14.魔物たちからの歓迎
はてさて、敵の術中に陥り、三人が三人バラバラにはぐれてしまったレオン・シェダール一行。
アシュレイ・クレスウェルは、幻たるレオンの姿を追って走り出すや否や、己の周辺を取り巻く霧が殊更深まるのを感じ、視界を奪われた恐怖にすかさず足を止める。この先にあるのがもし切り立った断崖であったらと想像して、足が竦む。喉元に込み上げてきた悲鳴を飲み込んで、来た道を数歩後退り、
「ああ、どうしよう。アルカードさん、もっと周りが見えなくなってきました」
と、振り返った先に、今まで傍にいてくれたはずの男の姿がない。そこにあるのは無限の静寂。虫の声も聞こえぬ深夜、丑三つ時を回ろうかという時刻だ。周囲を取り巻く濃霧が、幽鬼のように冷たく寄り添う。
アシュレイはさっと音を立てて血の気が下りてゆくのを感じた。
「ア、アルカードさん?」
……。
控えめな呼びかけに一切の応答がないとわかると、アシュレイはいよいよ心細さに打ちのめされ、今にも泣きだしてしまいそうになった。
アルカードさん、アルカードさん。何度呼んでも返事はなく、両手を伸ばしてその指先に人の温もりが触れるのを期待しても、肌に触れるのは凍てつくほどに冷たくなった夜気ばかりで、まるで死のような寒さに取り囲まれたアシュレイは、己の軽率な行動に酷く後悔しないではいられなかった。
「ああ、どうしよう。アルカードさんともはぐれてしまった。どうにかして合流しないと……」
アシュレイはもう一度両手を伸ばして周囲の障害物を避けながら、歩を進めた。
冷えた大地を踏みしめるスニーカーの底が、彼女の胸の内までをも冷やしてゆく。恐れを抱いたその胸の内を。
だが、アシュレイは、己の頭に去来した負の感情を追い払うかのように毅然とした顔で前を向くと、自分の頬をぴしゃりと叩いて心を奮い起こした。
「だめだ、アシュレイ。怖がってはいけない。ショーコちゃんを助けに来たのは私の意思なのだから。怖いものなどあるものか。今の私に怖いものなど、何もない。たとえ相手が吸血鬼であろうと、私は屈しない」
今この場に必要のない《弱み》を自分の中から閉め出すように声に出し、アシュレイは人より夜目の利く双眸で、深い霧の向こうを強く睨みつけた。
その時である。
「ハハハ、ならばその手で取り返してみるがいい」
どこからともなく聞こえた嘲笑交じりの声に、アシュレイは身を竦ませた。
「誰! どこにいるの」
「ここだよ」
背後から耳のすぐそばで囁かれ、アシュレイは首筋を粟立たせながら「あっ」と悲鳴を上げ、背中を突き飛ばされでもしたかのように前方へ飛びのいた。転倒は避けられたものの、危うく腰を抜かして立ち上がれなくなるところだった。力が抜けそうになる足腰にぐっと力を入れて、なんとか地に尻を付けるのを堪えていると、
「ああ、ごめん。そんなに驚いてしまうとは思わなかったんだ」
彼女の振り返った先には、若い男が立っていた。それも、息をするのも忘れようかというほどの美しい男だ。夜の海のような黒い髪をS字に波打たせ、表情を閉ざすように伸びた長い前髪の間から見えた左目は、真っ赤に光り輝き、射貫くようでいて、どこかミステリアスな雰囲気を醸し出す三白眼に、思わず目を奪われる。
肌は病的に青白く、それがより一層不気味とも思える優美さを引き立て、生きた人間には持ちえぬ魔的な美しさを形作った。
病弱そうな見た目に反して、その身にまとう雰囲気は、身の内に飼った凶暴さを隠しきれていない。目でわかる。か弱いふりをしているが、吸血鬼の本能に忠実な者のする目だ。
こいつこそが、大切な友人を攫って行った怨敵であると悟るなり、アシュレイはすっと立ち上がり、お前なぞ怖くないぞと毅然と振舞った。
「あなたがエドワード・モーリス?」
「ああ、そうさ。……君は、アシュレイ・クレスウェルだろ?」
エドワードは、鋭い牙の目立つ口元を薄く開いて、淡い笑みを浮かべた。社交的な微笑みだ。ここがどこかの豪華なパーティー会場であったならば、彼の
「どうして私の名前を知っているの」
「フフフ、知っているさ。俺の大事な子の友達だもの」
ショーコのことだ。
「やはり、ショーコちゃんはあなたのところにいるんだね」
エドワードは何も答えなかった。ただ、その、人とは思えぬ妖艶な顔に薄ら寒い笑みを張り付けたまま、長いまつ毛をそっと揺らしただけだったが、アシュレイはそれを肯定と受け取った。
「ショーコちゃんを返して。ダンジェロもカルーゾも、あなたのところにいるんでしょ? もちろん、二人も返してもらう」
「フフフフフ、まるでヒーローだね。かっこいいよアシュレイ。けど君じゃ、俺の元から彼女たちを助けることなんかできないんじゃないかな」
気さくな口調ではあったが、その言葉には誰が耳にしても明らかなほどの冷笑が含まれていた。お前にそんなことが出来るわけがないと言われているような気がして、アシュレイの胸にあった恐怖は瞬く間に怒りへと姿を変える。
「どういう意味よ」
「説明が必要だったかな? 言葉通りの意味さ。いくら君でも、吸血鬼である俺には手も足も出ないだろう? フフフ、頼りの大人二が一緒だから大丈夫だと言いたいのか? 残念だけどね、その二人には期待しない方がよさそうだよ」
「どうして」
「彼らはね、俺の部下が手厚くもてなしている最中なんだ。もう二度と君と再会することはないだろう」
「……どういうこと? はっきり言ってよ」
――エドワードはまたしても口を噤んだまま、うっそりと微笑んだ。
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