毒薬
あるホテルの一室に、男と女がテーブルを挟んで座っていた。
テーブルの上には、二つのコップと、栓を抜いたビール瓶が一本。コップは、どちらにも口がつけられている。
二人の関係は、一見恋人同士のようだ。しかし、その甘い雰囲気は、一瞬にして変化した。突如女が拳銃を取り出し、男の額に突きつけたのである。
「その袖口に隠したものを出してちょうだい」
男は、眉をしかめてその通りにした。小さな紙に包まれた薬だった。
「どうやら、私があなたに近づいた理由がばれてしまったようね。隙を見て私のコップにその毒薬を混ぜ、飲ませるつもりだったんでしょ」
「君が組織のエージェントだとわかったのは、つい最近の事だよ。もちろん、このまま僕を見逃してくれたら君を殺すつもりはない」
「状況が良く飲み込めていないようね。あなたは組織の裏切り者。私の使命は、あなたを抹殺する事なのよ」
女がトリガーに添えた指先を少し動かすだけで、男の命はあっけなく消えてしまう。男はまさに絶体絶命の窮地にいた。
女は銃を構えたまま、別の手で男の薬を取り上げ、それを目の前にあるコップに落とした。飲みかけのビールの中で、薬が泡になって溶けた。
「飲みなさい。頭を粉々にされて、化け物のように醜く死んでいくよりも、そっちのほうがずっといいんじゃないかしら」
「君がそれを望むなら……」
「私はどちらでもいいわ。あなたが選ぶ問題よ」
「もう僕を愛していないのか」
「あなたはただのターゲットよ」
「……そうか」
男はため息をつくと、薬の入ったコップを手に取り一気に飲み干した。
「さようなら」
「ああ、さようなら」
女はゆっくりと拳銃をハンドバックに収めた。
が、立ち去ろうとした女の足が突然もつれた。そのまま無様にテーブルの足元に仰向けになって倒れた。
「ま、まさか、いつ毒を……」
女は、うめき声をあげながら多量の血を吐いた。男の顔が寂しく歪んだ。
「君が見逃してくれればこんな事にはならなかった」
「毒を入れる隙はなかったはずだわ。もし、あのビールに毒を混ぜていたのだとしたら、あなたも飲んでいるはず……あなたひとりだけが助かるはずはないわ……」
男は立ち上がり、断末魔の女に背をむけた。
「そうだ、すでに君と同じ毒を僕も飲んでいた。だが、解毒剤を飲んだのは僕だけだ。さっき、君が拳銃で脅して飲ませてくれた薬がそれだよ。……ありがとう、というべきかな……」
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