幽霊女

 学校の近くのコンビニで、友人の森と待ち合わせした。

 深夜である。

 いつもは約束にルーズな男だが、思ったよりも早くやってきた。きっと僕の口調にただならぬものを感じたのだろう。情けないことに、僕はその時、かなり動揺していたのである。

「こんな時間に電話で呼び出すとはいったいどういうことだ?」

 森の開口一番は、すごく苛ついているように聞こえた。当然かもしれない。

 僕は黙って、森の肩をつき押しながら歩き出す。まず、自分の気持の方を落ち着かせることが肝心だ。

「な、なんだ。どこへ行くんだ? 説明しろよ」

「実はな……」

 そういいながら、僕は星一つ見えない曇天の空を見上げた。どう話していいかわからなかったのである。あまり大袈裟に森の好奇心を煽るようなこともしたくなかった。

「中学の時の同級生で、忌野優子という女の子がいたのを覚えているか?」

「ああ、あの影の薄い女か」

 森はすぐ気がついたようだ。

「今さっき、その優子から電話があって、これから会いたいと言ってきた」

「ふーん」

と言いながら、森はすぐに甲高い声を出した。

「ま、待てよ。優子は、女子高へ入ったその春に、陰湿ないじめが原因で首吊り自殺をしたはずだ。俺たちの高校でも話題になって、知らない者はいないぞ」

 話の核心はそこだ。僕もその噂を知っている。

 だから、森を呼んだのだ。しかも、会いたいという場所が、昼間でもひと気のない、霊園横の公園である。こんな真夜中に。

「おいおい、勘弁してくれよ、そんなことに俺を巻き込むのは」

「まさか、びびっているのか、お前」

「お前がびびっているから、俺を呼んだんだろ」

 そういわれると、次の言葉が出ない。

「まあいいや。どうせ勉強もしてないし、面白いテレビもない。まさか、本物の幽霊だなんてことはないだろう」

 好奇心が涌いてきたようだ。「わかったよ、ついて行ってやるよ」

 森はそう言って、いつもの間抜けな笑顔になった。



 夜の公園は深閑として不気味である。時おり、風に揺れるブランコの軋んだ音が聞こえてきて、その度に僕は震え上がった。

 散歩道を照らす外灯が薄暗すぎて、あまりにも頼りなげだ。道の周りを囲む薮の外は、奥の見えない真暗闇だった。霊園の方向がどっちだったか、それもよくわからなくなってきた。

 しばらくその一本道を公園の奥に向かって進むと、何本目かの外灯の下に人影が見えてきた。

 きっと、優子に違いない。もっとも、それが本物かどうかの確認をこれからしなければならないのである。

 しかし、こんなところで一人で佇んでいる神経こそ尋常とはいえないのではないか。横を見ると、森も同じ気持だったに違いない。自然に目と目が合った。

「どうやら本当にお前を待っているようだ。俺がここにいたんじゃまずいだろう」

「おい、僕をひとりにするのか」

「いいから行ってみろよ」

 二人がそう言い合っているうちに、相手の方がこちらに気づいたようだった。

 ――と、その刹那……。

 すぐ側に黒い塊が伸び上がるように現れたのだ。悲鳴をあげる暇もなかった。

「来てくれたのね」

 と、女は言った。

 まるで、瞬間移動だった。空間を削り取ったか、と思うほど間近に彼女の顔があった。

 が、こちらを振り仰いだ口が耳元まで裂けている!

 僕は金切り声を上げた。

 自分のその声に驚いて、なおさら恐怖の感情が爆発した。

 目の前が暗転して気を失いかけた僕の背中を、森が後ろから支えてくれたようである。ひざから力が抜けて崩れてしまうところを、そこでかろうじて押し止めることができた。

「何を驚いているんだ」

 森の声は、現実的で迷いがなかった。

 女は困ったような顔をしている。しかも、その表情が奇妙に歪んでいた。

 口紅が異様にはみ出しているのだ。口が裂けていたわけではない。

「ごめんなさい。脅かすつもりはなかったのよ」

 女はおろおろしながら言った。その声と顔は、中学の頃知っていた忌野優子に間違いない。

「お前、なんでこいつをこんな所に呼び出したんだ」

 森が声を荒げて詰問した。優玲子は泣きそうになった。

「――好きだったから……中学のときから……」

「それになんだ、その口紅は?」

「初めて口紅をつけたからきっと変になったのよ。こんなにびっくりさせるとは思わなかったわ」

 森はため息をついた。

「お前……」

 それだけ言って後は、独り言のように呟いた。

「まあ、噂は噂に過ぎなかったということだろうな。ちゃんとここに本人がいるんだから」

「何を疑っているの」

 もちろん、彼女のことを幽霊だ、と疑っていたのである。しかし、そんな馬鹿げたことを、今となって本人の前で口に出せるはずはない。

「別になんでもないよ。どうやら、俺はお邪魔のようだから帰るよ」

 僕は森を振り返った。森はにこにこ笑って僕の肩をどんと突き押した。

「あああ、お安くないなー。まあ、仲良くやりなよ」

 森は半分あきれたような口調でそう言いながら、あっという間に後ろ姿になった。


 真夜中のデートというのも変なものである。

 しかも、唐突すぎる。

 森は早々と気を利かして帰ってしまった。だが、友人に悪いことをした、という気持は後回しだ。今は、目の前の彼女のことしか頭になかった。

 もちろん、女の子から告白を受けるなんて始めてのこと。舞い上がった僕には、すでに薄暗い道も、無気味な木々の影もロマンチックな演出に思えていた。人の心とは不思議なものだ。いつの間にか二人は、さらにひと気のない方へ、暗い方へと向かっている。

「いつまでもこうして歩いていたいわ」

「君がそう思うなら、僕はかまわないさ」

 実をいうと、この変な口紅さえなければ、優子の顔は美人の分類に入るだろう。いつも俯いている自信のない暗い表情が、彼女の評価を必要以上に低くしているだけなのである。

「それにしても、君のあの口紅には驚いたよ」

 お互いに話題を探すのに苦労している。それが、初デートの難しさでもあるのだろう。結局、どうでもいいようなことしか尋ねられない。

 優子は、はにかみながら答えた。

「ごめんね、せっかくの日だからと思って、お化粧をしてみたんだけど。どうしても自分の顔が鏡に映らなくって……」


 やっぱ、お前、幽霊かよ!


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