町を出る前の準備
「化粧を落としたほうが良い?」
マントを着せても連れて歩いたら目立つだろうと予想がついて、そう提案するとユーナは理由が分からないのか首を傾げた。
「化粧を落として髪を一つに縛ったら、頭をこれで包んでからマントのフードをかぶるんだ。出来るか?」
嫌がられたら困るなと思いつつ、マジックバッグの中に死蔵していた迷宮産の布をユーナに手渡す。
かなり昔迷宮の宝箱から見つけた布で、確か周囲から認識され難くなる効果が付いていた筈だ。
「髪は目立たない様にですね。ただ化粧は水もないですし化粧落としシートも持っていないのですぐには落とせないかと」
髪については納得したものの、化粧はすぐに落とせないと言う。
この辺りの町じゃ、日常的に化粧するのは裕福な家か貴族の女性だけで、商売女は紅を差す程度だ。冒険者の俺と一緒にいるユーナが眉や瞼にまで色を付けていたら、悪目立ちするに決まってる。
化粧だけじゃなく、手入れが行き届いていると一目で分かる綺麗な黒い髪なんて、自分を覚えていてくれと言って歩いている様なもんだ。
せめて隣町に行くまでは、髪を隠し化粧もしていない方がいい。
あいつらは『派手な短い丈の服を着て、綺麗な髪の化粧した女性』を覚えているんだから、あいつらに知られずにこの町を出るだけなら、この二つを排除すれば十分誤魔化せる筈だ。
「印象を変えるのは大事、私でも分かります」
泣いていたのにそれでもユーナは冷静に対処しようとしている。さっきの奴らに見つかりたくないから、必死なのだろう。
「水は必要ない、落としてもいいなら魔法でそうするから」
「魔法、なんてあるんですか」
「俺が使えるのは生活魔法だけだがな」
そう言えばユーナは、大きな目を更に大きく見開いて俺を見上げた。
この反応もなんだか懐かしい。
リナもこんな風に驚いていた、違う世界から来たリナには生活魔法すら驚きの対象だった。逆に俺は殆どの人間が当たり前に使える筈の生活魔法に驚くリナが不思議だった。
「分かりました、お願いします」
それだけ言うと、ユーナは目を閉じて俺の方に顔を上げた。
こうして比べるのは失礼なのかもしれないが、あの時のリナよりユーナの方が落ち着いている感じがする。
だが、初対面の相手を簡単に信じすぎるのはどちらも同じだ。
「浄化」
たったそれだけで、ユーナの顔から色が消えた。
「目、開けていいぞ」
「はい」
「……変わらないな」
化粧を落としても美人だった。
瞼に彩られていた薄緑色、形よく描かれていた眉、目の周囲に引かれていた細い線等がすっかり消えて、眉と桃色の唇の色が薄く自然になった分素朴な感じになった。
だが、美人なのは変わらない。
と言うより、鮮やかな色が顔から無くなった分黒い瞳の色が際立って、その綺麗さに見惚れてしまう。
髪の色と顔立ちでこの辺りの人間じゃないとすぐに分かるが、まずいなこれ綺麗すぎだろ。
化粧をしていなくても、こんな美人なんじゃ目立つのは変わらないかもしれない。
「でも、少し幼くなったかな」
ユーナの顔に見惚れていたのを、誤魔化しからかう。かなり年下のであろう女性に俺は何を考えているんだなんて、内心焦っているのを気付かれたら情けないし恥だ。
「結構お化粧頑張っていたんですけど、そう言われると複雑ですね。うーん、難しいなこれでどうでしょう」
ユーナはねじって長い髪を纏め、布で器用に隠すとフードを被った。
前髪まで布で隠して額を出した思い切りの良さは評価するが、そのせいで美人の顔が余計に目立っている。フードを被らせたのは正しい判断だったかもしれない。
「ヴィオさん?」
「あ、歩き難いかもしれないが、目の辺りまでフードで隠した方がいいな。あいつらが顔を覚えいるかもしれないからな」
美人過ぎるから隠せとは言い難くて、あいつらのせいにする。
一見してこの辺りの人間じゃないのが分かる顔立ちなんだから、顔を隠すのは間違いじゃない。
そうだ、間違いじゃない。って俺は誰に言い訳しているんだ。
「これでいいでしょうか? あの、色々借りた後で申しわけないですが、私この世界のお金が無いんです。ですから……」
ユーナは、結構律儀な性格のようだ。
申し訳なさそうにそう言いながら、フードの辺りをしきりに引っ張っている。
「見れば分かる、荷物何も持ってないみたいだからな。あいつらに取られたのか」
「いえ、荷物はあるといえばあるのですが、その辺りは町を出て落ち着いてから相談してもいいでしょうか」
「勿論だ。それから金は気にする必要はない。何か仕事についたら返して貰えばいい。じゃあ行くぞ」
返してもらう必要は無いが、ユーナが気にするならそうすればいい。
「確認する」
まず俺だけ通りに出て周囲を見渡し、それからユーナを手招きする。
「はい」
不安そうな顔をしながら、ユーナは俺のすぐ側まで足早に歩いてきた。
その顔を見ていたたら、自然と俺の手が伸びたんだ。
「ひゃっ、あの」
「はぐれたらマズイだろ」
許可も取らずに繋いだ手の言い訳を口にすると、ユーナは真剣な顔で頷いた。
ここはこの町一番の大きな通りだから、人通りも多い。慣れない場所ではぐれでもしたら、またあの顔で泣くんだろう。
だから、ユーナに嫌がられてもを手を離すつもりは無かった。
「はぐたら困ります」
そう言うとユーナは繋いだ手に力を入れるけれど、その力があまりにも頼りなくて余計に心配になる。
なんていうか、出会った頃の隙だらけのリナを思い出すんだ。
何せあの頃のリナはかなり危なくて、スリには合いそうになるし、すぐに迷子になるし騙されそうになっていた。
余程良い家に生まれて、護衛にでも囲まれて育ったか、家から外に出たことすら無かったのかと思えばそうではなく、リナの住んでいたところは安全な街だったのだという。
飲食店で荷物を置いたまま少々席を離れた程度では、荷物を取られる心配は無い程安全だったと言われて、呆れたのはいい思い出だ。
この世界なら、座っている席の隣に荷物を置いていても通りすがりに持っていかれそうになる時もあるし、混雑している場所には必ずスリがいる。
どうもユーナにもリナと同じ気配を感じるんだよな、いくらさっき俺があいつらから匿ったとはいえ、すぐに信じるし今もぼんやりと歩いている。
「あいつらに見つかると困るのはユーナだ、警戒しろとは言わないが注意はしてくれ。あと、もう少し早足で歩けるか」
さっきまで踵の高い歩き難そうなサンダルを履いてたから、もしかすると足が痛いのかもしれないが、馬車に乗るまでは油断が出来ない。
あいつらが戻ってこないとも限らないんだ。
「走りますか?」
「それは逆に目立つ」
「分かりました。合わせます」
「そうしてくれると助かる。俺も面倒は避けたいからな」
面倒の最たるものはユーナだけど、まあそれは俺から関わったんだから仕方がない。
「よし行くぞ」
俺の失言に、面倒事の自覚があるらしいユーナが困った顔になったのは気が付かない振りをして、彼女の手を引いて馬車乗り場へ急いだ。
「二人分席を頼みたいんだが」
馬車乗り場の券売所に座っている男に声を掛ける俺の横で、ユーナは息を切らしている。
ここに来るまで確かに早足だったが、それでも体力がなさ過ぎる。
このままずっと俺と一緒かどうかはユーナ次第だが、歩きの旅はこのままでは難しいかもしれない。
「あんたらどこまで乗るつもりだ?」
「フォラボラに行きたいんだが、ここから行くのは無いんだよな」
一応ギルドで確認してあるが、念の為尋ねてみる。
ユーナをフォラボラまで連れて行くかわからないが、俺の目的地を変えるつもりはない。
「あの馬車で三つ先の町に行けばフォラボラ行きの馬車便はある。三つ先の町までなら一人銀貨五枚だ」
「分かった、二人分だ確認してくれ。あ、便所はそこか」
「あぁそうだ。丁度貰ったよ。この札を乗る時御者に見せてくれ」
木札を二枚受け取りながらユーナを見ると、興味深げに俺の手元を覗きこんでいて、周囲を警戒する様子はない。やっぱりユーナも、ちょっと危なっかしい気がする。
「べ……一応ユーナも行っておいた方がいい」
便所と言いかけて、リナに昔「ヴィオさんデリカシーない、そういうとこですよ」と嫌がられたことを思い出し言葉を濁す。
デリカシーというのは、心配りとか気遣いという意味らしい。
リナはこの国の言葉を話すくせに、時々分からない言葉を使っていた。
「あの」
「馬車に乗ったら数刻は乗ったままだぞ、一応行っといた方がいい」
戸惑うユーナに便所に向かいながらそう言えば、納得した顔で頷いた。
「はい」
「そうだ、水場は無いから探しても無駄だ。手は後で浄化してやるから」
「え、あの」
「あと……そのな、言い難い話なんだが紙は無いんだ。箱に草が置いてあるが使えないだろうから、その、ええと」
説明をしようとして苦労したのは、リナの時は、手拭きを渡して泣かれたと思い出したせいだった。
苦い記憶に言葉が途切れると、ユーナは俺の手を振り払い、自分の顔を覆った。
その仕草に、リナが過去に言っていた様に、俺には『デリカシー』がやっぱり無いのかもしれないと反省する。
「テ、ティッシュ持ってます! それは大丈夫ですから。女性用こっちですよね」
真っ赤な顔で逃げるように入っていってしまったのを、呆然と見つめてしまった俺は悪くないと思う。努力はしたんだ、許してくれ。
「彼女が浄化出来るといいんだが」
しょんぼりしながら便所に入り、用を済まして手を浄化して外に出た。
ユーナはまだ出てこないが、大丈夫なのかと心配になる。
ここの便所は綺麗な方だが、リナはかなり驚いていた。宿屋も食堂も冒険者向けの安いところはどこも似た様なもので、旅の途中は言わずもがなだ。
まあ旅するなら慣れて貰うしかないんだが、木の陰に隠れて虫と蛇に気を付けてなんて言ったら泣かれるだろうか。そう考えると気が重い。
「同行者に女がいないのが辛いな」
せめて浄化、リナは使えるようになったから彼女も教えれば出来るだろうか。
こんな事で悩むならオークの群れと戦ったほうがどれだけ楽か分からない。なんて事を考えていたら、疲れた様に肩を落とし歩くユーナの姿が見えた。
「ヴィオさんお待たせしました」
「浄化」
手を差し出そうとするから、先に浄化を掛けてしまう。
「ありがとうございます。これで綺麗になるってやっぱり凄いですね」
「いや、大丈夫か」
「え、あの」
「ここ、マシな方だからな」
「え……そ、そうですか……大丈夫です」
馬車に乗ってから覚悟させるのも酷だから、泣かれるのを覚悟で言えば戸惑いながらも納得した顔で頷いた。
青い顔してるのは、やっぱり厳しかったんだろうか。
「ぽっとんは良いんですが、草に驚いてしまっただけです」
ぽっとん? そういえばリナもそんな事言ってたいたな。
そんなのあるの、昔話の世界だけかと思ってたとかなんとか、それでもう無理だと泣き出したんだ。
ユーナは本当にリナと同じところから来たんだなと、こんなところで感じるのも変な話だな。
「まあ、運が良ければ今日は野宿にはならないはずだ。フードずれてるぞ」
声を掛けながらフードを引っ張ってやる。俺に油断してるだけなのかもしれないが、表情が分かる程になってるのは駄目だろう。
「あ、ありがとうございます。私、運は良いはずですから、きっと大丈夫だと思います」
「そう思うのか」
運がいいなら、なんで道の隅っこで泣く羽目になるんだ。
揶揄いとしても言うことじゃないが、内心そう思う。
「こんな知らないところに来ちゃいましたし、追いかけられた時は泣きましたが、でもヴィオさんに会えましたから」
俺の上着の裾をぎゅっと掴んで、そんな事言われたら戸惑うだろうが。
「それは運が良いとは言えないな。俺はどっちか言えば外れの方だ」
裾を掴んでいる手を離させて、戸惑いを隠す様に手首を乱暴に掴む。
「そんな事ないですよ。私人を見る目はあるんです」
「そうかそうか」
「本気にしてませんね。ヴィオさんは外れなんかじゃないですよ。きっと」
明るい口調でそう言われたら、苦笑いするしかない。
ユーナの呑気さは、元の世界の人間特有なのかと呆れながら俺達は馬車に乗り込んだんだ。
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