるし」
「やられてばっかでやり返しもしねぇし」
「なよなよしてて気持ち悪ぃし」
更に追い討ちをかけるいじめっ子達。言葉の一つ一つが重くのし掛かかり、私の心を押し潰す。陽真君は近づく。彼はさっきまで私の方を見ながら話していたが、今度は視線をいじめっ子達の方に向ける。
「馬鹿か? 全然ちげぇよ」
陽真君はいじめっ子の男子達を睨みつけて言う。
「お前らだよ、だせーのは」
陽真君は堂々と言い放つ。いじめっ子達は困惑する。先程まで味方だと思っていた者が、突如敵に回ったのだから。
「弱い者いじめするとか、だせーと思わねぇのか? 自分より弱い奴を痛め付けて、自分が強いと勘違いしてやがる。だせーのはお前らだよ」
陽真君の口調は、不良な息子を叱りつける父親のようだった。いじめという愚かな行為に手を染める彼らに向け、先生にでもなったつもりで怒鳴る。
「で、でもこいつ泣き虫だし、全然喋らなくて愛想悪いし……」
「そうそう……」
「そんな弱虫な奴が誰かと仲良くするなんて……」
いじめっ子達は抵抗する。だが、歯向かう言葉に力は込もっていなかった。圧倒的に陽真君の心の強さに押されている。決定的な証拠を見せつけられた犯罪者のようだ。
「愛想悪い? そりゃお前ら、凛奈と真剣に向き合ったことがねぇからだろ。こいつはちゃんと笑うし、ちゃんと喋れる。普通の奴だ。泣き虫で弱虫? だから何だよ? そんなんで誰かと仲良くしたらダメなんて、そんなことあるわけねぇだろが! 何だよそのデタラメな考え方、ふざけんじゃねぇ!」
陽真君の怒鳴り声が教室中に響き渡り、机や窓ガラスを揺らす。いつの間にか頬の涙の流れが止まっていることに、私は気づく。彼の激しくも優しい言葉が、私の潰れそうな心を温かく包み込む。
「人を嫌うなとは言わねぇ。誰だって嫌いな奴くらいいるからな。だけどな、嫌うなら誰もが納得するような、ちゃんとした理由を持って嫌えよ! デタラメな理由で誰かを嫌ったりするなよ!」
いじめっ子達はその場に倒れ、陽真君の言葉に聞き入っている。彼は険しい表情を緩やかにして続ける。
「中途半端な理由で嫌うくらいなら、誠意を持って仲良くしようぜ」
いじめっ子達はお互いを見合い、静かに立った。そして、私に向かって歩いてきた。
「チッ、悪かったな。ひでぇことして……」
「今までごめん……」
「もう今度からはしねぇよ」
頭を下げる彼ら。私は涙を拭いながら答える。
「うん……」
陽真君が手を差し伸べる。その手を取って私は立ち上がる。絶望の底からようやく這い上がることができた。彼の手助けのおかげで。
私としてはいじめたこと自体は許してもいいけど、陽真君がこっそり担任の先生に話しており、先生の間で瞬く間に広まった。
いじめの存在を認知していながらも、手を差し伸べなかった陽真君以外のクラスメイトのことも問題となり、一層のいじめ防止対策が推進されていった。
私の件はいじめっ子達の親が一緒になって謝り、私もそれで許して正式に解決ということになった。陽真君や学校の先生には感謝しきれないけど、私は同時に申し訳なさを感じていた。ずいぶんと迷惑をかけてしまったから。
「俺、ああいうの許せないタイプなんだよな~」
「……」
同じ帰り道を、私は陽真君の後ろを着いていきながら歩く。パパやママのところにも、いじめの話が伝わっていることだろう。嘘をついていたわけだから、余計に不安がっているに違いない。私は結局、関わった者全員に迷惑をかけてしまった。
「辛かったろ? もう大丈夫だぞ」
「うん……ありがとう……」
まだ感謝よりも申し訳なさが勝っている。私は勇気を出してそのことを伝えようと思った。
「ねぇ、陽真君……」
「ん?」
陽真君は進める足を止め、私の方を振り向く。
「ごめんね……」
「なんで謝るんだ? 凛奈……」
「だって、これは私の問題だったのに、陽真君に頼って解決してもらって……」
「それが何か悪いのか?」
「悪いよ……陽真君や先生に迷惑かけてるし、私自身は何もしてないもん。これは私が解決しなきゃいけないことだったのに……」
気がつくと、私はまた涙を流していた。今度は罪悪感と責任感が、私の心をぐっと押し潰す。ここまで泣き虫様を晒してしまうとは、とてつもなく恥ずかしい。流石の陽真君も呆れてしまうかもしれない。
「凛奈……」
しかし、陽真君の反応は違った。私の想像の斜め上を行った。
「一人で何でも抱え込む必要なんてねぇよ。お前にはもういるだろ? 友達が。俺でよければ、お前のことはいくらでも助けてやる。俺に迷惑がかかるとか、そんなこと考えなくていい。迷惑かけて、迷惑をかけられてこその友達だろ? そんなのいくらでも許してやるよ」
「陽真君……」
そう言って、陽真君は私の頭を撫でた。彼の温かい手に、罪悪感と責任感は溶け消えていった。彼の言動には魔法がかかっており、頬を流れる悲しみの涙を嬉し涙に変えた。
そうか……彼は……
「ありがとう。陽真君は私のかみさまだね」
「んぁ? 何だそりゃ……」
陽真君は小馬鹿にするように笑った。かみさまは困っている人に救いの手を差し伸べてくれる存在。私にとって、それはまさしく陽真君だった。
他の誰もいじめに苦しんでいる私を気にしてくれなかった。助けてくれなかった。たけど、陽真君だけが私を見ていてくれた。私と、私の世界を救ってくれた。
「ま、いいや。これからもよろしくな!」
陽真君はまた笑った。とても眩しい笑顔だった。私に取り巻く負の感情を、取り除かんとするように明るい。
「よろしく!」
私はようやく心の底から笑えるようになった。彼の笑顔にはまだ程遠いけど、いつか私も彼のような素敵な人間になりたいと思った。誰かを助けられるような、そんな強い人間に。
「それじゃあ、俺ん家来いよ! 母ちゃんに紹介してやる。俺の親友だってな!」
「うん!」
私達は山影に沈む夕日目掛けて駆け出した。陽真君と一緒なら、どこにだって行ける気がした。
“ありがとう、陽真君。私を助けてくれて……”
心臓の鼓動が、私の意思に反して高鳴る。胸に抱えた淡い感情の正体を、幼い私は知らなかった。
そして、7,8年程経った今、ようやく気づいた。その感情は“恋”と呼ぶらしい。私にとっては初めての恋だ。
「陽真君……///」
私の初恋は、かみさまでした。
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