14.外の世界編[六]
――三月某日。午後七時を少し回った頃。
一週間以内には連絡する、と楠葉さんに言われてから、今日でもう七日目になる。しかし向こうからのアクションは、未だ何もなかった。
テレビをつけると、ニュースではS県の警察官が何者かに殺されたという報道がされていた。北澤明宏、五十六歳。犯人の手がかりは捜索中であることも報じられている。
癒着の件は当然のように伏せられている。もっともそれに関しては、楠葉さんの口振りから察するに噂レベルで、物的証拠はなかったみたいだけれど。
駅前でのインタビューでは、首から上が映らないように撮影された男性が「最近この辺りも物騒ですね」と不安そうに答えていた。
今頃、自分たちの仲間の一人を殺された警察は、楠葉さんも含め、威信をかけた捜査に躍起になっているのかもしれない。
そうなると、今日中に彼女からの連絡が来ることへの希望は持てないだろう。
私は早めのお風呂に入った後、待つことを諦めて、自室のノートパソコンを立ち上げた。何もしない時間を過ごすのは、もう耐えられそうになかった。
検索バーに「K市 マンション 殺人」と入力して、エンターキーを押す。検索結果一覧には、ニュースサイトやまとめブログなどのページが並んだ。
その中には、S県に関するニュースだけを掲載したページも引っかかっていた。リンクをクリックする。
『またK市? 刑事殺害事件』
『T市でシカ騒ぎ。捕り物劇に一時混乱』
『飲食店でトラブル相次ぐ。繁華街に潜む闇』
『怨恨か? K市内マンションで殺人』
上から順に、こんな感じだった。四つ目の記事はすでに見ている。気になるのは一番上と――
「飲食店でトラブル……」
最近はキャメリンに行ったり、みかじめがどうのこうのというような話題を耳にしていたせいか、このトピックがやけに気になった。
どうでもいいことに時間を割くのははばかられるけれど、どうせじっとしていたって犯人捜しが捗る訳でもないのだ。それなら、少しでもS県に関わる情報を知っておいても損はないだろう。
記事のさわりに目を通してみると、思いの外、興味を惹かれた。
『暴対法が施行されて久しいが、飲食店等から金銭を要求する、所謂みかじめ料の取り立てが未だ跡を絶たない。支払いに応じない店舗に対して言いがかりを付けたり店内で騒ぐなどの嫌がらせを行うケースもあり、当然、これらは違法行為であるから、警察に通報すれば解決の糸口を掴めるだろう。しかしながらS県内で同様の手口によるトラブルが散見されており、経営者からは不安の声も上がっている』
取り立てといえば、キャメリンのママは北澤さんからの口止め料を突き返すつもりでいたみたいだけれど、上手くいったのだろうか。まあ、上手くいっていなかったとしても相手が死んでしまっているのでは、あまり関係はないのかもしれないけれど。
……本当にそうだろうか?
北澤さんは、表沙汰になっていないだけで、癒着問題を起こしていた。北澤さんの口利きで、その、会の人たちがママに嫌がらせをしていたり、なんてことはないだろうか。
少しだけママの身を案じる気持ちが芽生えた。それと同時に、もしそうなればママは北澤さんを恨むのではないか――という疑問も。
気付けば、スマートフォンを手に取っていた。私に思い至れることを楠葉さんが考えていないとは思えないけれど……。
しかし案の定、楠葉さんが電話に出ることはなかった。
溜め息を一つ吐いて、立ち上がる。
今の私にはわからないことばかりだ。
北澤さん殺しの犯人が見付かったところで、私の捜査は進展するのだろうか? さくらちゃんも相変わらず行方不明のままだし、一体どうなっているのか。
不安と不満ばかりが胸に募っていく。せめて彼のスマホの中身だけでも知ることができれば、彼と面識のあった私になら、何かわかるかもしれないというのに。
だめだ、落ち着かなければ。
考えの煮詰まった私は、気分転換に外に出ることにした。夜風にでも当たらないと熱が出そうだった。
リビングまで下りて、鞄を掴み上げる。暗くなった外は、昼間の陽気が嘘のようにひんやりとしていた。
近所の自販機へと足を向ける。
大きな蛾が、自販機にまとわり付くようにして飛んでいた。千円札でジュースを買ったところ、大きな小銭がなかったのか、機体から吐き出されたお釣りは五十円玉ばかりだった。財布がずっしりと重くなる。
どうしようもなく遣る瀬無い気持ちが込み上げてきて、ものすごく大きな溜め息がこぼれた。
帰り道。鞄の中の携帯電話が振動しているのに気付いた。慌てて取り出すと、画面には楠葉さんの名前が。
「もしもし!」
思った以上に大きな声が出て、肩をすくめる。待ちに待った連絡に気分の高揚を抑え切れなかった。
『あゆむちゃん? さっき連絡をくれてたみたいだけど……今、大丈夫?』
楠葉さんは、いつもと変わらない冷静な声を電話の向こうから送ってきた。彼女のことを何も知らない人が聞いたら、冷たい印象を受けるかもしれない声。でも今の私にとって、誰よりも安らぎを覚えて何よりも優しさを感じられる音が、彼女の声だった。
「はい、大丈夫です」
『あゆむちゃん、もしかして今、外にいる?』
本題を切り出す前にそう尋ねられて、どきっとしてしまう。まさか楠葉さん、どこかから私を見ているとか? 思わず辺りを見回す。しかしすぐに、そういうことではないと思い至った。
「あ、ああ。そういえば、ちょっと風が出てますね。はい、飲み物でも買おうかと思って。家のすぐ側ですけど」
送話口に手を添えた。もう少し風が当たらないようにと体の向きも変えると、すぐ脇のガードレール下を流れる用水路がよく見えた。
『実は、私からも連絡しようと思ってたところなのよ。今から会うことってできないかしら?』
「それは、願ってもないことですけど。楠葉さんこそ、大丈夫なんですか?」
『正直に言って、かなり慌ただしいわね。でも、今の時間なら三、四十分は大丈夫だと思うから。それに約束してた期日のぎりぎりになっちゃって、私も早く報告がしたいの』
約束。そう言ってくれる彼女に感動を覚えてしまう。大丈夫だと言ってくれてはいるけれど、実際はかなり厳しい状況にある筈だ。それなのに私を優先してくれるなんて。
「本当にありがとうございます」
『いいのよ、そんなの。それにこれは私自身の為でもあるんだから。それで、悪いんだけど一駅だけこっちに向かってきてくれない? 今はその方が拾いやすいの』
私の使う駅から警察署の最寄り駅までは三駅離れている。いつもはパンドラに行く為にそこまで乗っているというのに。
「いつもより近いぐらいじゃないですか。全然、大丈夫です、っていうか、むしろありがたいです」
『パンドラはもう閉まってる時間だろうしね』
「ああ、そういうことですか」
それでわざわざ、彼女からすれば普段より遠い場所を指定してきたのか。
私は、「私からの用件もその時でいいですよね」と確認を取ってから電話を切った。切る直前に、着いたら連絡を入れるように言われた。
今度は駅に向かって歩き出す。お母さんたちには飲み物を買いに行くとしか言っていないけれど、きっと何時間もかかる訳じゃない。出てくる時に鞄を持ってきていてよかった。
電車を降りて楠葉さんに着信を入れると、ロータリーに停められていた一台がパッシングをした。最初は暗くてわからなかったけれど、よく見ればマーチだった。電話を切って、マーチへと駆け寄る。
楠葉さんの車で間違いないことを確認してから、いつものように助手席に乗り込んだ。こんな時だというのに、彼女の化粧は今日もばっちり決まっていた。
「ここじゃなんだから、停めやすい場所に移動するわね」
そして車は、私がシートベルトを締めるより早く発進した。
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