13.屋敷編[五]

 ――某所。

 食事を終えてカズさんと別れてから、あたしはまず、あたしの部屋(便宜上、こう呼ぶ)に戻ってきていた。ここから順に部屋を調べてから、一階を調べようと考えている。

 カズさんの部屋は後回しにするつもりだ。別にカズさんが所有しているものじゃないとはいえ、彼に宛がわれている部屋を引っ掻き回すのは気が引けた。

 そうして順番に見て回って、一階のキッチンにまで手が及ぶ頃には、窓の外はすっかり暗くなっていた。起きてからずっと本調子じゃない頭でここまで作業を続けるのは、とても辛いものがあった。集中力なんてとっくに切れている。

 全ての箇所を調べた訳じゃないが、すでになんとなくわかってしまったことがある。

 カズさんの言う通り、この屋敷内には壁を壊せそうな物はない。それどころか、武器になる刃物の類なども、何一つないということ。キッチンには包丁すらなく、代わりに子供が使うような先の丸いハサミが置かれているだけで、工具なども、どこにもない。食器も、食器棚も、ガラス製品の使われていないものだし、ガラスを割って武器にするという手段も取れそうにない。

 なぜかあたしの部屋の隣のクローゼットに金庫があったが、流石に投げて使うには重過ぎる。せめて中に何か入っていないか見たかったけれど、四桁の暗証番号がわからず、開けることすら敵わなかった。

 あと見付けたものといえば、あたしの部屋のクローゼットにかけられた女物の上着やワンピース、同じくあたしの部屋のサイドボードの中の下着の山、洗面室の棚に置かれたタオル、あとはいくつかの部屋の書き物机の引き出しから、風景や物を写した写真が数枚出てきたぐらいだろうか。服やタオルは清潔に保たれていて、下着は新品に見えた。ここに長く留まることになった場合は使わざるを得ないだろうか。こんな得体の知れない場所にあるものを使うことには抵抗があるが……。

 この屋敷の中に、ろくな物は、何もない。

 しかし、ここまで徹底して武器を取らせまいとするのは、犯人またはその仲間が屋敷内にいることの裏付けにはならないだろうか。

 とにかく疲れた。少し休もうと作業の手を止めたところで、いつの間にか、ダイニングに家政婦が入ってきていることに気付いた。食事後に探索を始めてから、初めての遭遇だった。生気の感じられない表情で立つ、幽霊のようなその姿に、あたしは小さく悲鳴を上げてしまった。

「何! びっくりさせないでよ」

 非難の声が震える。家政婦は、「申し訳ございません……」と頭を下げた。あたしと彼女との距離は、三メートル弱。

「何をなさっているのですか……」

「……何も。あなたこそ、今までどこにいたの?」

「お二階で休んでおりました……」

 恐らくあたしが一階に下りた後で入れ違いになったのだろう。今、鉢合わせるまでも、鉢合わせていることに気付くまでも、まるで気配を感じられなかった。

 傷のある顔をこちらに近付けるような猫背の立ち姿。それ以上、何を言う訳でもなく、ただこちらを見ている。

「言いたいことがあるなら、言って」

 ずっと無言のまま見つめ合っているのは限界だった。つい喧嘩腰の物言いになるが、そのことを申し訳なくは思えなかった。

 家政婦は気を悪くした風でもなく、無表情のまま口を開いた。

「ご希望でしたら、お湯の準備をいたしますが……」

「お湯?」

 聞き返してから、ここではシャワーを浴びられることを、カズさんが口にしていたのを思い出した。あたしが最後に風呂に入ったのがいつかはわからないが、すぐに首を横に振っていた。

「お風呂のことなら、いらない」

 素っ気なく答える。別に体がべたべたしている訳でもないし、明日もここに留まっているようならその時に浴びればいいと考えた。

 それにわざわざ用意して貰う必要もない。こんなところの湯舟にゆっくり浸かる気なんてないし、シャワーだけで十分だ。

「かしこまりました……」

 もはや慇懃無礼なまでのうやうやしさをとやかく言うつもりはない。表情も言葉の抑揚もない時点で、この家政婦にもてなす気がないことはわかっている。あくまで形式だけの対応だ。

 ただ、だからこそなぜこんなことをしているのかわからない。その点で恐ろしさを感じる。早くこの女から離れたかった。

「特に用がないなら、もう行くけど」

 まだもう少し調べていたかったけれど、もう大体はわかっている。何がなんでも今日中に調べ尽くしたいという欲求は薄れていた。

「恐れ入ります……」

 家政婦はそう返した。

 あたしはスカートの裾をなびかせて、その場を後にした。今日はもうこれ以上、構うな、という牽制の意味を込めて、去り際に「おやすみなさい」とこぼしておいた。後ろから声がした。

「ごゆっくりお休みなさいませ……」



 怖かった。

 気丈に振る舞わないと舐められる。そう思って頑張ってはいるけれど、それにしてもあの家政婦は不気味だ。

 とぼとぼと階段を上る。こんな足取りになるのは、身体的疲労だけが原因ではないだろう。こんな訳のわからない場所に閉じ込められた事実だけでもショックなのに、収穫らしい収穫を得ることもできなかったのだ。あったといえば、何の関連性もなさそうな数枚の写真ぐらいのもの。これは何もないに等しい。

 でも――あれしかなかったんだよな。

 ふと考えた。あたしはこの屋敷からの脱出方法どころか、この屋敷のこと自体、何も知らない。当然、ここにいたであろう主の顔も。

 少しでも何かの手がかりにならないだろうか。そう考え出すと、あの写真のことが気になってしょうがなくなった。

 二階まで辿り着いたところで、廊下に立ち尽くした。ほぼ等間隔に並んだドアを見渡す。写真はあの部屋と、この部屋にもあった。

 家政婦は下の階にいる。

 あたしはだらんと下げていた片手をぎゅっと握ると、もう片方の手で目の前のドアを押し開けた。そこがあたしの目覚めた部屋じゃないことは、わかった上で。

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