K&K




 短く『中央センター』と呼ばれる区域の道路は、いつも高級な車で渋滞していた。私は運良く道路脇の隙間を見つけると、ピックアップを頭からねじ込んだ。


 少し歩くと見える青いガラス張りのビル『スパイア・プラザ』。頂上部が斜めにカットされている独特なデザインで、間違いようがない。それが元夫の勤め先だった。


 前回ここに来たのはいつだったろう。もうだいぶ昔の気がする。結婚も決まって、勤め帰りの夫とデートの待ち合わせをした時じゃなかったか。そのあと食事をしてセックスを楽しんだ夜に、私はジェイミーを妊娠した。


 天然石をふんだんに使った階段を登っていくと、2つの回転ドアがある。そこをくぐり抜けた先は吹き抜けのホールになっていて、総合の受付があった。


「K&K会計事務所のブライアン・クラインに取り次いでもらいたいの」受付の上品な女性の一人に話しかける。


「お待ち下さい……」ハイパータイトライナーで描かれた目が、細長く変形する。「あなたのお名前と……社名をもう一度よろしいでしょうか?」


「メイヴィス、K&K」理由が分からないが、私はその質問に違和感を覚えた。


「ええと、キッシンジャー会計事務所なら20階にございますが。お間違えでは無いでしょうか?」


 私はぴしゃりと返す。「あのね、ブライアンがいる会社なら細かい違いなんてどうでもいいわ! 早く取り次いで頂戴」


 私の強硬な姿勢に真顔になった女性は優れた対応力を見せ、すぐに電話をかけ始めた。


 彼女の会話を待つ間も無駄にしたくない私は、受付の冷たい大理石に肘をついて、ブライアンを罵る台詞を20個以上考え、効果的な順番に並び替えていた(このしたたかさが、自分が女性である証拠だった)。


「長かったわね」受付が電話を切った所で、私の方からせっかちに話しかけた。


「申し訳ありません、メイヴィス様」女性は神妙な面持ちのままだった。


「まさか外出してるってワケ?」


「いえ、事務所の者が言うには『ブライアン・クラインという名前の社員は在籍していない』との事でした……やはり法人名をお間違えになってはいないでしょうか?」


 私は返す言葉を失った。



 天然石の階段を引き返す私の頭は全く働いていなかった。


 ブライアンが会社にいない可能性を少しは予期していた。彼の実家はここから125マイル以上離れている。もし彼がジェイミーを連れているとしたら、シッターを呼ぶか、休暇を取って一緒に自宅にいる可能性があると思っていた。


 けれど、私の予測は出し抜かれた。ブライアンは社にいないばかりか、在籍すらしていないだなんて。


 そういえばあの受付嬢が遠回しに言っていた。『このビルにK&Kは存在しない』。それは偶然だろうか。


 KissingerキッシンジャーKleinクライン


 クライン――ブライアンの姓。共同経営者がいなければ、そんな社名もあり得ない。偶然にしては出来すぎた予兆だ。


 変な汗が落ちてくる。いや、これは常識を超えたスーパーナチュラルな事象なんかじゃないって。私がこの硬い石の床を踏みしめられるように、起こっている現実として捕らえなければならない。


 そうでないと――。私はX-Lanesで手に入れた錠剤の存在を、ポケットの奥に強く意識していた。駄目。私は私でいなければならない。娘のためにも。


 今年始めて見る番号を選び、ブライアンに電話してみた。かからない。「クソ!」何をしても確かな現実の痕跡が見つからないのが不満と不安で仕方なかった。

 

 ブライアンがジェイミーの存在を隠したとして、どのような方法を使ったのかは、悔しいが私には判らない。だが彼が法律に詳しい事、それに多数の有能な弁護士の友人がいる事を、私は知っていた。


 私には何もない。一介のシングルマザーには、彼に対抗するどころか、単独では娘の存在を突き止めるだけの力もない。


 だったらどうすればいい? 心の中で答えは出ていたのだが、これまでは生理的なレベルでそれを拒否していた。だが今はもうこれしか頼る方法がない。


 私は最後の希望につながる道に乗るために、再度アクセルを踏みつけた。

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