8.屋敷編[三]

 ――某所。

 あたしは止め処なく溢れてくる涙を拭いながら、屋敷中を、主に窓を手当たり次第に調べていた。玄関脇にあったものも、キッチンの小窓も、浴室やトイレまで、全部はめ殺しだった。キッチンと一続きになっている、やたらと長い食卓の置かれた、広いダイニングに関しては、勝手口どころかガラス戸すらなかった。

 閉塞感と焦燥感で息が詰まりそうだった。

 今度は階段を駆け上がる。各部屋の窓を調べたかった。

 一階を走り回っている間、血色の悪いスカーフェイスの家政婦は、何も言わずに玄関前に立ち尽くしていた。その様が不気味で堪らなくて、彼女が本当に人間なのかも疑わしくなってくるぐらいだ。

 早く帰りたい。家路なんてわかるかわからないけれど、それでも外は、ここよりずっとましな筈だ。

 近いドアから順番に開けて、何かに蹴躓きながら中に飛び込んではドアを調べるという作業を三回繰り返したところで、あたしが目覚めた部屋にいることに気付いた。

 どの部屋にも大きなベッドと書き物机があるのは同じだけれど、デザインは微妙に違っていた。今、目の前にあるベッドには見覚えがある。シーツにはしわも付いている。

 そういえば、今まで調べた部屋のベッドは乱れていないように見えた。

 この屋敷には、あたしとあの家政婦の二人しかいないのだろうか。それを思うとぶるりと体が震えた。おぞましい想像を振り払うように、次の部屋に向かう。

 向かい側の部屋のドアを開けたところで、きゅっと喉が詰まったような、声にならない声を漏らしてしまった。

 というのも、部屋の中には人がいたからだ。男の人だ。ベッドに腰かけて、じっと窓の外を眺めている。やがて気配に気付いたのか、緩慢な動作でこちらに目を向けてきた。その目に胡散臭げな色が宿る。

 信じられなかった。相手の顔をはっきりと捉えた瞬間、あたしは膝から崩れ落ちそうになっていた。

 いる筈のない人が、ここにいる――

「うそ。どうして……」

 上擦った声をかけていた。いや、ほとんど独り言だった。開いたドアに寄りかかるようにして立たないと、本当に膝を突いてしまいそうなぐらい、体が震えている。

 それは歓喜の震えか、恐怖心か――どちらでもない、全く別の感情なのか。

 とにかく、頭の中は混乱の頂点を迎えることになった。

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