12.外の世界編[五]

 ――三月某日。午後。

 キャメリンでの一件があってから数日が過ぎた。この数日間、私と楠葉さんは捜査を一時休止していた。北澤さんの様子は見たいし、遺留品であるスマホの中身も隅々まで調べたい、という楠葉さんの申し出によるものだった。

 そして今日、私はというと、バイトをクビになった。別にショックはなかった。

 これで晴れて自由の身になったのだ。誰にも気兼ねすることなく、楠葉さんと捜査ができる。

 その彼女から捜査再開の連絡がきたのは、昨日の夜のことだった。今日はバイト関連の諸々の手続きがあったせいで、落ち合うのはいつもより少し遅い時間を指定した。

 スマホの中身も気になるし、早く彼女に会いたい。

 私の足は職場、改め、元職場から直接パンドラへ向かっていた。今日は朝から曇り空で、景色はずっと仄暗い。

 はやる気持ちを抑え切れなかったので、最寄りの駅で降りてから近道を使うことにした。猫ぐらいしか通らない狭い裏路地だけれど、私の体型なら余裕で通れる。万一、近所の人に見付かった場合は、大変に気まずい思いをするだろうが、ここを通れば五分ほど短縮できる。もっとも短縮したところで楠葉さんがまだ到着していなければ意味がないのだけど、ええい、ままよ。

 駅を出てから、古い家の並ぶ住宅街に向かった。目的の小道へと体を滑り込ませる。

 この道の存在は、ネットで周辺の地図を眺めている時に知った。楠葉さんに話した時は、「それって私有地じゃないの?」と眉をひそめられたけれど、まあ、言わなければばれることもないだろう。

 そんなことを考えながら砂利を踏みしめていた時、異変に気が付いた。少し先に猫の集会場が出来ている。それと同時に、ぷん……と異臭が漂ってきた。生ゴミとは違う種類の生臭さ。

 私は、この臭いを嗅いだことがある。

 私の気配に気付いているのかいないのか。逃げる様子のない猫を見て怖くなった私は、立ち止まって目を凝らした。十匹ほどの、大小様々な猫の群れの隙間から、布が見えた。時折、隙間風に吹かれてははためいている。色は、灰色。

 その時、一匹の猫がのっそりとその場を離れた。大きな猫だったので群れの隙間も大きくなった。灰一色だと思っていた布は、赤黒いまだら模様に彩られている。

 肉が見えた。

 赤色と、肌色の。

 肉が。

 喉の奥からああぁ……と呻いた。流石に驚いたのか、猫たちは一斉に散った。私のいる方向へと逃げてきた猫の中には、顔だけが真っ赤なものもいた。食事を中断させられて、恨めしげな視線を向けてくるものもいた。

 猫が消えて全貌が露になったのは、黒ずんだ赤色とくすんだ灰色のスーツ。ところどころが破れていて、その隙間から覗く肉を食い千切られた死体。それだけでも十分に恐ろしいのに、私の関心はスーツに向いた。見覚えがある気がしていた。

 恐る恐る、視線を体から顔のある方へ向ける。途端に視界が大きくぶれた。

 立っていられなかった。色んな衝撃と疑問が、頭の中で弾けてショートした。

 死んでいたのは、つい先日まで私たちを追い詰めていた筈の、刑事。嫌なオヤジで、声も聞きたくないほどの。

 北澤さん、だった。

 ついばまれたのか片目を空洞にして、苦悶の表情を浮かべている。

 頭上で、カラスが鳴いた。



「楠葉さん、どうしよう……また第一発見者になっちゃった」

 私に呼び出された楠葉さんは、目の前の非常事態を深刻な表情で見下ろしている。そんな彼女に向かって、私はどこか見当違いな泣き言を漏らしていた。

 楠葉さんはすぐに駆け付けてくれた。混乱して支離滅裂な説明をする私に、きちんと耳を傾けてくれた。

 けれど冷静な彼女にとっても、この惨状には口を噤むしかないみたいだった。

「あゆむちゃん」

 しばらくすると聞き慣れた声が静かに響いた。私は足元に落としていた視線を上げた。

「この死体の存在は、通りすがりの誰かが、周辺の聞き込みをしていた私に教えてくれた。私が死体を見付ける頃には、通報者は姿を消していた。そういうことにしましょう」

 それは私を守る為の提案だった。

「でもそれって、楠葉さんが叱責されることになりませんか?」

「これぐらい、手柄を立てればいくらでも挽回できるものよ。それに何かにつけて煩い誰かさんは、ここでこうして転がってる訳だし」

 北澤さんのぽっかりと空いた目が、恨めしげに楠葉さんを見上げた、ように錯覚する。

「これから大変になるんじゃ……」

「そうね……。まさか警察の人間が死ぬことになるなんて。それも、北澤さんが、なんてね」

「このタイミングに意味はあるんでしょうか」

「どうかしらね。現時点ではなんとも言えない」

「私の彼が死んだ事件と、何か関わりはあると思いますか?」

「どうして、そう思うの?」

 ――どうしてそう思ったのだろう。

 この、都会に比べると決して大きいとはいえない市内。そこで二件立て続けに殺人が起こったとなると、同一犯によるものだと考えてしまうのは、決して不自然な発想とは思えない。

 でもそうなると、犯人はなんの目的があって北澤さんを殺したのか……。

「すみません、考え過ぎですよね」

「さっきも言ったように、現時点では何もわからないから、まずは正式な手順を踏むわ。手配は私からしておく。だから、あゆむちゃんは今日のところは帰って」

「あの、彼のスマホのことは」

「悪いけど後日になるわね。遅くても一週間以内には連絡できるようにするから、それまでは待ってて」

 そんな。今すぐにでも知りたいのに。

 しかしそう言われてしまうと引き下がるしかなくなる。北澤さんがいなくなったとはいえ、無理を通せば誰がまた私たちに疑いの目を向けるかわからないのだ。

 少しの間、何か言おうか考えて――結局、すごすごとその場を後にした。

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