彼女のくじ運 (ショートミステリー)

 多田野小五郎は小さい時から両親がいない環境の中で育ったせいか、あまり自分のことを語りたがらない。現在は姓の違う資産家の親戚に預けられて、その家から中学校へ通っているが、そこでは本当の子供のようにかわいがられているようだ。

 だが小五郎にはちゃんと母親がいる。

 実は小五郎がまだ小学校の頃に、両親が離婚してしまい、彼は父親のほうに引き取られたということだ。その後、父親はギャンブル好きの怠惰な性格と、妻を失ったしさからの自暴自棄でどうしようもなく荒れてしまい、失意の内に早世した。一方、母親は離婚後一念奮起して猛勉強し、現在では司法書士の事務所を開設して自立している。

 僕が小五郎の生い立ちについて、なぜこんなによく知っているかというと、小五郎の母親と今でも懇意に付き合いを続けている僕のおふくろから、断片的にいろいろ聞いてきたからである。僕のおふくろは人のいいことだけが取柄のおばさんで、あるいはその事を確信犯的に利用して、近所のあらゆる噂話、秘密話に精通するという特技を持っている。

 ところがそんなおふくろでも、小五郎の両親の離婚話の中でどうしてもわからないことがある。あの利発な小五郎が、離婚後なぜ母親ではなく放蕩な父親の方についていったかと言う事である。

 実は五郎の両親が離婚をしたのは、家庭を顧みない父親の奔放な生活がすべての原因だった。しかも短気な性格のため、それをいさめる母親に対して暴力は日常茶飯事だったという。彼女は一人息子(小五郎)をかかえ、唇をかんで日々辛抱し続けたのであった。

 もっとも、彼らの離婚の直接的な起因は、小五郎の母親がある日「宝くじ」に当たったこと(驚くことに一等である)だったそうだ。金銭的な余裕を得た母親は、それを元にして夫に離婚を迫ったのである。

 それはある意味とても皮肉なことだった。なぜなら、飽くほどギャンブルに金銭をつぎ込む放蕩の中で、宝くじを買いつづけてきたのは常に父親のほうだったからである。ところが、彼は神に見放されたように一度も当たることがなかった。それに対して、母親は初めて買ったわずか十枚の中から当たりを引き当てたのである。

 心有る人々は、父親に罰が当たり、母親は神様が助けてくれたのだ、といい募って、誰一人として母親を妬みよこしまな気持ちで接する者はいなかったという。 実を言うと、僕は小五郎と彼の母親から感謝の気持ちを持たれているらしい。

 数年のわだかまりの後で二人が急接近し、親子関係を再開する事になったきっかけは、僕の橋渡しが原因だったそうだが、僕にしてみれば、そのことを意識していた訳ではない。

 知的でやさしそうで、しかも美しい女の人に呼びとめられ、「小五郎のお友達なら、お願いがあるのだけれど、これを渡してくれないかしら」と、手渡された綺麗な箱を、言う通りに小五郎の手元に運んでいっただけの事である。

 あの箱の中にどれほどの母親の思いが詰まっていたのだろうか、それは僕に知る由もない事であった。

「最近では…」と、ある日、小五郎はその事に触れながら話し出した。

「たまにおふくろと会って、食事をしたりしているんだ。そういえば、今度の進学相談には、おじさんに頼んで、学校に来たいといっていたなあ。」

 仏頂面の小五郎が心なしか顔を赤くしている。

 おじさんというのは、彼の養父である。これは、別の話だが、後に小五郎はこの叔父の養子になって苗字をかえ、この国の犯罪史に名前を残すほどの探偵になることになる。

 話は戻るが、どうしてもわからない事がある。この機会に聞いてやろうと、ふと僕は思った。

「こんなこと聞いて良いのかどうかわからないけど、君の両親が離婚したとき、どうして君はおやじさんの方へついていったんだ?」

 いいながら、僕はしまった、と思った。ごめん、こんなこと聞くつもりじゃなかったんだが…と言いかけたとき、小五郎がビックリするほど明るい声で答えた。

「あの頃は、僕もほんの子供だったからね。母親のウソが許せなかったんだ。今から思えば、幼稚な意地っ張りだったのさ」

「ウソ…?」

 意外な返答に僕はさらに興味を持ってしまった。

「ああ、おふくろが宝くじを当てた事は君も知っていると思うけど、あれは、父親の買ったくじだったんだよ」

「なんだって」

 信じられない。思いもかけない真実もそうだが、普通の判断能力のある大人が自分の当てた宝くじを他人に横取りされて気づかないはずがないじゃないか。

「だって、くじ番号の確認をお父さんがお母さんに全部任せていたわけじゃないだろう。それで、お母さんがくじに当たったとしたら、絶対変だと思うだろうし」

「もちろんそうだ。自分の目で新聞を読んで確認した。それが、父親の楽しみでもあったからね。その日も毎度の事のように、はずれくじを惜しげもなくごみ箱に捨てていたよ。おふくろは、そんなあぶくのような物に絶対金を使いはしない。推理でもなんでもなく、おふくろの機転は僕が一番よく知っている。だから、彼女がおやじの宝くじを横取りしたに違いないと、僕にはすぐにわかったよ」

 小五郎はさらに続けた。

「今から考えると、おふくろは本当にかわいそうな女性だった。ヤクザなおやじから逃げ出すために、あらゆる手を仕込んでいたんだ。その一つがあの宝くじだった。女性が金銭的に自立できると言う事は大変な利点だからね。もちろん、彼女には誰にも負けないぐらいの知性があった。それがなければ、あんな事は考えもつかなかったろう」

「わからないよ。新聞の宝くじの記事を書きかえることなんかできるはずがないだろう」

「いや、同じような事をしたのさ。宝くじの番号を発表している記事だけすりかえたんだ」

「え、なんでそんな事ができるんだ。印刷工場へ行って細工する事もできないだろう」

「当り前じゃないか」

 小五郎の目は笑っていた。

「わからないかなあ。そのページだけが一年前の新聞のものだったんだよ」

「あっ」と僕は思わず声を上げた。

 小五郎は僕の顔を意地悪く覗きこんでからさらに続けた。

「おふくろは毎年、去年の新聞を取っておいて、そこだけ入れ替えておやじに見せていた。その後でゴミ箱からはずれくじを拾い上げて、もう一度確認していたんだ。もちろん、綱渡りのように危なげで、はかない賭けには違いなかった。ただ、いつもこの手は成功していた。なにしろ、おやじは知性のかけらもない男で、新聞はテレビ欄とスポーツ面しか読まなかったからね」

「でも…そのページの日付だけが違うだろう?」

「それこそ賭けさ。ただ一ページごとに日付を確認しながら新聞を読む人はいないからね」

「去年の当たり番号と一緒になる偶然は…?」

「それも賭けだね。ただ、もしそうなったとしたら、おふくろは、うまい具合に証拠を隠し、あたかもおやじの勘違いででもあるような芝居をうったんじゃないかなあ」

 うれしそうに、小五郎は種明かしをする。それは、あたかも母親の英知を誇っているようでもあった。

 後に聞いた話だが、離婚にあたって母親は、父親に対して当たりくじの全額を渡すから息子を引き取りたいと交渉したようだ。その時、父親の元に残ると言い張ったのは小五郎のほうである。

 そうすることが彼の母親に対する愛情のありったけであり、その思いが彼のかわいそうな母親に自由を与え、彼女を未来に解放してやったのだと考えるべきであろう。

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