9.外の世界編[四]
――三月某日。昼過ぎ。
家宅捜索とは違って、筆跡鑑定には二日間を要した。その分、徹底して行われた。さぞ信憑性の高い結果が出たことだろう。
さくらちゃんの部屋から見付かった手紙は、さくらちゃん自身が書いたものだと結論付けられた。
それを楠葉さんの口から聞かされたのは、今ではすっかり恒例と化したパンドラにて。彼女はいつも通り、砂糖もミルクも入れずにコーヒーを啜った。季節的に少し暖かくなってきたせいか、ホットからアイスに変わったことぐらいが昨日までとの相違点だろうか。
「あの不審な手紙は、ほんとにこの事件と関わりがあると思いますか?」
私の方はシロップとミルクをたっぷり入れたアイスコーヒー(もはや、カフェオレといえる)を一口飲んで、彼女の顔を食い入るように見た。私たちの関係上、周りに聞こえないレベルまで声を落として話す。
「以前も言ったけれど、命に関わる問題っていうぐらいだから、日根野さんに渡すつもりだった可能性は高いんじゃないかしら。現に二人は知り合いだったみたいだし」
「そこなんですよね……」
私は、彼らが知り合いだということを知らなかった。
「二人は、何をきっかけに知り合ったんでしょう。私が彼とさくらちゃんを引き合わせたことはないから、ほんとに接点がわからなくて」
情けないことに、と言外に付け加える。どんな繋がりがあったのか、それさえわかればもう少し何か見えてきそうなものなのに。
ストローをくわえたまま、目を閉じる。確かに、間違いなく、私は彼をさくらちゃんに紹介していない。彼と一緒にいるところをさくらちゃんが見ていた可能性がないとは言い切れないけれど、それをきっかけに知り合ったとは考えにくい、と、思う。
そういえば、私はさくらちゃんの仕事について、詳しく知らない。営業の仕事、と聞いたことはあるけれど……。
「まさか、仕事がきっかけ?」
「何、どうかした?」
「二人とも営業職なんです」
彼の仕事も言ってみれば営業に当たる。双方が回っていた会社で、たまたま出会っていたなんてことは? 有り得るだろうか。
「二人がどうして知り合ったのか、楠葉さんは気にならないんですか?」
私が尋ねると、楠葉さんは唇に手を当てて、
「いえ、気になるわ。あゆむちゃんを共通項に二人が接触したのではないとすれば、それこそ事件と結び付く理由があるかもしれない。何か糸口が掴めるなら、調べない訳にはいかないわね。今日は、日根野さんの勤めてた会社に行きましょう」
それからすぐに、コーヒーを一気に飲み干した。私もそれに倣った。
「その名前の社員なら、うちにいますけど」
会社の受付でさくらちゃんの名前を出したところ、そんな答えが返ってきた。教えてくれたのは、小さな会社とはいえ他に適任者はいなかったのか、と思うような容貌の受付嬢だった。美顔ローラーを顔の上でころころと転がしながら私たちを見上げている。この会社は一体どうなっているのだ。
「ほんとですか?」
思わず受付カウンターに手を付いていた。受付嬢(近くで見ると「嬢」といえる歳でもない)がきょとんとする。
「ええ。可愛らしい顔してる人ですよね。あ、そういえば最近、姿を見てないですね」
何気なく続けられたその情報は、さくらちゃんが行方不明という事実と照らし合わせると、決定打ともいえる。
ここは間違いなく、被害者である、私の彼が勤めていた会社だ。彼が在籍していたことも確認済み。
「さくらちゃんは彼の同僚だった……?」
「もしくは上司かもね」
楠葉さんが後ろから他の可能性を示した。いずれにしても、彼とは同じ職場で働いていたことになる。
知らなかった。というか、教えて欲しかった。いなくなってしまった彼と、今はどこにいるのかわからないさくらちゃんを恨めしく思う。
何か、私に言えない理由があったなんてことは……いや、考えたくない。
「最近見ないとのことですが、その原因について何か耳にしたことはありませんか?」
今度は楠葉さんが前に出て、私は後ろに下がった。
「いやぁ、そこまでは」
「どんな些細なことでも構わないのですが」
受付に座る四十前後の女性は相変わらず美顔ローラーを転がしながら、けれど一応は考えている様子だった。
ころころ、ころころと、ローラーの音が鳴り続ける。
ロビーには私たち三人がいるだけで、周りの空間はしん……と静まり返っている。実際に事務を行っている場所は二階以上の階にあるらしい。このビルは外観を見るに三階建ての自社ビルであるが、ロビーのある一階は待合室になっているだけだった。
こぢんまりとしたエントランスに置かれた観葉植物の葉が、日の光を反射している。
やがて、ローラーを転がす音が止んだ。
「そういえば、その人とは一度だけ世間話をしたことがあります。その時に本人が言ってたんですけど、どうにもストーカーの疑いをかけられてるとかで」
「ストーカー?」
私と楠葉さんの声がハモる。私たちに気圧されてか、受付の人は取り繕うように美顔ローラーを持つ手を振った。
「いえね、冗談で言ったんだとは思うんですけど、ストーカーでもしてるんじゃないかって同僚から言われたって、そんなことをちらっと。ああ、あと」
「なんです?」
「弁明を兼ねて、その同僚を行き付けのバーに誘ったとも。私は最初、単なるのろけ話の類かと思ってたんですけど、どうも違うみたいで」
受付の人は、楠葉さんの顔から目を逸らすことなく答えた。
辻褄は、合う。
「さくらさんにストーカー疑惑を持ってたっていう、その社員のお名前を伺うことはできますか?」
続けて質問した楠葉さんの隣に並ぶように、私も一歩前に出た。もはや聞く必要などないことかもしれないが、裏付けは大事だろう。
「名前はなんていったかな。でも、すぐにわかると思いますよ。警察の方がよく知ってる人だと思いますし」
「と、いいますと?」
「マンションでの事件の被害者の方だそうですから、その人」
ああ、やっぱり……。
彼らが連れ立ってキャメリンに行った理由が、これでわかった。
「本当に、他には何も聞こえませんでしたか? ほんの一言だけでもいいんです。何か思い出せませんか?」
「そう言われてもねぇ」
私たちは彼とさくらちゃんが勤めていた会社のビルを出た後で、再びキャメリンを訪れていた。
ママは、開店準備に忙しいのだろうか。前回とは別人かと思うほど、今日は素っ気ない態度を見せている。
「こないだも言ったけど、あの子たちは二人で喋ってたからアタシは会話に入ってないんだってば。これ以上、思い出せなんて言われても」
「でしたら、二人の様子だけでもお聞かせ願えませんか? 真剣に話し合ってた、とのことですが、その時の雰囲気とか……親密に見えたのか、そうではなかったのか」
「あのねぇ。話してあげたいのは山々なんだけど、できないものはできないし、それにアタシ、これでも結構忙しいの。被害者のことは気の毒だと思うけど、これ以上アタシに協力できることなんて……」
そこで私と楠葉さんは顔を見合わせた。聞き逃したりなんてする筈がなかった。
「ちょっと、いいでしょうか。被害者、というのはどういう」
ママが、虚を衝かれたような顔を見せた。
「だって、K市内で起こった殺人事件のことを調べてるんでしょう?」
どうしてそんなことを聞くの? とでも言わんばかりだった。楠葉さんが意を決したように、ママのミスを指摘してあげた。
「どこで、それを、ご存知になったんですか?」
「どこって」
そこでようやく気付いたらしい。「しまった」と、顔に書いてある。
前回からママには「K市内で起こった事件に関して」とは言ってあるが、それ以上の情報は伝えていないのだ。にも関わらず知っているというのは――
「詳しくお聞かせ願いましょうか」
楠葉さんがまとっていた空気が変わった。ママがたじろいでいる。
するとその時。
「その必要はねえよ」
後ろ――店の入り口――から割って入る声があった。しわがれた声だった。聞き覚えなら、ある。
私たちは三人は、揃って声のした方へ振り向いた。
五十がらみの、しわと染みの浮かぶ浅黒い肌をした、巡査部長。
北澤さんが、いた。
北澤さんは半分開けたドアから体を離すと、のったりとした尊大な歩みで店内に入ってきた。予想外の闖入者に、私とママの時間が止まる。楠葉さんだけが怒りに目を光らせている。
「不当な捜査に協力することはありませんよ、マスター」
にやにやと唇を歪める北澤さんに、いつかと同じ嫌悪感がよみがえった。このおじさんから少しでも離れたい意識が働いて、僅かに上半身が仰け反る。
「どうして北澤さんがここにいるんですか」
「俺だって暇じゃないんでね。捜査で、だよ」
「それでこの場所へ? それにしては……お一人のように見えますが」
「高田の坊ちゃんこそ不在みたいだがねぇ。代わりに第一発見者を連れてるのは、何かお考えがあってのことですかい?」
「確認事項があったもので、ご同行願いました。……剛田さんに事件のことを話したのは、北澤さんですね?」
剛田さんとは確か、ママの本名の筈だ。
「さぁて、どうだったかねぇ」
「見過ごせませんね。由々しき事態ですよ」
「俺だって見過ごせないね。坊ちゃんほっぽって、民間人連れて、何を嗅ぎ回ってやがる」
やり合う二人の刑事の迫力に呑まれて、私もママもその場に縫い止められたままでいた。どうすればいいのかわからない。心と視線だけがそわそわと慌てふためく。
頭の中では、やばい、私たちのことがばれた、どうしよう、そんな思考ばかりがぐるぐると駆け巡っていた。
私と楠葉さんが一緒に捜査をできなくなってしまったら――犯人を殺せなくなってしまう。それだけは避けなければいけない。楠葉さんにはなんとか言い負かして貰わないと、困る。
しかし声援は心の中で送るしかなかった。
「そういえば、聞いたことがありますよ」
心の声が届いた、訳ではないだろうけれど、不意に楠葉さんが不敵な笑顔を見せた。その、まるで勝ちを確信したかのような表情に、なぜか私までぞっとする。
「北澤さんがとある会と癒着関係にあるって噂。この辺りのいくつかの店からもみかじめを取ってるところらしいですね。近くに根城でもあるんでしょうか」
今度は北澤さんを見た。ぶるぶると握り拳を震わせている。
それは、楠葉さんの発言がはったりでないことを物語っていた。もし本当だとしたら、私たちのことなんて問題にもならないぐらいの不正行為なんじゃないのだろうか。重い処分の対象になると思うのだけれど。
「おいおい。キャリア組ともあろうお方が、噂を鵜呑みにするのか? 早計もいいところだ。証拠はあるのか?」
「暴いてみせましょうか」
二人とも恐ろしく低い声をしていた。
ママは、刑事二人がそこまで喋ったところでとうとう堪忍袋の緒が切れたらしい。
「いい加減にしてちょうだい! ここはアタシの店なのよ。喧嘩なら、よそでやってちょうだい」
金切り声を二人に向かって投げ付けた。
ママの大声に、北澤さんは舌打ちを飛ばす。一方の楠葉さんは、頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしているのは重々承知してます。剛田さんから一つでも多くの情報をいただけましたら、早々に引き上げますので」
「その名前で呼ばないでちょうだいっ」
ぷりぷりと音を立てて怒るママには、今は何を言っても効果はないだろう。どうにもしようがなくなって、仕方なく、根気よくなだめすかすことにする。
北澤さんがうんざりしたように煙草を取り出す。しかし火は付けない。くわえることもしないで指で弄びながら、私たち、特に、楠葉さんの動向を窺っているようにも見える。
ともあれ、それまでこの場を支配していた二人の刑事は、主導権をすっかりママに奪い返されてしまっていた。それ以上の言い合いはやめて、大人しくしている。
やがて努力の甲斐あってか、ママに落ち着きの色が見え始めた。
楠葉さんは頃合いを見計らうと、老いた巡査部長を睨み上げた。それから溜め息交じりに口を開く。
「とりあえずこの話は一旦、保留としましょう。その方が北澤さんにとっても都合がいい筈ですから」
「警部補殿の仰せの通りに。……覚悟しとけよ」
北澤さんは吐き捨てると、手にしていた煙草を口にくわえた。
「そっくりそのままお返しします」
楠葉さんも言い返す。
北澤さんは鼻を鳴らすと、煙草に火を付けながら、入ってきた時と同じ尊大な歩みで店の外へと姿を消していった。両者は最後まで、一歩たりとも譲ることはなかった。
誰にも気付かれないように息を吐き出した。ずっと息苦しかった胸から、少しだけつかえが取れた気がする。
「なんなのよ、あんたたち」
ママもすっかり疲弊してしまったらしい。ばっちり決まっていると思っていたオールバックも、心なしか崩れて見える。
「北澤……先ほどの刑事には、何を言われたんですか?」
楠葉さんからの問いかけにママは、ぐったりとスツールにもたれた。しかしすでに観念しているのか、会話には応じてくれる姿勢を見せている。
「口止めされてたのよ」
「北澤から脅されていたということでしょうか?」
「いいえ、むしろその逆。小金を握らされたのよ。返さなくちゃいけなくなったけどね」
「でも、なんで北澤さんがそんなことを」
私は疑問を口にした。楠葉さんが素早く答える。
「多分、私のことが気に入らないからでしょうね」
その恐ろしく淡々とした口調に、この二人の仲が良くないことはとっくにわかっていたとはいえ――というか、あのおじさんと仲良くできる人がいるのか全くもって疑問だけれど――空恐ろしさを感じた。
しかししっくりこない。北澤さんは間違いなく性悪に分類される人間だといえる。けれど、楠葉さんが気に入らないという理由だけで、こんな嫌がらせを仕組むような、言ってみれば合理性に欠ける行動を取る人だろうか?
「もう一つ考えられる可能性としては、私たちをこの飲み屋街に近付けたくなかった、って理由からかしら」
まるで私の考えを読み取るかのように、楠葉さんは続けた。
「それって、楠葉さんが聞いたっていう癒着問題ですか?」
「恐らくは」と、彼女は頷きながら答えた。私たちのやり取りに、ママが横から野次を飛ばす。
「アタシはとんだとばっちりよ! 言っとくけど、そっちの問題に関してはアタシはノータッチだからね。何も知らないし、知りたくもないわ」
「重ね重ね、気苦労おかけします」
楠葉さんが謝罪を添える。それに対してママは、ふん、と鼻を鳴らした。
「でも、あのおっさんのことはアタシも気に入らなかったからね。なぁんか偉そうだし。だから、あんたたちの質問には答えてあげるけど……その代わり……」
「わかってます。癒着問題の件をあなたが知ったことに関しては、私の胸に留めておきますから」
「助かるわ」
二人のやり取りはよくわからなかった。ただなんとなく思い至ったのは、ヤクザを恐れる気持ちは誰にでもあるのだろうということだった。北澤さんと密な関係にある会っていうのがカタギじゃないことは私にもわかる。だからつまりは、そういうことなのだろう。
「思い出したことがあるの」
ママがそう切り出したので、逡巡をやめてママを見た。
「思い出したといいますと、さくらさんたちが来店された時のことですか」
「そう。まず、二人の様子だけど、特に仲が良さそうってほどじゃなかったわ。取り立てて悪そうにも見えなかったけどね。普通の、会社付き合いの仲、って感じだったと思う。あくまでアタシの見立てだけど」
「貴重な情報です。他には?」
楠葉さんは手帳を取り出して、ママの証言を書き付け始めた。
「悪いけど、会話の内容まではさっぱり……。でも、一つのスマホを二人で見合ってはいたわ。どっちのスマホなのかはわからないけれど」
「それはどんな画面ですか?」
「そこまでは……ごめんなさい」
ママは首を横に振った。言葉だけじゃなく、本当に申し訳なさそうだった。もしかすると、本心では協力したいと思ってくれていたのかもしれない。
「アタシに言えるのはほんとにこれで全部。役には立てなさそうかしら」
「いいえ、とんでもない。ご協力、感謝します」
楠葉さんに続いて、私もママにお礼を述べる。
「それと、北澤や私たちのことですが」
「ええ。警察関係者に公式に聞かれでもしない限り他言はしないわ。アタシからもお願いした通り、ヤーさんに睨まれるのは御免だからね」
やっぱりそういうことだったか。
「ご理解いただきまして、助かります」
楠葉さんが手帳を胸ポケットにしまったので、私も軽く身支度を整える。その彼女が、今度は私に向かって声をかけてきた。
「北澤さんの件は、向こうからの接触がない限り無視しましょう。あまり立場がよくないのは、私たちも同じなんだから」
「わかりました……!」
背筋に緊張が走った。頭の中に、互いが互いの命綱を握り合って、「下手な真似をしたらこの綱を離すぞ」と脅している構図が浮かぶ。冗談ではなく、今はまさにそんな状態なのだ。
ママはよほどのことがない限り、今回のことは誰にも言わないと言っている。そのよほどのことがないのを祈るしかない。
新しい情報を聞けたのは進歩ではあるけれど、果たしてそれはこの代償に釣り合うものなのだろうか。
本当に大変なことになってしまったと、足がふらつくようだった。
「今回得た情報を、まとめましょう」
マーチに乗り込むなり、楠葉さんが提案した。これは私も望むところである。
「まず、さくらさんは日根野さんと同じ職場に勤めていた。二人が知り合うきっかけも、恐らくそこにあったんでしょうね。そしてさくらさんは、日根野さんを誘ってキャメリンへ行った。さくらさんはなんらかの理由から、日根野さんにストーカーだと思われてたみたいだけれど」
「ちょっと、いいですか。受付の人も言ってた通り、冗談だったのかもしれないし、そもそも彼……私の、彼が、自分に付きまとってる相手と飲みに行くなんて考えられないんですけど」
「弁明を兼ねて誘った、って言ってたらしいわね。それに、さくらさんが過干渉、と言っていいのかわからないけれど、とにかくそう思われるようなことをしてた相手が、日根野さんとは限らないんじゃない?」
「どういうことです?」
「受付によると、日根野さんはあくまでさくらさんをストーカーだと思ってただけ。日根野さん自身が付きまとわれてる、とは言ってない」
「あ……」
「さくらさんが、誰かの情報をやたらと詳しく知ってた可能性もある。自身の恋人でもない誰かの情報を」
「でもどっちにしても、さくらちゃんのことを変な人だと思ってたってことですよね。いくら弁明を受けようとしたんだとしても、やっぱり連れ立って飲みに行くとは……」
「相手によるんじゃないかしら」
「相手」
意味がよくわからず、馬鹿みたいにオウム返しをしてしまう。運転席に座る楠葉さんは上半身だけをこちらに向けた。
「これから言うことは、あくまで推論よ」
「いいですよ、言って下さい」
「さくらさんはあなたのことを、日根野さんの前で話題にしたんじゃないかしら」
「ええっ、どうして私?」
「だって幼馴染なんでしょう。でも日根野さんは、なぜさくらさんの口からあゆむちゃんのことが出たのかわからなかった。あゆむちゃんが、二人が知り合い同士だったことを知らなかったのと同じように、日根野さんもまた、あゆむちゃんとさくらさんが知り合いであることを知らなかった可能性は考えられない? だから、なぜさくらさんがあゆむちゃんのことを知っているのかわからなかった。ひょっとして自分、または、あゆむちゃんのストーカーなんじゃないか、と疑った」
「ちょっと飛躍してる気もするんですけど……。そう思える根拠があったりするんですか?」
「スマホを二人で見合ってたって、剛田さんは言ってたわよね」
「あ、それは気になってます。何を見てたんでしょう」
「あゆむちゃんとのやり取りの履歴」
楠葉さんがぼそりと呟くように言ったので、私はつい訝しむような視線を向けてしまった。直後、彼女ははっとしたように続けた。
「もしさくらさんが自分のスマホの画面を見せたのだとしたら、自分がストーカーじゃない証拠を見せたんじゃないかしら。あゆむちゃんからの親しげなメッセージでもあれば、顔馴染みだってことが日根野さんにもわかるでしょう」
「うーん、仮説が多いような……」
「疑うことをやめたら、捜査なんてできないわ。間違ってるかどうかは調べていく内にわかることだもの」
そう言うなり、彼女は再び背もたれに体を預けた。
「とはいっても、あゆむちゃんの言うことももっともなのよね。我ながら、勘に頼り過ぎてる部分はあると思うわ」
その通りだ、と思う気持ちと、いや彼女の言う通り、疑うことをやめたら何も進展しないという気持ちがせめぎ合う。現状で私たち、もしくは、私だけでもできることは何かないだろうか?
だめだ……何も浮かばない。
私は一体、何をするべきなのだろう。
とにかく手詰まりな状況だけは打破したい。その為にもここは、捜査のプロである彼女に乗るべきだと判断した。
「楠葉さんの意見に、賛成します」
「わかった、ありがとう。一番いいのは、さくらさんが見つかることだけれど……。現状でできることとして、高田に日根野さんのスマホを調べるように伝えとく。今日はあゆむちゃんを送り届けた後で、彼と合流して確認してみるわ。改めて見ることで、以前は気付けなかったことにも、今なら気付けるかもしれないから」
「お願いします」
私は頭を下げた。そしてその姿勢のまま固まってしまった。
「あゆむちゃん? どうしたの?」
上から心配そうな声が振ってくる。私は顔を上げずに答えた。
「ごめんなさい、飛躍してるとか仮説が多いとか言って。素人の癖に、生意気なことを」
「そんなこと、気にしないで。あゆむちゃんは十分、気丈に頑張ってくれてるじゃない」
「……ショックだったんです。彼とさくらちゃんが知り合いだったこととか、同じ職場で働いてたこととか、何も知らなくて。彼のこと、なんにもわかってなかったんだなぁ、って」
「言われなかったことを知れだなんて、無理な話じゃない?」
「そうですね。でもそういう話をしてくれなかったってことは、私、信用なかったのかな」
自分でも面倒くさいことを言っているとは思う。これじゃただの愚痴だ。こんな話を聞かされる楠葉さんの身になってみると、彼女が気の毒にすら思えてくる。
でも、言葉を止められなかった。情けないなぁ、と繰り返す。
楠葉さんはしばらく、そんな愚痴を黙って聞いてくれていた。しばらくして私が黙り込むと、彼女はそこで口を開いた。
「どんなに親しくても、百パーセントを理解してる人なんていない。それは信用してるとか、してないとか、気が合うとか合わないとか、そういうことでもないと思うの。あなたたち、付き合ってどれぐらい?」
「もう少しで一年でした」
「一年も一緒にいた訳じゃないのに、ここまで頑張れるあゆむちゃんはすごいわ。愛情深い人じゃない」
「大事な人、でしたから」
「あゆむちゃんがそう思えるなら、大丈夫。日根野さんには、ちゃんと愛情があったって証拠にならないかしら? だから、ね、悲観しないで」
思いがけず心強い言葉をかけて貰うことになって、なぜか恥ずかしい気持ちが込み上げてきた。でもそれは決して嫌な感覚ではなかった。
彼女の気遣いを、素直に嬉しく思える自分がいた。
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