別れと出会い
「ヴィオさん、お世話になりました!」
ヤロヨーズの町に着くまでの約束で、冒険者指導を引き受けたのはただの気まぐれだった。
頭に卵の殻をかぶったままの、生まれたばかりの雛鳥みたいなあいつらを放っておいたらすぐに死んでしまいそうで怖かったのと、何を教えてもキラキラした目で必死に覚えようと頑張る顔が出会った頃のポール達に重なったせいもあったのかもしれない。
護衛中の魔物との戦い方、夜の不寝番の仕方等を教えられるだけ全部教えた。
ポーションさえまともに買えない貧乏冒険者には指導料なんて到底支払えないから、俺が狩ったオーク二体を俺のものにするのを指導の条件にした。
五人は恐縮していたが、助けられた場合は全部助けた側の物になるって常識はさすがに持ってるみたいだから、今回はそれで良しとした。
「護衛なんて無理せずに、暫くは小さな依頼をこなして経験を積むんだぞ」
最後だからと説教臭く言うと、真面目な顔で全員が頷いた後で「次に会えたら約束通りヴィオさんに美味しいお酒ご馳走しますから、絶対にまたこの町に来てくださいね!」とトニーが言った。
町に着いてから数日あいつらと過ごし、俺は今日ヤロヨーズの町から出立する。
ヤロヨーズからフォラボラまでの馬車は案の定出ていなかった。だから、三つ向こうの町まで行く馬車に乗り、そこから違う馬車に乗り継ぐつもりだ。
律儀に見送りにギルドまでやって来てくれた五人に手を振り別れると、馬車の乗り場に向かい歩き出す。
今日も天気がいい、それに今日は気分も悪くない。
拠点にしていた町を出た時の、あの辛さと物悲しさが無いのをありがたく感じていた。
「俺、指導者の方が向いてるのかも、いっそのことギルドの職員になった方が良いのか?」
若い子達と話すのは楽しい。
安物の剣や弓、古びた皮の鎧、マジックバックなんて持てないから大きな魔物は持ち帰るのだって一苦労、そんな暮らしでも夢がある。
魔物との戦い方を覚えて、少しでも強い魔物を狩れるようになってそうして経験を積んで星を減らしていく。
上を目指して努力する奴らの手助けは、楽しいしやりがいがあるのだと、思い出したんだ。
「まあ、そうは言っても暫くは一人だけどな」
冒険者ギルドで指導教官になるのは、今の俺でも簡単だろう。
でも、この町でそれになろうとは思わなかった。ヤロヨーズはポール達が住む町に近すぎる。
天空の迷宮を目指しているあいつらは、迷宮に入る資格を得るためにあの町にある森林の迷宮攻略を進めている。
森林の迷宮は、中級冒険者が入れる迷宮の中では一番難しいとされる迷宮だ。
一見森にしか見えないその迷宮は、中に入ると八十三層で構成されていて、俺達はやっと六十七層目を攻略し終えたところだった。
「ポール達森林の迷宮の攻略を終えたら、上級か」
あの迷宮を攻略出来れば、上級冒険者の昇級試験を受ける資格が手に入る。
上級昇級試験を受けるには、規定数の依頼をこなしギルドで定めた級の魔物を規定数討伐し三星になった上、森林の迷宮か深海の迷宮を攻略しなければならない。
深海の迷宮に出る魔物は、そう手強い相手ではないがいかんせん大量に出てくるのがやっかいで、嫌厭されがちだった。
「俺がいなくても、いや俺がいない方が」
暗いことを考えながら歩いていたら、突然視界の端っこに見えた明るい色に足を止めた。
「なんだ? あれで隠れてるつもりか?」
思わず周囲を見渡す。
いつの間にか、ギルドからだいぶ離れた場所まで歩いてきていた。
俺は歩くのが早いから、考えながらでもかなりの距離を短時間で歩いてしまう。
馬車の乗り場は北門の近くだが、何時の間にか門のすぐ近くまで来ていたようだった。
「わけありか?」
明るい色は、建物と建物の間の狭い道でしゃがみ込んでいる人の服の色だった。
明るい黄色地に赤っぽい格子の模様、それにしてもなんて格好でしゃがみ込んでいるんだ。
もしかして誰かに襲われて隠れてるのか?
大きな通りと建物の間を通り抜けられるようにある、馬車は入れそうにない細い道だ。
樽の影に隠れるようにしゃがんでいるが、これじゃ向こうの通りからは見えなくても、こっちからは丸見えだ。
「誰かに追われて隠れてるにしても、お粗末だなすぐに見つかるだろ」
マジックバックから洗濯済の上着を出して、追加で裏地にモコモコ兎の毛皮を裏打ちしたマントを念の為浄化の魔法を掛け取り出し、細い道に足を踏み入れた。
「おい、助けは必要か」
驚かせないように少し距離を取りながら、少しでも優しく聞こえる様に声を掛けた。
「え」
俺の声に顔を上げたのは、かなり若い女性だった。
「俺はヴィオ、冒険者だ」
立ち止まりギルドのカードを出して見せながら、様子を窺う。
顔は上げたものの、立ち上がらない。
女性の姿はおかしかった。
踵が高くて歩きにくそうな編み上げのサンダルを履き、太ももが半分見えている丈の短すぎる服を着ているが、その服は袖が無く細い紐みたいなのあるだけで、華奢な肩がほぼ剥き出しだから服じゃなく下着の可能性もある。
というより、下着だってもう少し布の面積大きいだろう。この格好じゃ追い剥ぎにでもあったのかと疑いたくなる。
服装はともかくしっかり化粧をしている。髪は黒く背中の中程までの長さで切りそろえられていて艶がある。そういうのに詳しく無い俺でも手入れされてると分かる程の綺麗な髪だ。
これは追い剥ぎの被害者というより、高級娼婦か貴族の愛人なのかもしれない。
「助けて、くれるの?」
顔を上げこちらを見た、その目が赤く充血していた。
転んだのか、ふくらはぎに擦り傷が出来ているのが痛々しい。
白い足に他には傷らしいものが見えない分、擦り傷が目立っている。
服装の奇抜さから考えれば、娼婦が娼舘から逃げてきたのかとも思えなくないが、この小さな町に暮らす娼婦だとすれば、下着にしか見えない服の布地は高級品過ぎて疑問を覚える。
だが店から逃げてきた娼婦だとしたら、俺が関わるのはまずいかもしれない。
「この町の人間か」
「違う、知らない町なの、知らないところなのになんで私っ」
涙を流しながら話す様子に逃げてきた娼婦や貴族の愛人の疑いは消えたが、それじゃどっかの貴族令嬢が攫われてきたのかと考えつつ「近づくぞ」と声をかけてから、そっと上着を羽織らせた。
「え」
「洗濯はしてある、見ず知らずの男の服なんか嫌だろうが、その格好じゃ外を歩けないだろ」
とはいうものの、下はどうしたらいいんだろうな、まさか古着屋に駆け込んで女物の服を買うわけにもいかないし、この恰好の女を連れて歩いたら目立つどころじゃない。
「歩けない? どうして?」
「いや、だってその格好じゃ……」
上着を羽織ったまま立ち上がった女性を、俺は目を逸らせずに見てしまった。
歩きにくそうなサンダル、サンダルなのになんでそんなに踵が高いんだろうと考えながら、立ち上がったことであらわになった鍛えてなさそうな足を見て、昔を思い出した。
「ジョシコーセー」
「え?」
「知ってるか?」
「女子高生?」
首を傾げた。
このやり取りは、以前は逆だったが目の前の女性の言い方は同じだと確信した。
「『女子高生』ではなく、私は『大学生』です。あの、あなたは女子高生という言葉をご存知なんですか、それなら日本も分かりますか? ここはどこの国なの? 私はどこに連れてこられたの?」
両手で顔を覆い泣く姿に、狼狽える。
そして思い出す、十年近く前のことを。
『あたしはただの女子高生! 娼婦って何なのよ!』
『昼間っからそんな短い丈の服を着て太ももまで見せて歩くのは、この国じゃ娼婦ぐらいのもんなんだよ』
『しょ、娼婦って、この程度のスカートなんて短い内に入らないし、誰だって履いてる。そもそも日本の服装に、そんな決まりなんてないわよっ!』
『ニポン?』
『知らないの? 日本、私は日本の東京に住んでるの、ここどこなの。どうしてあたしはこんなところにいるの?』
あの時、リナも同じように泣いていたんだ。
急に知らない場所、世界に来て、震えて、怯えて、泣きじゃくっていた。
「ここはチキューじゃない、ニポンなんて国も知らないし、この世界に多分存在してない」
あの時リナは、ニポンはチキューという星にある国の一つだと言っていた。
俺は国の名前を知ってはいても、この星、リナは夜空に見える光、星の様に、俺達が暮らシているここも一つの星なのだと言っていたが、俺にはそれが理解できないし、もしここが星の一つだとして、名前がついているのかどうかも知らないんだ。
だけど、リナのいた世界ではそれは常識なんだと言う、だからチキューという言葉を出し反応を見た。
「チキュー? 地球のこと? 地球じゃないなら、どうして地球や女子高生なんて言葉知っているんですか?」
「……悪いが、本当にニポンなんて国ないんだよ。俺は昔、君と同じ様に突然この世界に来てしまった女の子に出会っただけなんだ。彼女は君みたいに短い丈の服を着ていて髪も男みたいに短くしていた」
俺はここからもっと北の町で、リナと出会ったんだ。
リナと出会って二人で旅をして、その内ポール達と出会って、パーティを組んだ。天空の迷宮をいつか攻略するために。
「リナって名前で自分はトウキヨに住むジョシコーセーだって言ってた」
「東京? 女子高生、その子は今は? 帰れたんですか、日本に」
「ずっとニポンへの帰り方を探してたけど見つからなくて諦めてしまった。今はここから馬車で何日もかかる町に仲間と暮らしている」
一緒に帰る方法を探すと約束して、ずっと一緒にいたけれど、どれだけ探しても見つからなかった。
探して探して、とうとう帰ることを諦めたリナは、ポールを好きになってこの世界で生きると決めたんだ。
「帰る方法は無いの。あっ、ごめんなさいっ! 匿って!!」
俺が入ってきた方の通りから近づいてくる大きな声に、慌てて彼女は樽の向こう側に隠れてしまった。
「いたかっ」
「いねえ、どこ行ったんだ? あんな上物逃したらお頭に殺されるぞ。貴族に売るってご機嫌だったのによぉ」
その会話から、探しているのは彼女なんだろうと推察するのは簡単だった。
匿う義理は無いが、怯えて泣いている人をわざわざ不幸にする趣味はない。
どうやって誤魔化すかと考えながら、俺は素知らぬ振りで細い道から通りに出た。
「おい、お前。この辺りに派手な服着た娼婦がいなかったか?」
見るからにガラの悪い二人に向こうから声をかけられて、俺は内心ほくそ笑みながら首を傾げて見せる。
「あ、娼婦、知らねえな。ん? 派手な服って黒髪か?」
とぼけた振りをしながら、二人の顔をじっくり眺め覚える。
今日この町を出る予定だが、こういう輩はどこかの手配書に載っていないとも限らない。
「そうだ、どこに行った?」
「それなら、さっき男二人に連れていかれた女じゃないかな」
彼女が隠れた方向に行かせるわけには行かないから、細い道を隠すように立って出鱈目を言ってごまかす。こういう場合、逃げたと言うより既に捕まったようだと思わせた方が良いだろう。
「男? うわあっ最悪だぁ」
「向こうの方に行ったぞ。どうやって逃げたと聞かれてたし、抵抗してたから男はどっかの店の護衛かもな」
「なんだって? おい、探すぞ」
「よしっ!」
バタバタと土埃を上げて、町の中心部へ走っていく二人を見送ってから、そっと戻り樽の影を覗き込んだ。
「なあ、これは提案なんだが、俺はこれから馬車でこの町を出るんだ。とりあえずこれで姿ごまかして、一緒に町を出ないか? 知らない男の服と靴なんて嫌だろうが我慢してくれると助かるんだがなぁ」
マジックバックから洗濯済の服の上下と新品の革の長靴を取り出し手渡すと、怯えた顔しながらも手を伸ばしてきた。
「助けてくれるの?」
「あんたは多分、リナと同じところから来たんだと思う。だとしたらここはあんたが全く知らない国どころか、全く知らない違う世界だ」
「違う、世界」
リナが確かそう言っていた。『違う世界に迷い込んじゃった』と。
「右も左も分からない、この世界の常識も知らない人を放っておけない」
ここで別れたら、明日には良くて娼館の一員かどこかの貴族の愛人、最悪はその辺で殺されてるかもしれない。
それはさすがに寝覚めが悪すぎる。
「俺を信じてついて来るなら、あいつらに見つかる前に早く着がえてくれ。あ、服は洗濯してあるから安心してくれていいぞ。リナのところに連れていければいいんだが、今は難しいんだ」
同じ世界から来たのだから、リナに預けた方が良いのかもしれないが、あそこから自分勝手に出て来たばかりで戻るなんて、出来ない。
しかも彼女をリナ達に押し付けて、また俺だけ離れるとか絶対に無理だ。
理由を付けて、俺まで居座りたくなる。
「私あなたを信じます。だから一緒に行ってもいいですか? 私優菜と言います」
「ユーナか、分かったこれからよろしくな」
「こちらこそよろしくお願いします」
ユーナは服を抱えたまま深く頭を下げた後、素早くサンダルを脱いで、今着てる服か下着か分からないものの上から俺の服を着ると靴を履いた。
お世事にも似合っていないその姿に、次の町に着いたらまず服を買わないといけないなと考えながら、マントを肩に掛けてやったんだ。
★ヴィオは下着と思ってますが、普通のキャミソールワンピースです。
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