エイリアン・アブダクション
目がさめると、満天の星空である。それ以外には何も見えない。
よほど強い薬品を嗅がされたのだろう、権田原泰三の頭はまだくらくらしていた。仰向けに転がっているのだが、両手両足を強く縛られて自由が利かない。背中の固さから察して、コンクリートの上にいるようだ。そこは、都内でも一番高いビルの屋上かもしれなかった。
それにしても、これほど美しい夜空を見上げるのは何年ぶりのことだろうか。
「宇宙は果てしないね」
権田原がその声に驚いて横を向くと、星明りの中、ひとりの男が膝を抱えるようにして座っている。
「お、お前は誰だ?」
権田原は思わず大声を上げた。
彼を見下ろしている顔には、まったく表情がなかった。目や口の裂け目はあるが、たったそれだけのっぺらぼうである。もちろん、それが真っ白な仮面だと気づくのに長い時間はかからなかった。
「僕の顔を見たいかい? いっておくけど、君たちの使っている『顔』という概念では、とうてい理解できない形をしているはずだよ……どうしても見たい?」
などと、脅されると怖くて見る気もなくなる。
「別にどうしても、というわけじゃないが……。しかし、お前はなぜ私を拉致して、こんな場所に連れてきたんだ? これから私をどうするつもりだ」
「どうするかは君しだいさ」と、仮面の男は意味ありげに答えた。
「ところで君は、小学生のあるとき、空白の二時間を経験したことを覚えていないかい?」
逆に質問されても困る。
……が、権田原はすでに中年の峠に差し掛かった年齢だ。小学生のころの記憶などほとんど忘れてしまっていて、空白だらけだった。二時間どころの話ではない。
返答に困って黙っていると、男はさらにヘンなことをいう。
「君は、数千人の中からたったひとりだけ選ばれたアブダクティだった。君が小学生のころ経験したあの一瞬から、君の半生は僕たちの監視対象となっていたのだよ」
「何だって……? お前のいっていることはさっぱりわからない」
「エイリアン・アブダクション、とこの星の物知りたちは呼んでいる。異星人に招待された人々のことだ」
「私がそのアブラカタブラだと……」
「アブダクションだ!」男はため息をついた。
「君には、自らが選ばれた者であるという自覚が必要だな。なにしろ、この地球の運命を、君一人で左右する立場にあるのだから……」
「てことは、お前、宇宙人か!」
なにをいまさら、とでもいいたげに男はこくりと頷いた。権田原の当惑を意にも介さず、男は宇宙を指差した。
「見たまえ、あれがエム28星雲だ。あの下の暗闇に目を凝らしてごらん」
と、その暗黒の向こうにかすかな光が浮かんだかと思うと、それがだんだん大きくなっていく。光は明らかにこっちへ近づいてきているのだ。それが数個に分裂して、さらに外形が確認できるようになると、権田原は自分の目を疑って唸り声を上げた。
UFOだ。円盤型をしている。
「信じてもらえたかな?」
UFOは大型バスぐらいの大きさになって夜空に群れをなして停止した。十数機はいる。
「なんてことだ。こりゃ大変だ」
「ははは、まあ、落ち着きたまえ。もっと面白いものを見せてあげる。いいかい、宇宙には君たちがとうてい想像もできない力が存在しているってこと。今度はあの星を見てごらん」
男は、南の空にひときわ輝くひとつの星を示した。両手でオーラでも送るように空間を揉んだ。すると、その星がふっと目の前から消えたのである。照明のひとつでも消すほどのあっけなさだった。
「どうだい。星の消滅など、僕たちの科学力を持ってすれば、こんなに簡単なものなんだよ」
星を消してしまったのか!
「でも……」
と、権田原の心の中に疑問が浮かんだ。
「星からの光は何千光年、何万光年もかけて、この地球に到着しているはず。一瞬のうちに消えるなんてことは考えられない」
すると、男は照れ隠しのような仕草で頭を掻いた。
「空間や時間を超越しているのが僕たちの科学だ。だから、地球人には理解できないのさ」
権田原はただ呆然とするだけだった。彼らの科学力の凄さを、今まさに自らの両目で目撃してしまったのだから。
「君たち宇宙人はいったい何をしに地球にやってきたんだ?」
そう尋ねるのがやっとだった。
「地球人と友達になるために……」
と、答えながら、男の声はやけに重々しかった。
「しかし、君たちを全面的に信用することはできない。なぜなら、地球人はお金で簡単に心変わりするからだ。お互い同士を裏切り、殺し合いまでしようとする。僕たち宇宙人にはお金という概念はない。持てる者が持てない者に分け与える、それが僕たちの社会では常に自然の摂理なんだよ」
「私たちだってそれが理想だ」
「だが、今だに貨幣経済などという野蛮な法則で社会を動かしているじゃないか。その点で、人類は宇宙的常識からするとまったくの異端だ。心を打ち解けにくいし、友好を深めるのはとても危険だ」
「危険とは?」
権田原にはいやな予感がある。
「危険……つまり、この先、どこまでも地球人が、宇宙の異端であり続けるのなら、君たちの破壊もありうる、ということだよ」
「破壊って、あの星のように?」
「あの星のように……」
男は表情も変えないでいってのけた(もっとも、もともと表情のない白仮面の顔なのだが)。
しかし、大変なことになった。
「そ、そんな。本気でいっているのか」
「本気だよ。君はモニターだ。すでに君の持っている思想や志向こそが、地球人を代表する典型だとみなされている。君の存在が地球の未来を左右するというのはそういう意味なんだよ」
「バカな、私はただの拝金主義者ではないぞ!」
権田原は慌てて叫んだ。「お金が人類にとっての最高の価値観であるはずはない。たとえば……そうだ、人間愛こそ大切だ。それこそが私にとって一番大事なもの。それが私たち人間の持つの共通の価値観だ」
「地球人は、見かけよりももっと高尚な人種だといいたいんだね」
「その通り。愛こそすべて」
「では、君は自分の財産になんの執着もないといいきれるのかい? 君の邸宅にある地下金庫に、後生大事に貯えているのはなんだ」
「あんなものは、ただの道楽に過ぎない。いつだって手放せるし、未練もない」
「ははは、では、金庫のダイヤル番号を平気でいいふらすことだってできるかい?」
「当然だ。私にとってお金など、二の次、三の次の問題だ。人類はもっと崇高な理想のために存在している。君たち宇宙人に対しても、なんら恥じるところなどないぞ」
権田原は、泰然としていい放った。
このとき、権田原の心の中には、人類の未来を自分が守りぬくのだという大いなる使命感が湧いていた。今まで忘れていた正義の心が、彼を強く突き動かしていたのである。
翌日、行方不明になっていた金融会社社長、権田原泰三は、身体中をロープでぐるぐる巻きにされたみじめな姿で発見された。その足元には、「怪盗白面相参上」という紙が一枚残されていた。
そのとき、権田原が半生をかけて人を騙し、裏切り続けて溜め込んだ財産は、すでに自宅地下の大金庫から略奪され尽くしていたという。
彼が発見された場所は、児童科学館のプラネタリウムの中であった。
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