21.屋敷編[十]
――某所。
「少し話は変わるけれど」
滞りなく話を続けていた楠葉さんだったが、ここでふと視線を上げた。視線の先には和さんの顔がある。
「なんだ」
「あなたがこの屋敷に来てから、今日で何日経つと思う?」
少し、どころか、今までの話とはなんの関係もない質問だった。何か言ってやろうかと口を開いて――やめた。どうせ彼女のペースを崩すことはできないだろうし、この場面において崩すことに意味があるとも思えなかった。
和さんも考える素振りを見せた後、すぐに楠葉さんの問いかけに答えた。
「十日だと俺は思ってるが。違うのか」
「ここに滞在してる間、妙に頭がぼんやりしてることはなかったかしら?」
その言葉にはっとして、和さんの横顔を見つめた。和さんもこちらを見てきた。
本当になぜ、今、それを聞くのかわからない。
彼女の言う通り、昨日はずっと脳みそに膜が張っているような状態だった。殴られたことによる痛みの方が勝っているとはいえ。その症状自体は、寝不足の今日よりもひどかった。
和さんが、視線を楠葉さんへ戻す。
「ああ、あんたの言う通りだ。少なくとも俺は、昨日までずっとそんな感じだった」
「二人には適量以上の睡眠薬を飲んで貰ってるもの」
あまりにもなんてことのないように言うものだから、うっかり聞き流しそうになった。
「簡単なことよ。あゆむちゃんには、気を失った後で、水に溶かしたものを流し込んだ。死なない程度に殴っただけじゃ、いつ目を覚まされるかわからないからね。日根野さんには、さらに食事にも混ぜたわ。知らないみたいだから教えてあげるけど、昼間に眠りこけてることも多かったのよ。実際にあなたがここで過ごしたのは、二十日近い期間ね」
「やっぱり、変なものを入れてやがったのか……。この屋敷から出る手段を見られないように、か。刑事として外で活動する為に」
「本当に察しがいいのね」
楠葉さんが心から感心した声を上げる。
ということは、ここから出る手段はある、ということか……。スカートのポケットの中身に、意識をやる。だが彼女の話はまだ終わっていない。今はまだ、動く時じゃない。堪えろ。
「そう。あなたの言う通り、わたしはあなたをここに閉じ込めた後も、刑事の仕事は続けていた。あゆむちゃんに接触する為にね」
「ということは、和さんを閉じ込めたのは、あなたが大和さんを……殺した直後か、それ以前ってことですか。あたしたちが実際に手を組んだ期間は、二週間程度だったんだから」
「その通りよ。日根野さん、じゃややこしいわね。大和さんを殺したのは、和さんを閉じ込める直前」
よくも、ぬけぬけと。
彼女の口からはっきり言われたことで、ずっと抑えている怒りが勢いを増した。ポケットに手を差し入れそうになる衝動を必死で抑え込む。
「……わかりました、話を続けて下さい。さくらちゃんに教えられた通り、あなたは大和さんを狙った。思い通りに事が運んで、さぞ気分がよかったでしょうね。それから?」
「思い通りになんて進まなかったわよ」
不機嫌そうな様子を見せた彼女に、そこで和さんが声をかけた。
「俺の存在か?」
恐らく、大和さんのマンションに楠葉さんがやってきた時のことを言っているのだろう。しかし楠葉さんは首を縦には振らなかった。
「それもあるわ。でも、それだけじゃないの。あなた以外に思わぬ邪魔が入ったのよ。佐倉さんというね」
さくらちゃんが、楠葉さんの邪魔をした? ということは。
「まさか、彼が行方不明になってるのも」
あたしの問いかけに彼女は、今度は首を縦に振っている。
「……殺したの?」
思わず低い声が出た。
首はまた、縦に振られた。――なんて、ことを。
「本当に優し過ぎる男。わたしに売ったのが同僚だったこともあって、良心の呵責に耐えられなくなったのかしら。彼は大和さんに、身の危険が迫ってることを……わたしの存在を、伝えようとしてたみたい。佐倉さんの部屋から見付かったメモのことは覚えてるかしら? あれも大和さんに危険を知らせる為のものだったようね。アプローチの仕方が下手だったせいで、大和さんからは警戒されてたみたいだけど」
「二人がキャメリンに行ったそもそもの理由は、楠葉さんのことだったって訳ですか」
「そうみたいね。もっとも、わたしがそれを見逃す筈もなく」
楠葉さんは目を伏せたかと思うと、次には虚空を見つめていた。光の宿らない目で。
「わたしは、大和さん以外にも、人を殺さざるを得なくなってしまった」
そして中断していた話を、再開させた。
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