子供の遊び
夕暮れ時だった。
訪問販売のセールスーマンがひとり、大都会の真ん中にぽつんと置いてある小さな遊園地を通りがかった。
今日も一日、何件の家を訪ね、何人から冷たい断りの言葉を投げつけられたことだろう。それらの積み重ねは、まるで自尊心を切り売りしているようにも思える。
「この仕事も潮時かな」
思わず、そんな言葉が口をついて出てきた。こんな実りのない仕事は、もううんざりだと思った。
遊園地で遊ぶ子供たちの無邪気な声が快い。疲れ切ったこころをやさしく癒してくれるようだ。
セールスマンは、もうずっと大昔に忘れたままになっている何事かを、ふと思い出したような気がして、いつの間にかその声に近づいていった。
しかし、そこで子供たちがしていたのは、普通の遊びではなかった。彼らは、思い思いに地団太を踏んでいたのである。もちろん、それには目的があった。
その足元には、一条の蟻の行進が続いていた。
蟻たちのその整然と組織だった行進を、子供たちは歓声を上げながら踏み潰していたのだ。
セールスマンの気持ちはさらに暗く沈んだ。子供とはかくも残酷な生き物である。
だが、思い起こしてみよう。少年時代、彼も故郷の森や河原で、虫を追いかけ、かえるやフナを捕まえて遊んでいたではないか。それらの自然のおもちゃは、彼ら子供によっていつも無残に殺されていたはずである。
この残虐ではあるが、どこまでも無邪気な行為を経験することで、子供たちは少しずつ成長していくのだ。もちろん、そのつど子供たちを嗜め、正しい方向へ引っ張って行ってやるのは大人の責任である。
「おい、おい、君たち」
セールスマンは、子供たちの群れに声をかけた。
「何をしているんだい?」
最初、彼らは作業に熱中するあまり、一言も言葉を返そうとしなかった。しかしさらに声をかけると、そのうちのひとりがやっと返事をした。利発そうな顔をした男の子だった。
「蟻をつぶしているんだよ」
「ふうん」
再度目を落として、小さな虫を踏みにじろうとする子供の頭の上から、セールスーマンはおだやかにしゃべりかけた。
「でもね、虫だって命があるんだよ」
「だって、この蟻、気持ち悪いよ」
「そうだ、気持ち悪いんだ」
ひょっとして、都会の子供たちは「蟻」という虫を見るのも珍しいのだろうか。こんな吹けば飛ぶような小さな生物すら、気持ち悪いとは……。
「この蟻が君たちに何か悪い事でもしたかい?」
「そりゃ、僕たちには何もしていないけど……。でも、なんか悪そうだよ」
「そうだ、とても悪そうだ」
子供たちが、みんな声をあげた。
「何をいっているんだ。蟻には蟻の生活がある。蟻も生きるために一生懸命に働いているんだぞ」
セールスマンは少しだけ大きな声を出した。子供たちの足の動きが止まり、顔が一斉にセールスーマンの方を向いた。
「みんな、もう帰りなさい。もう暗くなったし、そろそろ、お母さんのおいしい夕ご飯ができている頃だよ。テレビで漫画も始まる時間だろ」
「あ、そうだった」
一人がそう叫ぶと、一目散に走り出した。
「バイバイ」
セールスマンは、その小さな後ろ姿に手を振って声を投げかけた。
と、それを合図にしたように、子供たちがひとりずつ思い思いの方向に駆け出した。おしまいには競争するように遊園地を飛び出ていって、後には誰もいなくなった。
残された蟻の集団は、少しずつ隊形を整えて、元のように一列に戻ると、何事もなかったかのように行進を再開した。
「今日の遊びはもうおしまい。ははは」
蟻たちの行進を確認したセールスマンは、少しだけ良い事をしたような気持ちになり、それだけで心の中に積もった一日の疲れが取れたような思いがした。
蟻の行列が全部地面の中に吸い込まれて、しばらくするとその場所からフットボールのような丸い物体が飛び出した。それがそのまま夜空のかなたに消えていってしまったのを目撃した人は誰もいない。
潰された蟻のかけらはどこにでもいるただの蟻に過ぎなかったが、一つだけ奇妙な事があった。
それらは全部「ヘルメット」のようなものをかぶり、「銃」のようなものを肩にかけていたのである。だが、その奇妙な死体も時間とともに風に吹き飛ばされ跡形もなくなった。
子供の目線でしか見えないものだったのかもしれない。
あの蟻たちがどこから来て、いったいどのような作戦行動をとっていたのか、地球上の全人類が思い知らされることになるのは、それからわずか数時間後のことであった。
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