20.真相編[一]

 ――二〇一九年、某月某日。夜。楠葉絢子。

 その日わたしは、つば付きのニット帽を目深に被って、通りがかった佐倉さんの前に立ち塞がった。場所は子供用の公園の入り口付近だった。逃げ場をわたしの都合のいい方向へ誘導できるように、あえてこの場を狙った。

 相手は当然、訳がわからなそうにわたしから距離を取ろうとした。その横っ面を警棒で殴り付けてやる。警棒の先に確かな手応え。

 踵を返す隙を与えないようにもう一度振りかぶると、狙い通り、彼は公園の中へ逃げ込んでくれた。明るい時間ならいざ知らず、今は人気の全く感じられない方向へ。

 彼は簡単に追い詰められた。昼間なら、子供たちがこぞって頂上を目指しているだろう遊具を背に、懇願するような目をわたしに向けている。

「一体、なんなんですか。僕になんの恨みがあって、こんなことを……。それとも、お金ですか?」

「お金はいらない。それと残念だけど、恨みがあるのはあなたじゃないの。あなたの大切な人の為に、あなたには死んで貰う」

 そう教えてやると、佐倉さんは本気で誰のことかわかっていない様子を見せた。わたしはこの時点で、おかしいと思い始めていた。大切と言われて、すぐに思い当たるほどの相手がいないということか。では、走り歩の存在は?

「あなた、付き合ってる相手がいるでしょう」

「いない! 学生時代は彼女もいたけど、とっくに別れてます。人違いをしてるんじゃ……」

 人違いというと語弊があるが、結果としては、佐倉さんの言う通りだった。わたしは、近所の評判からすっかり、走り歩の恋人が佐倉さんであると勘違いをしていた。

 迷いを見せたわたしに、佐倉さんは畳みかけてきた。

「今日のことは、誰にも言わないから。だからお願いします、見逃して下さい」

「……そんなことができると思ってるの? わたしは、走り歩にとって大切な人を見付けないといけないのに」

 不思議がる佐倉さんの反応に、喋り過ぎた、と思った。

「もしかして、君が恨んでる相手って」

「これから消える人間には、知る必要のないことよ」

 これ以上のお喋りに費やしている時間は、もうない。

「あゆむちゃんを恨んでるんですよね。あの子に、僕以上に親しい人が出来たら教えます。だから、どうか――!」

 警棒を振り下ろす直前に、そんな言葉が聞こえた。

 彼の命乞いの内容は、幼馴染である筈の女の子を、わたしに売るというものだった。

「その言葉は、どうやって信じればいいの?」

 ここで予定通りに佐倉さんを殺せば、彼を襲ったのがわたしであることを知る者はいなくなる。でも、走り歩に大したダメージを与えられないやり方で、ここに死体を転がしておくのは得策じゃない。この一帯に警察の捜査が入れば、走り歩について調べるのは不可能に近くなる。それこそ彼女にとって本当に大切な人を探せなくなってしまう。そうなるよりは……。

 公園の隅から射す心許ない街灯の下で、佐倉さんの喉仏の影が、大きく上下した。

「君のことは……これ以上は聞きません。君がこの後、どっちの方向へ行くのかも見ません、後ろを向いてます」

「走り歩の大事な人に関する情報は、どうやって寄越してくれるの?」

「……毎月、月末の朝に、駅前のバーガーショップの包みをここのゴミ箱に捨てます。情報を掴んだら相手の名前を書いて、掴んでなかったら何も書かずに。っていうのは、どうです?」

「最後の質問。あなたが走り歩にとって特別な存在じゃないと言い切れる?」

「僕はあの子を友達以外のなんとも思ってないし、あの子が僕に気のある素振りを見せたこともない。本当です!」

「一つ、警告しておくわ。わたしはあなたの住んでいる場所を知ってる。もし裏切るなら……死なば諸共よ」

 暗闇に慣れた目に、佐倉さんの血の付いた頬から汗が伝い落ちるのが見えた。わたしも汗をかいていた。お互い、こんな状況において緊張しないでいられる筈がなかった。

 わたしは彼がちゃんと後ろを向いていることを確認しながら、少しずつ公園を後にした。彼を信じた訳ではないが――信じなければ、待っているのは目的の失敗だと思った。

 それから月末までは気が気じゃなかった。ある日いきなり同僚に肩を叩かれるのではと怯えながら職務に従事していた。

 個人的な捜査は休止している。下手に動けば自分の首を絞めかねないと思った。今は待つ時だと、自分に言い聞かせた。

 怖くて堪らない日々を過ごす内に、やがて月末を迎えた。

 出勤日だったので、少し早めに家を出て、車を駅前に停めてから、あの公園へ行った。「燃えるゴミ」のプレートが貼られたゴミ箱を覗き込むと、チーズバーガーの包装紙が捨てられていた。小さな動作で誰も見ていないことを確認する。素早く包みをバッグに押し込んだ。

 車に戻ってから開いてみると、「すみません。約束は守ります」と薄い字で書かれていた。

 肺の底から息を吐き出して、シートに背中を埋めた。

 それから、「日根野大和」の文字が書かれるまで、時間はかからなかった。わたしが佐倉さんを襲った日から、三月目の末日だった。

 すぐに日根野大和について調べた。佐倉さんの勤め先の同僚であることがわかった。

 佐倉さんが自らお膳立てを揃えたのだろうか。結果からいえばそれは誤りで、二人が親しい間柄になったのは全くの偶然だった訳だが、出会いのきっかけなどわたしにとってはどうでもいいことだ。大事なのは、走り歩の大切な人が、この日根野という人物であるということ。

 この日から、ずっと休止していた個人的な捜査を再開した。

 日根野について調べ上げる。それが目下の目的となった。

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