グロック



 疲れたと言って眠ってしまったジゼルを運び、私の運転するピックアップは一軒の賃貸住宅の前にたどり着いた。シトラスはここにいるに違いないと確信した。ガレージのシャッターが開けっ放しで、下品なピンク色の大型車――シトラスの愛車のハマー――が置かれていたからだ。


「着いたぞ」私はジゼルの肩を揺らしたが、少女は唸るだけで、またすぐに眠ってしまった。「まあいいか。子供を連れて行くの危ないし」


 私はグローブボックスの中から真っ黒な覆面を取り出し、首もとまで被った。もちろんグロックにはちゃんと弾を込めておいた。


 車を離れてから玄関までは走って移動した。ドアノブに手をかけ押してみる。不用心にも扉は簡単に開いた。網戸スクリーン越しに家の中を覗いてみても、住人の気配はなかった。


 リビングの明かりは点いていないが、かろうじて自然光で部屋の様子がわかった。ここには人はいなさそう。ただ奥の方から蛍光灯の明かりと、男の喋り声が聞こえてきた。


 私は銃を引き抜いて両手で構え、足音を立てないようにして進んでいった。


「誰?」


 いきなり声をかけられた。私は猫のように素早く振り向いて、銃口を相手の眉間に向けた。引き金にかけられた人差し指が1ミリ内側に動いたが、理性の力がそれを押し留めた。


 声の主はジゼルだった。キョトンとして私を見ている。


 私は銃を下ろした。「危なかった……来るなら事前に言ってよ! あなたの脳みそを吹き飛ばすところだったじゃない!」


 11歳の少女の瞳は恐怖ではなく、純粋な好奇心で輝いていた。「あなた強盗か何か? 私が先に探したけれどこの家、つまらない物しかないわ。それとも以前この家で何かを盗み忘れたとか? それにしても、そのマスク暑くないの?」


 ジゼルの口調が変だった。私はすぐに理解した。この子はさっきまで一緒にいた少女ではない。あの時自分を救った、私と出会う前・・・・・・のジゼルだ。


「ふうん、よく見たら女の人じゃない。強盗に走るなんて、相当すり減った人生を送ってきたのね。同情するわ。だから忠告してあげる」ジゼルは右の方を指差して言った。「盗むなら3軒となりの金持ちの家にした方がいいわ……」


 少女は近所の家の防犯設備について、一生懸命に解説してくれる。けれどジゼルの言葉はひとつも耳に入らなかった。


 私の中で理解が進んでいく。まさか犯されそうになっていたあの時に、もうひとりの自分がこの家にいたなんて。そしてジゼルと出会っていたなんて。


 そんな風に繋がっていたんだ。『毎日が繰り返される』って言ってたけど、一日づつずれながら、私は延々とジェイミーを探し続け、酒をあおって薬を盛られ、シトラスに連れ去られていくんだ。じゃあ今の私が取る行動はというと――。


「ねえ、お願いがあるの。こんな事を頼むなんて、人としても人の親としても狂っているとは思うけれど、私にも選択の余地がなくって」私は一歩踏み出してしゃがみ、ジゼルの小さな手に、持っていたグロックのグリップを握らせた。「これを持って、奥の部屋にいる本当の悪者を撃ち殺して欲しいの。この部分から相手を見て、ここをグッと引けばいい。それだけ」


「ふーん、それって大事な仕事?」


「とっても。少なくとも私――いや、中にいる悪い人に捕まった女の人にとってはね」


「わかったわ。ちょっと重くて大変だけれどやってみる」


 私は覆面の下で笑顔を作った。「よろしくね。じゃあ私はそろそろ行かないと……あ、最後にひとつだけ」


「何かしら?」


「女の人を助けてあげたら、お礼をもらってね。たぶん子供のころ遊んでいたスプーキーを、まだ大事に持っていると思うから」


「まあ、それはいい! 私やる気が出てきちゃった!」一日前のジゼルは嬉しそうに言った。バイバイしながら歩いて行こうとして、最後に振り返った。「ねえ、あなた・・・には、いつかまた会えるかしら?」


 私は少し考えてから返事をした。「うん……きっと思ったより早くね」



 私がグロックの銃声を聞いたのは、シトラスの家を出て、車のドアを閉めた時と同時だった。そのどちらかの音で、隣のジゼルが目を覚ました。


「ふわあーあ。あら……メイヴィス。『やる事』は終わったの?」両手で眠そうに目をこする。


「とりあえず、ひとつ目は。なあ、私がシトラスの家に戻ってきて自分を救おうとするって事、ジゼルは知っていたの?」


「何の話か良くわからないわ」ジゼルはぼぉっとした小さな頭を横に振った。


「ジゼルはどうしてあの時、シトラスの家にいたんだ?」


「あの時? ああ、あの豚ちゃんをハントした時の事? さあ、気づいたらあのおうちにいたのよ。それまで、どこにいて何をしていたかなんて、思い出せない。ここではよくある事じゃない。でもね。声が聞こえたの。『動いて。動いて助けなきゃ駄目』って。とても優しい声だったわ。私のママみたいにね」




 目を開けた時、飛び込んできたのは色温度の低い電球色の蛍光灯の明かり。ベッドサイドモニターの鼓動は規則的で、私の弱々しい命の時計を刻んでいた。


 あまり顔を動かせない所に、足元から穏やかな寝息が聞こえてきた。呼吸のリズムだけでジェイミーだと分かった。少し顎を引くとお団子ヘアバンズ・アンド・ノッツの頭が見えた。


 私は口を開いて娘の名を呼ぼうとしたがカサカサの、言葉にならない音しか出なかった。


 それでも娘には伝わったようだ。「ママ?」ジェイミーはゆっくりと起き上がり、目を細めてこちらを見た。


 私の意識が再び沈んでいった。ごめんジェイミー。私は唇の動きだけで謝った。何か一瞬こっちに戻ってきちゃったみたい。でも、もう少しだから。あとちょっとだけ待って。私、あっちでまだ、やる事があるんだ。ほら、泣くんじゃないよ。それまであの馬鹿な父親の事、よろしく。


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