ストレス解消
得意先周りから帰ってくると、営業部の事務所前で係長に出くわしてしまった。
「何してるんだ。先方さんは約束の時間に君が来ないと何度も電話してきているぞ」
「あ」と、私は小さく叫んだ。
「忘れてました」
「君という奴は……」
係長は、待ってましたといわんばかりに説教を始めた。気が狂いそうなほどの炎天下に外回り、足を棒にして営業から帰ってきた矢先に何てことだ。
私は思わず、係長の頭を羽交い絞めにし、指を両目に突っ込んでぐりぐりしながら、首投げを決めて、その上から顔面に向かってエルボードロップを数発叩き込んで、さらにかかと蹴りを食らわした後、便所へ引きずっていって、器具入れの中に閉じ込める情景を想像した。
営業という仕事ほどストレスを溜め込んでしまうものはない。私のストレス解消法はささやかなものである。こんなたわいない想像だけですっきりして、係長の説教もストレスにはならないのだ。
営業部に帰ってデスクに座り、しばらく書類を整理していると、女子社員が、商談室で得意先が凄い剣幕で私を待っていると告げた。先ほど、約束をすっぽかしてしまった取引先の常務に違いない。業を煮やして、ここまでやってきたのだろう。
「いいよ、すぐ行く」
そういいながら、湯呑みを片付けようとする女子社員のお尻をするりとなでた。
「きゃ、何するんですか、皆に言いますよ」
私を睨む顔つきが尋常ではなかったので、思わず、彼女の顔面に頭突きを数発かまし、気を失ったのを見計らって非常階段に連れ込み、ハイヒールを脱がせてその先で、死ぬまで何度も体中を叩き回したあげく、穴だらけの血だらけになった体をダストシュートに投げ込む情景を夢想した。すると、とてもすっきりして、得意先のところへ謝りに行くのも怖くなくなった。
ところが、商談室に待っていた得意先の常務の憤慨振りは普通ではない。
「お前との約束のおかげで、わが社がどれだけ損をしたのかわかっているのか。上司を呼べ」
と連呼するのである。私は思わず、机を叩く常務の掌をナイフで串刺しにし、恐怖に歪む顔に正拳十連突きを食らわし、飛燕空中三段蹴りを極めて、さらに耳や目や口や鼻に、机の上の書類を丸めて突っ込んで、正体もなく意識を失ったところで、その体を商談室の窓から、ビルとビルの隙間に落とす情景を想像した。
想像でいくらストレスが解消されるとはいえ、現実には不愉快な事だらけである。私は早々に、病気のため、と、課長のいないデスクの上に書置きを残して、会社を早退し家に帰った。
新婚当時に手に入れたマンションだが、まだローンも残っている。だというのに、毎日ふらふら遊んでばかりいる妻が、突然帰宅した私に驚いたような顔をした。
「どうしたの急に」
「何してたんだ?」
手にもっている携帯電話を引っ手繰って、リダイヤルすると男が出た。
「なんだ、なんだ。もっと僕と話がしたいのかい?」
妙に甘えた声ですぐわかる。
「浮気してるな」
思わず、携帯を床に叩きつけると、妻の喉元に抜き手を入れ、うずくまる背中から膝蹴りを落とし、さらに頭部を抱えてバックブリーカーを炸裂させた後、ぐったりとした体を風呂場に運び、包丁でばらばらにしてラップで丁寧に包み、冷蔵庫にしまう情景を想像した。
ああ、気持ちいい。家に帰って、嫌なストレスがやっと跡形もなく消滅したようである。
テレビを見ながらビールを飲み、ほっとため息をつく。
おい、次は日本酒だ。
台所に向かって、妻を呼ぶが返事がない。
テレビでは、驚いた事に、わが社の便所の器具入れの中から死体が発見されたと報道している。知っている名前のようだが、酔いが回ってあまりよく思い出せない。
冷蔵庫に何かおつまみがないだろうか。だが、意識の片隅では、自分で冷蔵庫を開けるのが少し怖いような気がする。
しかし、それも些細なこだわり。
まあ、明日になれば、ストレスだらけの自分の人生も、少しは変わっているに違いない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます