短編

最良で最悪の進化

 あるところに科学者がいた。彼はいわゆる天才科学者と呼ばれる人間で、これまで数々の素晴らしい発明をしてきた。そんな彼がついに人類にとっての悲願、「不死」を実現しようとしていた。理論に関してはほぼ完成。あとは実証でその成果を試すのみである。これが上手くいけば、彼はまた科学の歴史に名を連ねることになろう。

 そんな折、彼はある夢を見る。彼の人生を一変させる、そんな夢を。

 


____それは暗闇から始まった。













「なんだ。ここは」

気づけば私は真っ暗な空間にいた。辺りを見渡しても何も見えない。身体はある。だが姿勢が分からない。寒くもなければ暑くもない。かといって快適かと問われればそうでもない。何もかもが普通。普通ではあるが、どこかおかしい。そう、何かに見られているような、そんな違和感がある。自然と身構える。これまでも論文発表や学会などで人の前に立つことは多くあった。様々な視線を向けられてきた。しかし今感じているこの感覚はそのどれとも違う。称賛でもなければ非難でもない。言うなれば、傍観だろうか。ただ見ているだけ。少し引いたところから景色の一部として自分を見ている。そんな視線。背中を嫌な汗が流れる。

と、先ほどまで私を見ていた視線が外れ、ゴツンという鈍い音が聴こえた。続いて「イタっ」という可愛らしい声。何事かと思い音のした方へ目を向ける。相変わらず何も見えないが、何かがいることだけは分かった。音の方へ近づこうにも自分がどうなっているのか分からない以上、目を向けることしかできない。

「なんだったんだ今のは」

思わずそう声を上げた。

「あら、気づかれてしまったわね。」

すぐに返る声。先ほど可愛らしい声よりも少し、ほんの少し硬さのある声。

「お前は誰なんだ。」

恐る恐る尋ねる。

「アタシが見えているの?」

「いや、見えない。私には今、何も見えない。」

「そう、ならいいわ。」

何がいいのかよく分からないが、そこは気にしないでおくことにした。これでのっぺらぼうだったら怖いし…

しばらく沈黙が流れた。何か言うべきだろうかと思ったとき、

「あなた、【不死】を実現したそうね。」

突然、そう言われた。

「あ、あぁ。まだ理論段階だがな。」

掠れた声でそう返す。口の中は緊張でカラカラに乾いていた。何に緊張しているのか。

「素晴らしいことね。センセイ。また人類は一歩、前進した...」

いきなり褒められたのか。(声で判断するなら)可愛い子に。あ、変はことは考え…

「と言えるのかしら?」

ていませ…ん?今、何と言われた?

「どういうことだ?」

もうこの場所がどうとか何も見えないことなどどうでもいい。とにかく彼女(?)の話を聞きたいと思った。

「だから、死の克服はヒトにとって前進かどうかって聞いてるの。」

「聞かれるまでもなく前進だろう。寿命という限界が無いんだぞ。これを前進と言わずしてなんとする?」

「はぁ。やっぱりそう思うのね。でもね、こうは思わない?『死を失った生き物』は果たして【生きている】と言えるのか』って。生と死は...そうね、車の両輪のようなもの。あ、車って知ってる?丸くてクルクル回るものを足として地面を走る機械なんだけど…あなたの時代だともうないか。」

「馬鹿にするな。車くらい知っているし、今の時代にもある。」

「あらそう。なら話は早いわ。えぇと、どこまで話したっけ。あ、そうそう。生と死は車の両輪のようなもの。お互いが存在して初めて走れる。そうやって走っているのがあなたたちも含めた生き物。あなたが実現しようとしていることは、そんな車から車輪を一つ奪うことよ。そんなものを、生き物と呼べるかしら?」

「そんな概念的なことはどうだっていいだろう!死という定められた終わり!その終わりを克服することは生き物でなくなるということだと?生と死が表裏一体など関係ない!そんなつまらないことで私を止めようなどと...!」

私は語気を荒げた。これまでも私の研究にケチをつけてくる者はいたが、ここまで身のない論理を叩きつけられたのはこれが初めてだ。かなりの屈辱。

「概念的な話が嫌というならもっと実利的なお話をしてあげる。」

突然目に光が飛び込んできた。思わず目を瞑る。少ししてゆっくりと目を開けた。そこに見えたのは。

 何もない荒野だった。ポツリポツリと何かの影が蠢いているのが見える。目を凝らしてみるとそれは人のような形をしていた。これは太古の世界の一場面だろうか。

「それはあなたの研究が引き起こし得る未来よ。」

「冗談だろう?これでは進化するどころか退化しているじゃないか。」

「当然でしょ?【死の克服】は生き物にとって最良の進化でありながら同時に最悪の進化でもあるのよ。特にあなたたち『ニンゲン』にとっては。」

どういうことだ。永遠の命を得ることがどうしてあの未来に繋がるのか...

「呆然としているところ悪いけど話を続けるわね。他の生き物と違い、あなたたちはのではなくように発展してきたわ。これが何を意味するか分かる?」

血の気が引いていく感覚がした。

。死の克服なんてもっての他だわ。死ぬことのないニンゲンあなたたちにいつか朽ちる世界が適応できるわけがない。それだけじゃないわよ。」

確かにその通りだ。人は自らを変えるのではなく、自然を自らの良いように作り変えてきた。結果として多くの人間が死んだ。これ以上の衰退を防ぐために私は不死の研究をしてきたのだ。それなのに、

「もう一つ。あなたたちの進化は効率の追求と言えるわ。より多く、より正確に、そしてより速く。産業革命なんていい例ね。大量の製品をより速く作り出す。そもそもどうして人間あなたたちがそんなに効率に執着するのか考えたことはある?」まくし立てるように彼女は続ける。

だから、よ。己の欲を満たすためにあなたたちに与えれた時間は限られている。限られた時間のなかで、より多く自らの願いを叶えるため速さを求めた。何かを成すためにかかった時間を人生あなたたちに与えられた猶予で割ったとき、それが『0』に近ければ近いほどあなたたちの言う効率の良いものになる。じゃあ死ななくなったらどうなるのかしらね…?どんなに時間がかかろうともあなたたちが獲得した時間に限りはない。たとえどんな数字であろうとも『∞』で割れば『0』となる。たとえどんなに時間がかかろうとも必ず最高効率となる。そんな世界でまた最短時間を目指すのかしら?そんな世界で果たしてあなたたちはどんなふうにのかしら?教えてくださいな__________」















長い、永い沈黙。永遠とも思える時間、呆然としていた気がする。その間、彼女の声だけがずっとこだましていた。あの問いに、どんなふうにのか、その答えは見つからなかった。ふと周りを見る。見慣れた壁、少しくたびれた椅子に机、辺り一面に散らかった研究資料、規則正しく時を刻む時計。そこから聞こえる秒針の微かな音。ゆるゆると立ち上がりある紙の束へ向かう。それを手に取り、頁をめくる。頁をめくって、ある言葉を目にして、発狂した。

〈人の世が永遠に続くことを願い、全ての人類へ、この成果を授ける〉

「うわああああああああああ!」

その行いの果てを知らされた。意味を突き付けられた。永遠を願いながら、自らの手で人類に引導を渡す、その事実を。

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