21.心に秘めた気持ち
「アッシュ、今日もあなたの部屋に泊まりに行くからね」
入学からひと月が経ったある日の放課後、所属している女子硬式テニス部の部室に向かおうとしていたアシュレイに、ショーコはそう言って声をかけた。
「え、今日も?」
「うん。ね、良いでしょう?」
二人の会話を耳にした級友たちが、はしゃいだように声を上げる。
「うふふ、アッシュは今日も大好きなショーコに子守唄を歌ってもらうのね」
「ショーコお姉さんの温もりがないと眠れないのよね?」
アシュレイは周囲から投げかけられるからかいの声に頬を染め上げながら、批難した。
「そんなんじゃないよ。――ね、ショーコちゃん、私もうこの生活に慣れてきたの。だからもうわざわざ毎日部屋に来てくれなくても大丈夫よ」
「何言っているのよ。昨日、実家のお父さんと、寮の電話で長話してたじゃない。泣きながら」
「あああ、ショーコちゃん! あんまり大きな声で言わないで」
アシュレイはあわてて彼女の口を手で塞ぎ、
「本当に、もう大丈夫だよ。一人で眠れるから」
「あら、そうお? 残念。毎日お泊り会できて楽しかったのに」
ショーコはがっかりしたように呟き、「じゃ、テニス頑張ってねー」と、部活へ向かうアシュレイを見送った。
□■□
一人で廊下を歩きながら、アシュレイは、はあ、と深くため息をついた。
参っちゃうな、ショーコちゃん。私の気も知らないで……。アシュレイはもやもやした胸の内から目を逸らすように、ただ白いばかりの天井を眺めた。
部室へ向かう足が不意に止まる。
ふと目を向けた廊下の窓に、自分の顔が映る。浮かない顔をしているな。
生活が一変してひと月も立てば、毎晩のように我が家が恋しくなるということも減ったし、狭い自室で一人の時間を過ごすことにも慣れてきた。生まれ育った山には、電話などない。なので昨夜、父が仕事で街へ降り、山の麓の宿屋から、アシュレイの暮らす学生寮に電話をかけてきてくれたことがすごく嬉しかった。次の長期休暇には大荷物を下げて山に帰省するつもりで、今は都会での学生生活を送っている。
しかし、である。ホームシックこそ克服できたアシュレイだったが今度は別の、とある感情が彼女を苦しめていた。
入学当初、家族故郷が恋しくて夜も眠れなかった彼女の部屋に毎日泊まりに来ては寝台を共にしていた親友、ショーコ・A。
天真爛漫で幼い少女のような愛嬌のある人となりで、アシュレイの心に氷塊のごとく蟠った不安を溶かしてくれた春の陽射しのような少女。
――アシュレイ・クレスウェルは苦悩していた。
己の心に生まれた不可解とも思える感情の置き場所に戸惑うばかりで、今度は夜眠れないだけでなく、学業にも身が入らず、日中たりとも心が休まらなくなってしまった。
このような感情は初めてだった。故郷の山でも他の女の子に対してこのような気持ちに支配されたことなどなかった。――いわんや、女の子に……同性に恋愛感情を抱くなど。
ショーコ・A。
晴れた昼下がりに、外を駆け回る緑風がカーテンを揺らして室内に滑り込んでくるかのように、あの少女はいとも簡単にアシュレイの胸の中に入り込んでいた。
彼女の顔を思い出す度、毎朝「おはよう」と笑顔で挨拶を交わす度、昼休みに食堂のテラス席で向かい合って食事をする度に、アシュレイの青いリンゴのような無垢な胸は大きく高鳴った。
初恋を知らぬアシュレイも、己を苦しめるこの感情が恋であると気付かぬほどに鈍感ではない。
その感情は意外にもすんなりとアシュレイの胸に落ち着き、もやもやと不鮮明だった心の泉に投じられた《恋》という一石によって、虹のかかった空のように眩しく美しく晴れ渡った。
自分の傍にいてくれる暖かい太陽のような存在は、日を重ねるごとにアシュレイの恋心を大きくしていった。
心が、あの少女に惚れ込んでしまった。
けれど、これは所詮叶わぬ恋なのだ。同性同士のいわば、アシュレイの独りよがり。ショーコにはきっと、女の私よりも相応しい相手がいつかきっと現れることだろう。
誰にも受け入れてもらうことのないこの感情は、自分の胸の中だけにしまっておこう。
この気持ちを伝えて、親友の関係がフイになってしまうよりかは遥かに幸せだ。
ずっとこのまま、歳を重ねても、唯一無二の親友同士でいられるのなら、それでも構わない。
……構わない。
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