第58話「荘厳な奇跡」



 陽真君は上半身を起こして私を見つめる。


「あぁぁ……」

「あなたは浅野陽真。私の幼なじみ。私のかみさま」


 私はポケットからプレゼントのペンダントを取り出し、陽真君の首にかける。ずっとずっと彼に贈りたかった太陽のペンダントだ。彼は私の潤んだ瞳を見つめ返す。


「あなたは私の……好きな人」

「凛……奈……」


 陽真君の頬を涙がすっとつたう。それは、本当の自分を取り戻したことによる喜びの証だ。彼は私にしてきたことを後悔している。それだけで、私はすごく嬉しかった。


 ようやく彼は、本当の自分を取り戻したのだ。


「陽真君! 思い出したんだね!」

「悪ぃ……凛奈。俺、すげぇ馬鹿だ。お前との思い出……全部ぶち壊そうとして……お前のことまで痛めつけて……。なんで忘れちまってたんだ……こんな大切なことを……」


 陽真君は壊れた蛇口のように涙を流す。やった……私、やったんだ。陽真君の記憶を取り戻したんだ……。


「本当に悪ぃ……。こんなの、とても償いきれねぇよ……」

「いいんだよ、陽真君。良かった……ほんとに良かった!」


 陽真君が私にしてきた暴力や攻撃的な態度のことなんて、もうどうでもよかった。彼が本当の自分を思い出してくれたことが、嬉しくて嬉しくて仕方がなかったから。

 だって……見てよ。陽真君のこの涙を。私のために泣いてくれる。元の世界での、浅野陽真君として私と一緒に過ごした日々を、ようやく思い出してくれた。そして、私にしてきたことを謝ってくれている。


 これでもう分かるでしょう? 陽真君は本当はこんなに優しくて、思いやりのある素敵な人なんだよ。


「ありがとう……凛奈」

「私だって、思い出してくれてありがとう……陽真君」


 涙がいよいよ激しくなっていく陽真君。それに呼応するかのように、私の瞳からも涙が流れる。二人で子どものように泣きじゃくる。まるで幼い頃に戻ってしまったみたいだ。


「やったわね……凛奈」


 アンジェラは私達を微笑ましく眺める。そうだ。やはりこれは私にしかできなかったことだ。陽真君の記憶を取り戻すことができるのは、彼との思い出を一番理解している私だけ。

 マジックナイフを持ってきてよかった。これのおかげで、私は彼の邪悪な心を切り裂くことができた。記憶は完全に無くなることはない。思い出は絶対に無かったことにはならないと、今なら強く信じられる。




 バンッ


「アンジェラ! ……って、うわっ! なんでこんなところに飛行機が……」


 とてもいい雰囲気の中、アルバートさんとカローナさんがドアを開けて入ってきた。壁にめり込む人力飛行機に驚く。部屋、めちゃくちゃになっちゃったね……。


「アンジェラ! 今までどこに……」

「パパ! ママ! アーサーの記憶が戻ったわ!」

「え?」


 二人は陽真君の顔を見る。アーサーの時より柔らかくなっている。アーサーではなく、陽真君としての記憶が刷り込まれている。それは誰の目から見ても明白だった。私達のかけがえのない絆が、王族の能力を打ち負かしたのだ。


「記憶が戻っている……だと……」

「一体どうして……?」


 陽真君の様子を見て戸惑う二人。過去に消したはずの記憶が復活した試しは、一度として確認されていない。フォーディルナイトにおける1000年の歴史の中で、異例の事態だ。

 すると、花音ちゃんが弓矢を背中に背負って立ち上がり、落ち着いた口調で二人に語り始めた。


「忘れるっていうのは、記憶が無くなることじゃない。記憶を心の奥深くに押し込んで、取り出せなくなったことを言うの。どれだけ忘れたとしても、記憶は必ずその人の中に残ってる。だから、努力次第で取り出して、思い出すことだってできる。何度でもやり直せるのよ」


 花音ちゃんは二人に笑顔を向ける。


「人間って面白いわよね♪ 簡単に奇跡を起こしちゃうもの」

「奇跡……あっ!」


 花音ちゃんの言葉で、アルバートさんは何かを思い出したような表情を浮かべた。理の書に記されていた一説のことだ。



“愛が一つに重なった時、神の名目において、荘厳な奇跡が二人を祝福するであろう”



「このことだったのか……」



 私達にも、もうその意味は理解できた。二つの世界の隔たりを飛び越えて二人が巡り合い、なおかつ二人が恋に落ちて結ばれると、とてつもない奇跡が起きる。

 つまり、私と陽真君の場合は、記憶を取り戻すことだった。彼の記憶が復活し、本当の私達の関係を取り戻す。今の私達にとって、何よりの奇跡だ。


「それじゃあ……陽真君、もしかして……」

「あぁ、昨晩の9時に祈りの儀式をやったのは俺だ」


 そうだ。もし陽真君ではなく、アンジェラや他の騎士が祈りを捧げていたら、彼は記憶を取り戻せなかった。私達は奇跡を起こせなかった。

 私と陽真君、この二人が祈り合ったからこそ奇跡が起きたんだ。かみさまが私達を巡り会わせてくれたんだ。本当に何もかもが出来過ぎていて、逆に笑えてくる。


「ありがとう。本当にありがとう……陽真君」

「俺の方こそ、ありがとう……凛奈」


 どうしよう、もう何度も何度も「ありがとう」を言っても、全然足りないように感じる。陽真君への感謝の気持ちが、心の杯から溢れそうだ。


「ううん、私の方がありがとうだよ」

「いや、俺の方だって。ありがとう……凛奈」


 陽真君も同じみたい。彼の口からも、何度も何度も「ありがとう」が放たれる。


「違う違う、私の方がありがとうなの」

「違げぇよ、俺の方だ」


 あはは……止まらないや……。


「いやいや、私の方だよ。ありがとう! 陽真君!」

「違う違う違う、俺の方が……」

「いい加減やめなさい! このバカップル!!!」


 哀香ちゃんが叫んで制止する。


「アンタ達見てると、口が甘ったるくなんのよ! じれったいからとっとと付き合え!!! さっさと結婚しろ!!!」

「……///」

「……///」


 哀香ちゃんの言葉に、つい頬を赤く染められる私と陽真君。記憶が戻った嬉しさに、つい周りのことを忘れ、二人だけの時間を楽しんじゃった……。


「……っぷ! ぷはははははははっ」


 突然アンジェラが吹き出し、お腹を抱えて笑い出した。


「ほんと、愛って面白いわね♪」


 笑い涙を拭いながら呟くアンジェラ。彼女の無邪気な笑顔が、私達の愛を祝福してくれている。本当にいい子だなぁ。彼女にもありがとうを送りたい。アルバートさんとカローナさんも、微笑ましく私達を眺める。




「さてと! 凛奈、陽真、行くわよ! まだ戦いは終わってないんだから!」


 哀香ちゃんは包丁を握り締めて立ち上がる。私と陽真君は揃って頷く。そうだ。まだ戦いは続いている。でも、今の私達ならこの困難を乗り越えられる気がする。私達には思い出という協力な武器があるのだから。


「アンジェラ、アンタも戦うわよね?」


 哀香ちゃんはアンジェラの方へ顔を向ける。


「うん。でも私、勝てるのかな……」

「大丈夫、色々用意してきたから」


 哀香ちゃんはリュックをぽんぽんと叩く。中には役に立つ道具がいっぱい詰まっている。


「終わらせましょう、アンタの定められた運命を。今度はアンタ自身の手で切り開いていくために」


 哀香ちゃんはアンジェラに手を差し伸べる。行動を共にすればするほど、アンジェラの励まし方がうまくなる哀香ちゃん。すごくカッコいい。


「哀香……うん!」


 アンジェラは哀香ちゃんの手を掴む。陽真君が部屋の隅に転がっている剣を拾い、部屋にいるみんなに呼び掛ける。


「さぁ、最終決戦だ!」


 業火が飛び散る熾烈な戦場に、私達は再び足を踏み入れる。今度こそ負けない! みんなで力を合わせて、この戦いを終わらせるんだ!


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