ハーフの女
夕食を早めに済ませて、空港行きのバスに乗ると、街はすでにネオンが灯る時間になっていた。これから飛行機に乗って十時間の夜間飛行の後、私は異国の朝を迎えることになる。
バイパスの高架橋に入っていく前に、バスは最後の停留所に止まった。数人の乗客が乗り込んできたが、何気なく目をやると外国人も混ざっている。少しずつインターナショナルな気分になってくる。
「この席空いていますか?」
と、しっとり落ち着いた女性の声が耳元に聞こえた。
はっと見ると、驚くほど若く美しい横顔が笑っている。横からほのかに漂う甘い香に、思わず「どうぞ」という返事を飲み込んでしまった。
私は慌てて窓際に詰めた。
品のいいベージュのスーツがその女性の清楚な美しさをさらに際立たせているようである。横目で女性を盗み見しながら、年がらもなく頬が火照ってくるような気がした。
するとその時、彼女にしゃべりかけた男性がいる。外人客だった。
立ったまま背もたれを片手で掴んで、席についた彼女に訳のわからない言葉を機関銃のように投げつけた。だが、驚いたことに、彼女は同じような言葉で事もなげにその外人に応じている。やり取りがしばらく続いた後、外人は手を振って場所を離れ、数歩先の席に座った。
私はため息をついた。私のように無理やり身に付けた英語とはぜんぜん違う。ネイティブかと思うほど、流暢ですばらしい語学力だった。
「フランスの方のようでしたわ。帰国されるそうです」
と、女性がにこやかにこちらを見た。いつの間にか目を剥いて見ていた私の顔が、よほど人懐こく思えたのかもしれない。
「そ、そうですか、フランス語がすごくうまいですね。日本人とは思えないほどです」
「私は見たとおりのハーフですのよ。父はフランス人でした」
どうも不思議である。どんな見方をすれば、彼女をハーフだと判断できるのだろう。誰が見ても古風な日本美女にしか見えない。
「失礼ですがどちらへ」
次の言葉をためらっていると、彼女が尋ねてきた。
「アメリカです、ビジネスで……しかし、なかなか英語が巧くならなくて。出張のたびに胃の痛むような思いです」
彼女は笑って、さらにいろいろな話題を振ってくる。なんとも気さくだった。私は、問われるままに会話を続けた。
彼女の方は、どうやら父親の母国、フランスへ向かうところらしい。長い滞在になると言う。
「おしゃべりな女と思っていらっしゃるでしょうね」
と、いたずらっぽい目で彼女は言った。
「これから何年も日本を離れますから、日本語のしゃべり納めだと思うと、とにかくお話がしたくなってしまって……」
「その気持ち分かります」
と、私は応じた。
それから短い時間だったが、バスが空港に到着するまで、美女を横にして楽しい会話のひと時が続いた。私も彼女もしゃべり続けた。これで日本語としばらくお別れだと思うと、やはり名残惜しい気持ちでいっぱいになった。
「それでは、失礼します」
「お気をつけて」
挨拶を交わして先に席を立った女性の後姿に、私ははっと驚いた。
その後姿が空港の雑踏の中に溶け込むまで、凝然と佇んだままいつまでも彼女を目で追いかけている。長い髪が真ん中から、黒髪と金髪に分かれているのを見て、私は今さらながら彼女の横顔とばかり話をしていたのを思い浮かべていた。
ハーフだと言っていたが、世界にはこんな混血もいるのか。
時折、彼女が異国人の顔になるのが遠目にちらりと見えて、私は思わず小さな唸り声を上げた。
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