奪われた証



 車に戻ると、私は買ってきた薬をドアポケットに放り込んだ。


 買ったものをすぐに使うほど、常習者じゃない。薬が手の届く所にあっていう事実で症状が落ち着く患者もたくさんいるんだ。私はまだそのレベルの一人。


 クゥと腹が鳴った。そういえば朝から何も食べていなかった。エネルギーが不足しているのを感じた。


 私はそのまま5マイル走った。チェーン店の『ババ・タコ』の前で停めて、店で一番辛いタコスを買った。車の中で食事を終えた後、ヒリヒリした唇をナプキンで拭き取った。


 残りのジャスミン・ティーで口の中をさっぱりさせると、私は車のボックスから携帯を取り出して自宅へ電話をかけた。トーンがいくら鳴っても、通話は成立しなかった。


 私は舌打ちした。「もう一度、学校ふりだしへ戻るしかないか……」


 もう怒ってはいない。けれど私の中で娘への説教の予定時間がさらに15分伸びた。



 学校に着いた時、駐車場からはずいぶんと車が減っていた。私はもう迷わず、一直線に学校のスタッフがいる受付に向かって歩いていった。


「娘を探してくれない。学校にいるはずなんだけど、まだ家に帰っていないの」


 金髪をひっつめた女性が怪訝そうな顔をした。私が挨拶もせず、用事だけを言ったからに違いない。


 その点に関してはすまないと思った。がしかし、ここでIDカードがどうとか言ったら、相手が娘の学校の校長でも構わず引っ叩いてやるつもりだった。


 この女性は運が良かった。すぐにうなずくと、私に名前を尋ねてきた。


「メイヴィス・ブランストーン」


「え~つづりは『M・A・V・I・S』ですか? メイヴィスさんの学年を教えて下さい」


「あ……ごめん、それ私の名前。娘の名前はジェイミー。『J・A・M・I・E』よ」


 やり取りのあと、職員の女性はさっそく席を立って、奥の机にある端末ターミナルのキーを叩き始めた。彼女の動きが不意に止まった。再度パンチする音が聞こえたが、職員の表情は暗いままだ。今度は困った顔をして私の方を向いた。


「ジェイミーさんは本校に2名在籍していますが、ブランストーンという姓のお子様はおりません」


「何ですって?」私の声が思わず上ずった。


「教えて頂いたスペルで3度しらべたんですが、姓が出てこないんです」


「私と同じ金髪で、瞳の色は虹色アースカラーよ。住所は……」私は財布から免許証を取り出した。「これで」


 もういちど奥に引っ込んだ女性は、私の希望通り検索方法を変えて試してみた。しかし結果は変わらない。それ以上のオペレーションが思いつかず、職員は困った様子で首をすくめるしかなかった。


「ちょっと! そんな馬鹿な話ある? 娘の場所を聞きたいだけなのに、娘が誰かも分からないって言うわけ? ふざけないで! 私たちから高い授業料フィーをせしめて作ったこの学校のシステムってのは、ガラクタかよ。責任者を呼んできてよ! 引っ叩いてやるから!」


 私の興奮した様子にひどく怯え、女性は自分が叩かれる前に部屋を出て、廊下を走っていった。


 やり過ぎたと感じた私は、自分の胸の上あたりを強く抑えた。落ち着いて、世帯主ブランストーン。ただでさえ今日は心に負荷がかかっているんだから。


 職員の女性が戻ってきた。しかし連れてきたのは背広を着たナヨい責任者ではなく、紺の制服に帽子を被った2人の強面こわもての警備員だった。


「お母様でいらっしゃいますか?」リーダーらしい男が口を開いた。胸板の厚さと腕の太さに似つかわしくない、丁寧な喋り方だった。


「本校のセキュリティの者です。我々の方でもそのお子さん――ええと、ジェイミーさんの行方を校内でお探しします。何かあれば連絡しましょう」警備員たちは私と廊下にいる生徒たちの間に立ちふさがった。


 この2人の無言の圧は、プロフェッショナルの警備員として訓練された自信の現れだった。「学校にいらっしゃるなら、ジェイミーさんは責任をもって保護します。だからお母様としてはまず・・警察署の方に行かれてはいかがでしょうか?」


 本当はどこか営業中の病院へ行ってくれ。そう言いたいんだろう。警備員たちの微妙にさげすむ視線を感じて反射的にそう思った。


 彼らの表面上の言葉は提案だったが、真意は警告だ。強引に押し通ろうとすれば、学校からつまみ出すぞというオーラを感じた。ここに銃を持ってこなくてよかった。意固地になったら怒りが頂点に達して発砲しかねない。


 私は納得いかない気持ちを何とか押さえ込んだ。いったん引くつもりになったので、受付のペンスタンドの横に置いてあったメモ紙を取り、携帯の電話番号を書いた。「見つかったら、こっちに連絡して」そう言って警備員に紙片を渡した。


 ずかずかと歩いて校舎を出るまでは、ずっと怒りで気持ちを維持していた。だが外に出て少し冷たい風を浴び、体温が急激に下がってくると、初めて表面化する不安に気づかされた。


 ジェイミーの名前が小学校の名簿に無いだって?


 さっきは馬鹿げていると笑ったが、その意味に気づいていなかった。これまでは目の前に娘がいないという、極めて分かりやすい不安と戦っていた。しかし今度は違う。姿が見えない誰かに、じわじわと道を塞がれるような、性質の違う恐怖だった。


 私はまだ薬を使ってないし、FEXのシーズン数ばかり多い安っぽいチージードラマを崇拝するような年齢でもない。これは現実だ。超常現象的なやつは信じない。もっと現実的な解があるはずだ。


 夫の介入。これに違いないと思った。私たち夫婦にとって最後の日、彼は真顔で「子どもと養育費については、君の言う通りに従う」と宣言した。なのにあいつは背後から手を回して、私の人生からジェイミーという唯一の人間性を取り除こうとしている。そうに違いない。


 私の中で、次の行き先が決まった。

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