インターメディエーター(仲介者)



「メイヴィスさん。私です」一日ぶりに見た彼は、やはり痩せていて白いシャツを着ていた。黒髪が跳ねて乱れている。たったいま風の強い外から帰ってきたように見えた。


「あんた、いつもいきなり現れやがって!」私は彼を睨み付けたが、内心は少し嬉しかった。てっきり死んだのかと思ってたから。


「申し訳ありません。この世界に来れるタイミングはかなり貴重で、脳の波長があるサインを示す一瞬に合わせないといけません。それでもこうして、狙った時間や位置がずれてしまうのです。よもや翌日のメイヴィスさんの、隣のイスに着地するとは思いませんでしたが」


 優男はすまなそうに頭をかいた。「けれど、これはこれで幸運だったのかも。あなたを説得するのに、こんなアプローチがあるとは、気づきませんでしたからね」


 優男の台詞は相変わらず訳が解らなかった。だが構わず向こうは続けてきた。「状況が状況です。今度こそ、きちんと説明しましょう」彼はちらりとシトラスの方を見た。「急ぎでね」


 彼は手元の緑色のドリンクで口を湿らすと、早口で説明を始めた。「最初にお伝えすることは、メイヴィスさん、あなたは死んではいないという事です」


「それ……信じたいけどさ。ここの事を知りすぎちゃうと、どうも素直に信じられなくて。本当だとしたら、どうして私ここにいるの?」


「こう考えてはいかがですか? 『死んでもいないが、生きてもいない』」


「はっ!」私は呆れて言った。「あんたも謎かけとはね。この世界の流行りなのかい」


「ようするに、メイヴィスの魂が、生と死を行ったり来たりしているって事なんじゃないの?」ジゼルがチェリーの種をぷっと吐いた。


「そのとおりです……なかなか鋭い指摘をするお子さんだ」感心したように言う。「お名前はなんと言いますか?」


「ジゼルよ」


「ジゼル。覚えました。私はケン・アボット。医師です」


「やっぱり医者だったんだね。私の勘、当たってた」私は2人の間に割って入った。「それでケンも何か致命的なミスをやって、ここに来たのかい? それで私を治療して、失敗を挽回する夢を果たそうって訳?」


「いいえ、私はミスを犯していませんよ。自慢じゃありませんが、これまで私の治療は完璧でしたから」突然ケンの表情が暗くなった。「しかし今回その自信が揺らぎそうなんですよ、ミセス。患者のあなたが意識不明の状態から目覚めなければね」


「私が昏睡状態コーマだって言うの?」


「そうです。ああ、ようやくこの話に入れる。あなたは肉体的にはの住んでいる世界で生きていますが、精神は死んでいるのです。落ちて落ちて、最も死に近いこの世界の住人になりかけています」


 ケンは考える時の癖で、細い指をテーブルの上で組み合わせた。「すでにこの世界の時間で一日が経っています。いまあそこで飲んだくれて潰れそうなあなた・・・は、メイヴィスさんの中でもう死んでしまった心です。その証拠に毎日繰り返されるループに囚われてしまっています」


 この話をしている間に向こうの私は、シトラスから勧められた酒に口をつけてしまっていた。


「いま私と話しているメイヴィスさんだけが、あなたの生きている残りの部分。大げさな言い方をするまでもなく『希望』なんですよ。私は専門医としてあらゆる手を尽くして、この世界に降りてきています。そしてあなたを街の外に連れ出すのが使命なのです」


 彼が私を見る目は昨日と同じ真剣で、濁りのないものだった。「こんなこと信じられないですよね。私のこの姿は、大量のプロポフォールと糖アルコール、抗生物質の投与で成り立っています。私も相当の危険を犯してここに来ているんです」


 彼はシャツをめくって、腰骨のあたりの肌を私に見せた。縦に生々しい刺し傷が走っていた。傷に沿って不揃いに並んだ医療用のスキン・ステープラーが打ち込まれていた。「私を殺して追い出そうとする輩に、いつ見つかるかわかりません」


 ケンは一度見たことのある黒いバッグを足元から取り出した。「このバッグもあなたを外に連れ出す為に用意した『きっかけ』です」カバンのチャックを開き、中身を見せた。


「あ……」思わず声が出た。ジェイミーの着替えが上下一式、青い帽子、靴。それに寝る時いまだに離さないイースターバニーのぬいぐるみ。家の芝生に寝転がったブライアントとジェイミーが笑顔で抱き合っている写真も入っていた。私が写した物だった。


「あなたの記憶の断片から集めました。少しでも生きることに興味を持ってもらいたかったから」ケンは私の手をギュッと握って言った。「メイヴィスさん。ここはあなたのいるべき所ではない。外で待っている者たちがいるんです。伝言も預かっています。『ごめんなさい。これからはちゃんと学校で待っているから』って」


「ジェイミー」私はうつむいて娘の名を呼んだ。熱い液体が頬を伝って、テーブルに落ちた。もう死んだ奴ら以外、誰も私を見ていないと思っていた。私がまだ温かい人たちに求められていたと知らされた事が、何よりも嬉しかった。


「さあ、行きましょう」確信のこもった強さで、ケンが私の手を引いた。


「お願い。あと一日だけ待って欲しい」


「え?」


「やりたい事があるんだ。こんなワケのわからない世界だけど、去るというなら未練を残したくないだろ」


 ケンは思わず抗議しようと口を開きかけた。だが意思の力で何とか押さえ込んだ。「わかりました……あなたのご意志のままに。ただ猶予は少しも無いと理解して下さい」


 ケンはゆっくりと私の手を離すと、店全体の内壁を覆う黒く背の高いカーテンの裏に、音もなく消えていった。


「私はあなたと居れるから嬉しいんだけれど、メイヴィスの言う『やりたい事』って何?」


「うん……とりあえずさ。今日は家に戻らないか。明日になったら、あいつを助けに行こうよ」


 私たちの視線は、意識を失ってシトラスに運ばれる私の、力なくぶら下がる白い腕に注がれていた。

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