命のともし火
吹雪は数日に渡っている。
山小屋に閉じ込められた登山隊は、すでに食料がつき、暖房もわずかになっていた。
「もはや誰一人、生きて明日の朝を迎える事はできないだろう。ここにビデオカメラがある。残された時間で、みんなそれぞれの家族にメッセージを残すことにしようじゃないか」
隊長が提案した。
「遺言ですね」
「そういうことだ」
男たちはこわばった顔で頷いた。
順番にカメラが回され、ひとりずつメッセージを記録していく。ところがひとりの青年にカメラが渡されたとき、突然レンズが彼の掌でふさがれた。
「僕は結構です」
「最後のお別れなんだよ」
隊長が穏やかに言葉をかけた。が、青年はため息をつきながら、
「実は僕がこの登山に参加したのは、途中で皆さんと別れて自殺することが目的でした。あなたたちと違って、僕の人生は生まれたときから何も良いことがなかった。信頼した人には必ず裏切られるし、試験と名の付くものはことごとく落ちる。会社に就職すればその会社はすぐ潰れ、やっと手にした小金はすぐに落としてなくしてしまう。そのうえ、おみくじを引けば必ず凶が出、賭け事をしても勝った経験が一度もないというありさま」
「不幸な人生だったんだね」
それを聞いた男たちは心から同情した。隊長はさらに尋ねた。
「しかし、ここで悔いを残してはいけない。最後にメッセージを贈る家族はいないのかね」
「いません」
「愛する人は」
「それもいません、僕はどこまでも天涯孤独な男です」
「友達もいないのか」
「どうしてもとおっしゃるのなら、何人か……」
「それで構わないよ、君が生きた証だ」
「それでは、失礼して……となりの部屋の京子ちゃん、いつも夕食を作ってくれてありがとう」
「なんだ、ちゃんと女友達がいるじゃないか。それとも恋人かい?」
「別に愛しているわけじゃありません。そのくらいでいいなら、経済学部の尚子ちゃん、いつもノートを写させてくれてありがとう。スナック逢引の里見さん、いつもデュエットしてくれてありがとう。八百屋の明美ちゃん、いつもソーセージおまけしてくれてありがとう」
「なんだ、なんだ、けっこうもててるじゃないか、君は」
瀕死の男たちの緊張した顔が少し和んだ。誰かが笑いながら口を挟むと、また誰かが明るい声で突っ込みを入れた。
「まあまあ、別に全部と付き合ってたというわけじゃないんだから」
すると青年はこともなげに言い放った。
「ええ、ぜんぜん深い関係じゃありません。彼女たちとは、ただの肉体関係にすぎません」
男たちの間にざわめきが起こり、あきらかに嫌な空気が流れた。青年はそのことにまったく気づいていない。
「もうちょっといいですか?」
「……そ、そりゃあ君が最後だからテープを使い切っても構わんが……」
隊長の返事は、うんざりとした口調に変わっていた。
「では、喫茶やすらぎのレイちゃん、いつもコーヒーおごってくれてありがとう。近所のコンビニのしおりくん、いつも避妊具わけてくれてありがとう。ラブホテルの管理人昌子さん、いつも部屋をただで使わせてくれてありがとう。ソープランドの……」
「おいおい、まだ続くのか……」
青年のメッセージはさらに続き、それを聞く男たちの顔は、暗く深く沈んでいった。
「君はやっぱり死んだほうがいいかもね」
誰かがぼそりとそう言った。
こうして、雪山の登山隊は驚異的な生命力で、救出までの三日間を生き抜き、ひとりを除いて全員が無事救助された。
後に彼らのひとりが報道のインタビューにこう答えている。
「俺たちには、まだまだやり残したことがあるんだ。こんなことぐらいで死んでたまるかー!」
男たちにとって、その希望が一抹の命のともし灯となったようである。
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